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2017/11/22
 あたかも良い短編小説を読んだかのように感じる曲、極私的な六選。注釈は恣意的なもので、曲の内容を必ずしも反映してはいません。


 「Brian Eno & John Cale - Cordoba - YouTube」。君は駅に向かい、僕はバス停へ向かう。コルドバの街は、僕たちに別の道を用意してくれたかのようだ。


 「No Quarter - Led Zeppelin HD (with lyrics) - YouTube」。夜の街を彷徨う男。行き交うテールランプ。ポケットには一枚の小銭もない。帰るあてもない。誰が待つというでもない。


 「Tom's Diner -Suzanne Vega - YouTube」。ビートもメロディも私次第。この街はポップだけど、どこか切ない。でも、ここのラテだけは絶品なのよ。


 「Eagles - Hotel California (Lyrics) - YouTube」。たどり着いたのは、ハイウェイの吹き溜まり。小さなモーテルには流れ着いた者たちが集う。ワインを開けよう、青春の終わりに乾杯だ。次に何が始まるんだ、ネクタイを締めた退屈か?


 「The Beatles - She's Leaving Home - YouTube」。「目覚め」てしまった彼女に「家」は小さすぎた。「外」へと踏み出した彼女を、運命は歓迎するだろうか。ハンカチを濡らさずに生きていけるのだろうか。


 「I'M NOT IN LOVE - 10cc - YouTube」。もう、君のことなんか好きじゃないさ。写真だって捨てるよ、今は壁のシミを隠すのに使ってるだけだしね。しつこいな、もう済んだことじゃないか。君のことなんかちっとも考えちゃいない、一秒だって…。


2017/11/20
 交差点で信号待ちをしていると、後ろから囁く者があった。
「久し振りだな、同志。おっと、振り向いてもらっちゃ困る。そのまままっすぐ前を見るんだ。つい今し方、小菅から出てきたところでね。新しい身分証がいるんだが、お前さんに聞けと言われたんだ。どうなんだい、いつもの場所でいいのか、それとも根城を変えたのか、それだけ聞きに来た。もし、変更がないなら右肩を一回だけ揺すってくれ」
 私に何が出来るだろう? 仕方なく右肩を揺すった。
「そうか、分かった。なあ、蒲田の養成所のこと、覚えてるか? お国のためとは言え、きつかったな。それも、今じゃいい思い出だが。三年も横領でパクられたサラリーマンの振りをしてたから豚箱は退屈だったよ。次はもう少し派手な職業だといいがな。お前さんも公務員って柄じゃないのにご苦労なこった。さあ、信号も青だ、そのまままっすぐ進んでくれ。次に会うのは、また三年後か、それとも十年後か。もしかしたら地獄の窯の淵かもな。じゃあな、あばよ」
 不意に背後から人の気配が消えた。私は信号を渡り切り、そこでようやく振り向いた。当然のことながら、見慣れたビル街と雑踏の向こうに、いつものように空を突いて立つ電波塔が見えただけである。


2017/11/19
 昨晩の強風によって、フランスの古城からギロチンの刃が飛ばされてきて、庭先で僕の首を刎ねた。


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 「Youtube - 【公式】ハイライト:サガン鳥栖vsFC東京 明治安田生命J1リーグ 第32節 2017_11_18」


 「FC東京」とは、世界に冠たる大都市の一つである東京の名をクラブの名称に擁き、近代的な大型のホームスタジアムを有し、代表クラスの選手も数多く揃えている、そんなチームである。それだけ見れば、「それはきっとジャパンのバルセロナみたいなクラブなんだね」と思わせるに足るものだ。しかし、この大きな鳥はもう長いこと地べたに座り込んだまま、羽ばたくことが出来ない。今シーズンも現在十二位。優勝からも降格からも等しく遠い、無風状態を謳歌している。


 今季こそ、そう思ったサポーターも多かっただろう。川崎から大久保を、広島からウタカを、降格した名古屋からは永井をと、エース級のストライカーをこれでもかと獲得した。更には前田遼一までいるのだ。遂に日本の首都にドリームチームが現れた、そんな期待を抱いて何が悪かろう? その上、開幕戦では王者鹿島を撃破。遂に、時は来たれり!


 しかし、僕が少し目を離している隙に、いつしかリーグは川崎と鹿島の一騎打ちとなり、ACL 圏内をマリノスやセレッソが争うといった構図になっていた。おや、あの青いチームはどこに消えたのだ? 得点ランキングの上位にも、東京の選手の名前はない。「スターをかき集めても、チームにはならない」。サッカーに限らず、そんな例を随分と見てきた。そんなありふれた歴史の法則が今回も繰り返されただけなのだろうか。味の素スタジアムに吹く秋風も、肩透かしを食らってあてどなくくるくると枯芝を巻き上げていることだろう。


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 「33 buts de Vahid Halilhodzic avec le FC Nantes - YouTube」


 ハリルホジッチは、選手たちにこんな風にプレイしてほしいのだと思う。少ないタッチで縦に速く運び、決定力のあるストライカー(つまりはハリルホジッチ自身に)に決めてもらう、そんなサッカーだ。


 古い映像だが、ハリルホジッチが良いストライカーだったことはよく分かる。代表監督というよりは、フォワード育成専門のコーチとして雇い入れた方が良かったのではないか。


2017/11/18
 空気が乾いているので、今夜から牛の口内で眠ることにする。口蓋より滴る生温き唾液の雨よ。


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 『アースフライト (吹替版)をAmazonビデオ-プライム・ビデオで』


 どの回も掛け値なしに面白いが、やはり最大の見どころは最終話だ。実はいくつかの映像は、飼い慣らされた鳥たちによる疑似飛行を映したものである。巧いこと騙された。制作側の様々なアイデアには感服させられることしきり。大いにレコメンドしたい良いシリーズだ。


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 『Wasteland WarriorsをAmazonビデオ-プライム・ビデオで』


 字幕もないので、何を言っているかはよく分からないけれど、大都市ウィーンに生きる野生動物たちを追ったドキュメント。アライグマの一家が線路伝いに旅をする姿は可愛らしいものである。今作のように字幕のついていない「野良」ドキュメントにも面白そうな作品が結構あって、たまに観たりもする。


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 「Youtube - 第201回「ウェインショーターの不思議世界」」


 実演者によるジャズ四方山話をたんまりと聴けるアーカイブス。パンチの効いたパペット人形との掛け合いも絶妙である。これはこれで、興味深い「愛のカタチ」なのであろう。たくさんアップロードされているのでじっくりと。


2017/11/15
 ある高名な数学者はこうのたもうたそうだ。「数学者とはカフェインを公式に変える人種でである」と。数学の出来ないぼんくらである私は、こうして日々駄文を垂れ流すばかり。


 今日はこんなことがあったのさ。道の真ん中で突然男が叫んだ。「紳士淑女の皆さん! この交差点の中に一人だけ偽物がいますよ! この街にいる資格がない人間が!」。誰もがキョトンと目を丸くしていたが、俺の心臓だけが早鐘のように打っていた。どうして、バレたのだろう? 脂汗が止まりやしない。


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 山口は結局、ドイツで試されることすらないままに帰国してしまった。だから、本人の中には挫折感すらないのかもしれない。自分は現状である程度完成された選手だと感じている方が精神的には楽かもしれないが、それが国際舞台で必要とされる何事かに対する気付きを遅らせている原因のような気もする。


 長谷部は、かつてボルフスブルグで得た感覚をそのパススピードとトラップの精度でピッチ上の他の選手に示したものだ。「これが出来ないと世界ではやっていけないよ」と言わんばかりに、中央のポジションからボールをさばいた。周りの選手はそこから自分たちに足りないものを感じ取ったに違いないのだ。


 今季のセレッソは好調とは言え、やはり国際舞台で必要な判断力を養うに足る場所ではない。ハリルホジッチも、山口が帰国して二部リーグでプレイしていることを嘆いたものだ。井の中の蛍だなんて、洒落にもならない。似たようなことは、スペインに渡る前の柴崎にも感じていた。国内リーグの感覚で強豪国との国際試合に挑めば、簡単にボールを失う。代表戦やクラブワールドカップを通じて、それを体感したに違いない。その柴崎が、見事にスペインサッカーに着地してみせたことは皆さんもご存じの通り。怪我からの復帰が待たれるところだ。


2017/11/14
 おや、これもお気に召さない。じゃあ、こいつはどうですかな。こちらはチベットの少数民族が代々その秘伝を伝える「虚栄心を洗い流す石鹸」というやつでございましてな。ある国の大金持ちが実際に使ってみたところ、彼は風呂場から消えちまったというから驚きで。欲というのは油みたいなもので、長い時間を掛けてあちこちにこびりついていくものなんでございましょう。


 おや、またそんな顔をなさって。さっきから私の話を一つも信じてないようでございますな。よろしい、我がセント・トーマス商会は、世界中の暇と金を持て余す方々に少しばかりの毒と限りない失笑をお届けしてきた老舗であります。あなたもいつかお分かりになる日が来るでしょう。何故、我々のような見るからにいかがわしい連中が商いを続けてこられたか。あなたが鏡を見てため息を一つ、また一つとつくようになる度、我々のことを思い出さずにはいられなくなるのです。


 この家とは先々代からのお付き合いでございます。それはそれは可愛らしいお人でしたよ、あなたのお祖母様は。何しろ、この城に入られた時はまだ十四でしてね。そばかすの跡が恥ずかしくて恥ずかしくて、旦那様ともなかなかお会いになろうとしませんでした。布団を頭から引っ被って、一日中駄々をこねるのでございます。それがまた旦那様には愛おしく…。


 おや、昔話が過ぎましたかな。では、本日はこの辺でお暇いたしましょう。先程、お付きの方にもお渡ししましたが、こちらが名刺となっております。きっと、きっと、お役に立つときが参ります。それでは、ご機嫌麗しゅう。


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 「Youtube - 第1章「アート・テイタム」前篇『すごいジャズには理由(ワケ)がある』」


 僕には少しレベルが高すぎるところはあるが、非常に面白い。ゆっくりと消化している。喋っている音声とピアノの音量のバランスが悪いのが、ちょっと残念だ。ヘッドフォンで視聴することを推奨します。


2017/11/12
 私は、この「都市」に「詩人」としてログインした。ゲートを通る間にスキャンされた脳の情報が精査され、私は入城を許可される。ここまではいい。私には最新のウィルスが仕込まれていて、その「暗号式」を彼らは知らない。街には無数の無線が飛び交っている。ほぼランダムに近いその網の目の中から、私に必要なパターンを探す。「これには数週間かかる場合があります」。目の奥のダイアログが告げる。まあ、いいさ。時間はいくらでもあるんだ。真の「革命」だけが「光速」を一瞬だけ破ることが出来る。概念が生じる前に理解せよ。


 路地の向こうをサイレンが通る。秘密警察チェスタトンの奴らめ! 逆説のギロチンに散った同志の無念を思うと、自然と胸のクロック数が上がってくる。俺は鼻腔から小さく放熱すると、再び「都市」の喧騒の中に身を潜める。零れ落ちた粒子が水面に跳ねた。


2017/11/11
 ねえ、君もよく知っているだろう、今ではもうライ麦畑で遊ぶ子供なんていやしないんだ。


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 今のブラジルは日本と十回戦ったら十回勝てると思ってるだろうな。このイメージをもう何年も切り崩せていない。日本を怖がっているのは未だにアウダイールくらいしかいないだろう。後半の戦い方を前半開始からやらなければならない、解説の方もそう仰っていたが、単純にそれに耐える人材が、アルジェリアにはそこそこいたが、日本にはいないってことなんだろうな。乾は頑張っているが、マフレズではないしね。


 じゃあ、このハイプレス、高インテンシティを支えるために必要なスペックを各選手が身に着けるだけの時間があるかというと、それも心許ない。このままだといろいろ中途半端に終わりそうで、それが一番情けない。すべてが終わった後、「やはり、日本人には日本人にあったサッカーが必要だ」などと言い出すんじゃないかってね。「地域では強豪、世界では弱小」、この二重生活にいつうまいこと対応出来るようになるのか。


2017/11/10
 もしもし、あなた、ここは通れませんよ。ほら、ここ、「空元気」が足りてませんから。あっちで補給してきてください。あと「本当の涙」も大分少なくなってますね。次通る時までに調達しておいた方がいいですよ。え? しょうがないんですよ、これも上からのお達しでしてね。別にあなた方を追い出そうだなんてつもりは、これっぽっちも。私たちの仕事は「街」を守ること、それだけなんで。長らく「砂漠」を旅していると、どうしても心が乾いてくるでしょう? パラメーターを弄らないとうまく「都市」にログインできなくなっちまいます。そうなると困るのはあなたも私も同じじゃありませんか。もう、いいですか、じゃあ、次の人、どうぞ。


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 『Amazon | 絶望 (光文社古典新訳文庫) | ウラジーミル ナボコフ, 貝澤 哉 通販』


 もしかして、ゲルマンの最初の躓きの石は、「チェコ」に「チョコ」を売りに行ったということなんじゃ…。


2017/11/09
 最近は、サッカーを見ていても、スペシャルなプレイを見たいという期待感より、選手たちがあれやこれやの守備的な要求をこなしながら、どうにか攻撃でも違いを見せようと必死で九〇分を戦っている、その密度感を思って少し息苦しくなる。僕が選手だったら、きっと頭がいっぱいいっぱいになってしまい、多分、ピッチ上であからさまにおろおろしてしまうだろう。なるほど、現代サッカーにバッジオのような選手がいなくなるのは、そういうわけなのだ。


 単純に考えて、ピッチには十一人の選手と二十二本の足しかない。今まで常識的には使われていなかった部分も活用すれば、それがアドバンテージになるということで、キーパーもボール回しに参加するようになったし、フォワードも守備をするようになった。誰もがポジションを守り、一人としてサボらないとなると、もうグラウンドのどこにも「温度の低い」場所は見当たらないと思うのだが、この先、誰かがまた「革命」を起こす余地はあるのだろうか。世界経済と同じで、サッカーも「低成長」の時代を迎えるのだろうか。


2017/11/08
 『ミトコンドリアが進化を決めた | ニック・レーン, 斉藤 隆央 |本 | 通販 | Amazon』


 ナボコフ・マラソンの前に、ちょっとばかり積読本消化の寄り道をしてみる。昨今いささか呆け気味の頭にはややハードルが高そうな一冊。サイエンスの持つロマンチックな部分に再び幻惑されてみたいのだが、果たしてついていけるだろうか。


 我々の体内にも一京個は存在するというミトコンドリア。彼らは元々自律した生命であったが、いつしか我々の細胞内に入り込んでエネルギー代謝における重要な役割を担うようになったという。これだけで何とも不思議な話ではないか。腸内細菌といい、いろいろと自分以外のものが棲みついて成り立っているのが我々の身体というものなのだ。


 答のないところが「文学」の良いところでもあり、そこに胡坐をかいてしまいがちなところでもある。常々、「批評」にも第三者による「再現性」のような視点があっても良いのではないかと思っているのだが。つまり、批評家とは類稀な能力で余人が見ることが出来ない「真実」を抉り出すシャーマンなのか。それとも、誰にとってもそうであるような「普遍」を巧みに言語化する深層の代弁者なのか。


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 『64-ロクヨン-後編』、後記。


 少し冷静になって考えてみると、あのような重大な犯罪を犯した人間がそのままずっと同じ場所に時効が来るまで住み続けるものだろうかという気はしないでもない。それに、ある段階で「真犯人」は自分がこの騒動を通じて誰かに「告発」されているのだと気が付かないはずはないと思うのだが。それでも遮二無二に行動し続ける純粋無垢さが、ちょっと奇妙に映った。果たして、「親として当然の行動」で済むかな。


 「真犯人」に向かって主人公が「お前にも娘がいるだろう、少女を殺した手で何度娘を抱いた」と怒号するシーンがある。「抱いた」という表現がちょっとセクシャルな感じがして、少し引っ掛かった。そんなのは僕だけだろうか。そもそも、最初の少女誘拐殺人に性的な要素がなく、その点が全くスルーされていることに不自然さを感じながら映画に入っていったということがある。劇中で誰もそういうことを指摘しない。だったら、殺されるのは男の子でもいいはずだ。思い起こされる現実の事件もある。しかし、死んだのは少女だ。ここに、何かもやもやしたものが残る。


2017/11/07
 『64-ロクヨン-後編』


 いろいろ言いたいことはある。しかし、まずは大切なところから話をしよう。話の最も中心的な骨格であるところの「被害者の父親はいかにして真犯人を見つけたか」というところは、「ハッとさせられる」重要なポイントであり、カタルシスをもたらしてくれた。つまり、ミステリ作品としての面目は十分にここで保ったのである。


 問題はその上に乗せられた様々な現代風のアトラクションの方かもしれない。匿名報道に関する問題提起。記者クラブ周辺のいささか学芸会じみた情緒の劇。近年ではもうすっかり出涸らしになった感のある警察の内部機構を巡る陰謀めいた話などなど、作品のスケールをかなり無理矢理に拡張しているといった感は否めなかった。とは言え、そのスケール感がなければ、僕も本作を見てみようとは思わなかったかもしれない。


 画面が暗転してエンディングロールが流れ始めた時、僕自身も長いトンネルを抜けたような安堵感があった。傑作とも呼べないが、作り手側は出来るだけのことをやって、それなりのものを仕上げてきた。映画を巡る状況はいまだに厳しく、出口は見えない。つまるところ、「日本映画」そのものが未だにどこかに閉じ込められているのかもしれない。この長尺の作品が本当に体を張って伝えたいことはそういったものなのではないか、そんなことを考えた。


 タイトルのセンスには五つ星(この原作者は題名のセンスは常に良い。しかし、読んだことはないのだが)。総評としては星二つである。ところで、民間のトラックに偽装したハイテク警察車両が出てくるが、海外ドラマなどではお馴染みだけれども、日本にも実際にああいったものはあって、我々もどこかですれ違ったりしているのだろうか。


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 『Amazon | 絶望 (光文社古典新訳文庫) | ウラジーミル ナボコフ, 貝澤 哉 通販』


 読了。最後までゲルマン君にはシンパシーを抱ききれはしなかったが、終盤でのじたばたぶりや、表現の面白みにはくすっとさせられた。貝澤氏の解説に「ゲルマンはドストエフスキー的な人物への揶揄」とあって、なるほどと膝を打った次第。僕が何だかこの語り手を好きになれないと思ったのは、ナボコフからすれば完全に思惑通りだったということになる。随分と派手に踊らされてしまった、お恥ずかしい。ラストシーンは旧訳で読んだ時にはもっと派手なものだったというぼんやりとした印象があったんだけど、その件も解説で丁寧に触れられていた。


 今回、こうして「初読にして再読」というちょっとひねた読み方をしてきたわけだけれども、まだまだ触り切れていない部分があるなと感じている。技巧的な仕掛けや、過去の文学に対する仄めかしを随分と取りこぼしているんだろうなと思うと、己のふがいなさも感じるし、これ以上はどうしようもないかなという諦めに似た気持ちもある。なかなか読書に集中できなくなっているが、ある種のリハビリとしては楽しく読めたような気はしている。


 では、『偉業』に挑戦するとしようか。またいいように踊らされるんだろう。


2017/11/06
 『64-ロクヨン-前編をAmazonビデオ-プライム・ビデオで』


 それなりに期待しながら観始めたものの、やっぱり厳しい。どうして日本映画はこうも駄目なんだろう。本当に地方の県警にこのような元気な記者クラブがあるのだろうか。フィクションとは言え、あんなカッコいい制服組が揃ってるのだろうか。元県民としては舞台になっているだけでもちょっと嬉しいのだが、僕の知っているあの「地元」の空気はあまり感じられない。


 匿名報道を巡って一斉に記者たちが押し掛ける顛末など、半分コントである。被害者の父親のあまりにそれらしい憔悴振りも、泥棒が足袋に風呂敷で御登場といったレベルだ。公安や広報といった警察の内部組織を描けば「リアル」になるわけではない。かつてはそうだったかもしれないが、現在ではいささかしゃぶりつくされた仕掛けとなってしまっている。


 主人公の娘が心を病む理由は、あまり釈然としない。原作者にそこまで心理学的な関心がないからだろう。僕の考えでは、娘に闇があるならば、この父親にもその種がなければならない。しかし、そのようなものは見当たらない。後編も含め、残りの四分の三、どうしよう。


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 「Youtube - 日本と戦うブラジル代表の全選手説明書! メンバー固定の功罪は? 日本はどこに注意?」


 サンパウロのセンターフォワードを務めているのが、アルゼンチン人のプラット。サントスでは大ベテランのリカルド・オリベイラが未だに違いを見せている。フレッジもまだまだ頑張ってる。パルメイラスもコロンビア人がレギュラーのようだし、「9」番タイプのフレッシュなブラジル人は見当たらない。一昔前は随分余っていたような気がするのだけど。


 最早、そういうタイプが求められる時代でもないのかもしれない。レアンドロ・ダミアンはもう無理だろうか。もう、ロマーリオのような選手を二度と見ることは出来ないのだろうか。


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 「[Windows]+[L]無効にしたい - Windows 10 解決済み| 【OKWAVE】」


  Windows10 では「Win+L」を「AutoHotkey」で上書きできなかった。このようなケースが結構あるので、迂闊に Win キー絡みを Windows7 環境から移行できない。とりあえず、「L」の件はこれで行けそうだけど。


 「Windowsスマートチューニング (409) Win 10編: [Win]キーを使ったショートカットキーを無効にする | マイナビニュース」


 こちらはより包括的な方法だろうか。以前も取り上げたけど、「Win+G」を無効にしたいんだよね。


2017/11/05
 『「普通にクロス上がれば…」「自分が中にいないと…」小林悠が明かした敗因と隠し切れない落胆 (SOCCER DIGEST Web) - Yahoo!ニュース』


 かつて、世界中から賞賛の目で見られた美しき攻撃サッカーの化身ともいうべきペップのバルサを、モウリーニョのインテルが打ち負かしたことがあった。昨日のルヴァンカップ決勝を見ていて、それを思い出した人はきっと僕だけではないと思う。


 後半の途中から、僕が見たかったフロンターレは既にそこにはなかったと言っていい。普段通りのプレーを継続することが大切なはずであることは分かっているが、残り時間を気にして何となく急ぎ足になったり、無理なプレーに賭けてみたりしてしまう。そんなちょっとした歯車の軋みが積み重なっていく内に、チームという時計はいつしか針を止めてしまう、そんな風に思えた。


 特にどちらに肩入れしていたというわけでもないが、中村憲剛にはタイトルを獲らせてあげたかった。杉本や柿谷には、この大功労者の邪魔をした責任を取って、さらに上を目指してもらいたいものだ。セレッソが、内部の結束が固い、慣れ親しんだ者にとって居心地のいいクラブだということは、多数の出戻り組がいることでも分かる。その「仲良しクラブ」の殻を破るなら、このタイミングを置いて他にない。


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 『ラ・リーガ第11節 バルセロナ vs. セビージャ ハイライト』


 絶対に渋滞すると思っていたら意外と空いていて、信号も青ばかりとラッキーも重なり、思いのほか目的地に早く着く──今季のバルサはそんな感じで飄々と勝点を着実に積み上げている。誰かが無理をしているという風でもないし、なかなか復調しないスアレスを抱えているにもかかわらず、だ。何だか不思議なシーズンである。今節は難敵セビージャも退けた。


 ピケがゴール前まで攻めあがってシュートをポストに当てた時、ゴールから一斉に大粒の雫が落ちるシーンがオーケストラのワンシーンのようで美しかった。ナボコフの『ヴァイン姉妹』にそんなようなシーンがなかったっけ。あれは氷柱だったかな。


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 「Youtube - 日本代表と戦う強豪ブラジルのチッチ監督ってどんな人?傾向・実力・評判は?」


 南米ファン待望のディープなブラジル話。そうか、ドゥンガの時は予選でもやばかったんだっけ。南アフリカの時はシステマティックな「4-2-3-1」がそれなりにはまってたけど、既に一昔前の戦術だしな。


2017/11/03
 灯油の巡回販売車が近所を流している。「あったか〜い灯油、十八リットルうんちゃら何円」。遠くドバイかどこかから何千キロものパイプを潜り抜け、精錬され、分離され、遥々俺の街まできた灯油よ。太古の生命が凝縮された命のジャムよ。文明に光と影をもたらした炎の水よ。いつかは枯れ果てるのだと言って我々を怯えさせる小悪魔よ。


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 「日本代表初選出の長澤和輝 “ハリルの申し子”になり得るポテンシャル〈dot.〉 (AERA dot.) - Yahoo!ニュース」


 長澤は、段々ドイツで試合に出れなくなって、どうしちゃったのかなと思っていた。そうこうしている内に浦和への移籍が発表され、初年度はジェフにレンタルされることも公表された。僕もその年はジェフの試合のハイライトを楽しみに毎節チェックしていたものだったが、それほど長澤が目立っていたという印象は個人的にはない。ケルン昇格時のプレーは実に頼もしいものだったから、いろいろアジャストに苦労しているのだろうなと心配していた。


 そんな彼の周りが俄かに騒がしくなった。レッズに復帰しても出場機会はなかなか巡ってこなかったが、先日の ACL で出色のプレーを披露。ハリルホジッチの目にも留まるという結果になったようだ。雌伏の時は漸く終わりを告げるのだろうか? 本人の胸の内にも期するものがあるに違いない。


2017/11/02
 僕の声帯には叫べば叫ぼうとするほど声が小さくなる装置が取り付けられている。僕が子供の時、両親がそうしたのだ。僕が外で余計なことを喋らないように用心したのだろう。「自分の頭で考えるんじゃないよ、そんなことをしたらたいていまずいことになるんだからね」。祖母がよくそう言っていた。だから、今でも本当に大事なことを言おうとすると、喉の奥に痛みが走り、そこで口籠ってしまう。


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 「“3点リード”を守りきれなかったリーベルは逆転負けで敗退 ラヌースが決勝へ コンメボル・リベルタドーレス 2017 準決勝 2nd.Leg ラヌース 4-2 リーベル・プレート - Cartao Amarelo - 南米サッカーサイト」


 チームの知名度からすればリーベルの圧勝でなくてはならないような試合である。しかし、メンバー表にまで目を落とした時、そこに世間的に知られているような選手は両チーム合わせても誰一人見当たらないのが現状だ。アイマールやサビオラを輩出してきたリーベルの輝かしい育成システムも今は昔。いろいろと考えさせられる結果である。


 準決勝のもう一つの山からはグレミオが上がってきた。ブラジルらしからぬ堅守をチームカラーにしているが、以前アヤックスとトヨタカップで対戦した時には、パウロ・ヌネスやジャルデウといった良い選手がいて、なかなか手強いチームだった。今回はそのような知られざる、もしくは金の卵のようなプレイヤーはいるだろうか。


2017/11/01
 俺の背中に穴が開いて、知らぬ間に言葉や内臓をぽろぽろとこぼしながら歩いていたようだ。それを啄みにカラスの群れが集まってきて、俺の上でくるりと舞った。何も生み出さない、何も知らない、何もかも。日が沈むのも止められない俺に、夜という巨大な影がのしかかる。その時初めて分かったのだが、夜の漆黒を生み出しているのは膨大な数のカラスの群れで、星とは彼らの目なのだ。だから、夜は少しだけ温かい気がするのである。


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 『Dell ノートパソコン Inspiron 11 Celeronモデル ホワイト 17Q31W/Windows10/11.6インチ/4GB/32GB』


 やはり、メインメモリ 4GB は快適。先代より若干重いが、その分堅牢さも増しているので、許容範囲。電源コネクタもしっかりしている。タッチパッドはしょっちゅうミスタッチしてしまう。しかし、タップでクリックの快適さからはもう逃れられない。タップに反応する範囲を中央付近のみに制限できないかなあ。


2017/10/29
 カフェインよ、俺の中の錆びた半鐘を叩いて回れ。


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 『Amazon | 絶望 (光文社古典新訳文庫) | ウラジーミル ナボコフ, 貝澤 哉 通販』


 遂に犯罪計画は実行された。その途中、ゲルマンは「対」になった出来事や人物を矢鱈に目にする。彼はそれに憑りつかれているのだ。しかし、彼の身代わりになって死んだ男のことを誰も彼本人だとは思いもしなかったということが判明する。これでは妻に保険金が入ることもない。


 こんな風に解釈できるだろうか。人は見えないものを見てしまったり、その逆に「見えているのに見えていない」ということがありうる。ゲルマンは大して似てもいない男を自分に瓜二つだと思い込んだ。実際は異なる二枚の絵を同一のものだと勘違いした時のように。そして、妻とアルダリオンの関係が殊の外セクシャルだということを、実際に目にしているのに見ていない。妻のリーダはゲルマンとの接吻は拒み、アルダリオンのそれは許すのである。仲がいい従妹同士だって? 冗談はよし子さん。


 このような、「対」になっているようで、微妙に非対称的な関係をナボコフは幾度も描いているといえなくもない気はする。「甲」は「乙」を熱烈に愛しているがいささか一方通行的で、「乙」には隠された愛人「丙」がおり、気の置けない親密な関係を築いている。後者の方が前者に対して優位性を持つ。『カメラ・オブスクーラ』の不思議な共同生活もそのようなものだし、『ロリータ』でドロレスがキルティを当てにして逃げ出すのも同じ構図である。何か祖型となるものがナボコフの中にあるのではないだろうか。


 本作では、ゲルマンはフェリックスのことを「いろいろあって破滅的になってしまった弟」として妻に説明する。ナボコフにも弟がいて、あまり多くが語られているわけではないけれども、どちらかというと才気溢るる兄に対して委縮してしまい、「ダメな僕」の役割を演じるようになった、そんな人物ではないかと個人的には考えている。このあたりの兄弟観も、あまたの作品から引っ張ってこれなくもないだろう。


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 『Dell ノートパソコン Inspiron 11 Celeronモデル ホワイト 17Q31W/Windows10/11.6インチ/4GB/32GB』


 昨年の八月に中古で買ったサブ用ノートが起動しなくなってしまった。恐らくバッテリーが駄目になり、バッテリーが空だと起動しなくなる仕組みになっているのだと思われる。自力で分解してバッテリーを交換するということができなくもないようだけど、そこまでやるのも面倒くさいし、メインメモリが 2GB であることに限界を感じていたので、思い切って買い替えた。しばらくパンの耳を齧ることになる。


2017/10/25
 孤独は紙やすりのように俺の皮膚を荒らした。詩を書くことで救われた人なんているの? もう何年も塵一つ震えたことのない物置の片隅で、右目の欠けたフランス人形が呟く。


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 『Amazon Music:The Beatles - Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Deluxe Edition)』


 このアルバムは基本的に全編夢の中にいるような音像になっているのだけど、それが「When I'm Sixtyfour」のところで急に破られる。それまでのサイケデリックで刺激的な雰囲気とは打って変わって、剽軽なバスクラリネット(違うかも)のリフが耳をくすぐる。本当に親しい誰かと二人だけの小さな部屋にいるような温かい曲で、アルバム全体を中和するような不思議な挿入感がある。


 「A Day In The Life」にも曲中のシークエンスとして「目覚め」を描いた箇所があるけれど(やはり、そこもポールの担当だ)、このアルバムの中にもそれと同じような場所があるというのは、偶然なのか、それとも故意の仕掛けなのか。はたまた、すべて僕の思い過ごしなのだろうか。壮大に膨れ上がった「夢」はいつか破けてしまうだろう。だから、小さな幸せを「現実」の中に見出さなければ、僕たちはバランスを失ってしまう。ポールはそんなメッセージを込めているのだろうか。


2017/10/24
 「【動画】ラ・リーガ第9節 レアル・マドリード vs. エイバル ハイライト - スポーツナビ「c 2017 Liga de Futbol Profesional/スポナビライブ」


 サンチャゴ・ベルナベウのピッチに立つ乾の姿は、なんだか大型バイクがぶんぶん走り回るサーキットに紛れ込んだ小型のカブのよう。チームはこの試合で守備的な布陣を採用し、乾が前線に残るシステムに。しかし、カゼミロあたりにガツガツやられて、思うようなプレイも出来ず、見せ場らしい見せ場はさほどなかった。チーム全体からも牙を剥くような気概を感じられなっかたので、ちょっと残念であった。この時期、何かと疲労がたまる頃合いなのかな。


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 『Amazon | 絶望 (光文社古典新訳文庫) | ウラジーミル ナボコフ, 貝澤 哉 通販』


 いよいよ、「完全犯罪」の全貌が明らかになってくる。なってくるのだが、本当にゲルマンの計画でボロは出ないものだろうかと心配になってくる。頭の中でいろいろシミュレーションしたとしても、それはそれ。現実というやつのノイズ量と言ったら計り知れない。どこから何が飛び出してくるか。


 例えば、赤の他人がそう簡単に自分の思い描く通りの行動をとるかどうか。彼の知らない意外な一面を持っていて、全くの善意から余計なことをやらかす可能性はないのか。何しろ、計画を聞かされた妻のリーダの危なっかしさと来たらない。どこかで簡単に口を滑らしそうだ。


2017/10/23
 無数の甲虫をや落ち葉を天高く巻き上げ、毛のない二本足の獣たちの心をざわつかせながら、一つ目の怪物が空を横切っていった。こやつは大した暴れん坊なのだが、置き土産にからりとした青空を残していくという、ちょいとばかし粋な一面も持っている。


2017/10/22
 「iPod touch」を使い始めた頃に重宝していたファイル管理ソフト「FileExplorer」が先日ヴァージョンアップし、ずっと繋がらなかったウィンドウズマシンの共有フォルダーに再びアクセスできるようになった。これは有り難いことこの上ない。これさえ出来れば、ローカルにあるファイルを自由に再生、鑑賞できるのだから。


 しかし、その喜びも束の間、フォルダ内ファイルの連続再生が止まる現象が起こる。これでは、アルバム単位での鑑賞が出来ないので、音楽プレイヤーとしては致命的なバグじゃないか。とほほ。


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 「ドラフト1位の引き際。あの豪腕投手は、なぜ27歳で引退を決めたのか (webスポルティーバ) - Yahoo!ニュース」


 小さな話。僕は中学時代、バドミントン部に所属していた。そして、誰にも気付かれてはいなかったと思うが、三年生の夏、最後の大会を前に軽いイップスに掛かっていた。ダブルスの際に、ショートサーブが打てなくなっていたのだ。それまでは比較的そのような小技を得意としていたのだけれど(フィジカルに恵まれていたわけではないので、どうしてもそういう方に走りがちだった)、最後の大会を前に力の加減が分からなくなり、低すぎてネットに当てたり、また相手にとっては打ち頃のふわりとしたサーブを入れてしまうかのどちらかに振れてしまい、ネットぎりぎりを超すちょうどいい軌道を描けなくなっていた。仕方がないので、ショートの振りをしてロングサーブを打つフェイントばかりやっていた。とりあえず、これなら凡ミスは無くせる。


 今思い返せば、本当の問題はイップスなどではなかったのかもしれない。実は、膝も痛かった(いわゆる成長期というやつだ)。でも、レギュラー五人の枠ぎりぎりのポジションで踏ん張っていた僕に、そんなことを言い出す勇気はなかった。ただでさえ何者でもない僕がそんなことをしたら、本当に何物でもなくなってしまう。いや、既に本当はもう何物でもないにもかかわらず、何食わぬ顔でそこにいることがおかしかったのかもしれない。何をしてみせたところで、自分のための居場所があるとはとても思えなかった。そういう少年は多分、僕一人だっただろう。うまく言えた気はしないが、この辺でご勘弁願いたい。


2017/10/21
 『Amazon | 絶望 (光文社古典新訳文庫) | ウラジーミル ナボコフ, 貝澤 哉 通販』


(I)
 僕の記憶違いでなければ、主人公がフェリックスと出会うシーンで、草原の向こうに真っ赤なガスタンクが見えるといったくだりがあったのではないかと思う。真っ赤で真ん丸なものと言えば、何か。僕がイメージしたのは(そして、皆さんもそうだと思うが)、道化師の付け鼻である。つまり、それはこの物語が完全犯罪成就の物語ではなく、失敗を描いた喜劇であることをその時点で宣言しているのではなかろうか。


(II)
 本作に限らず、ナボコフは何度か自涜行為について作品内で言及していると思うんだけど、そうやってことさら「あからさま」に語ってみせることで(「俺はこんなことは何とも思っちゃいないんだぜ」とでも言いたげに)、逆に強い「恥じらい」や「罪悪感」がその裏にあることを示しているように思える。フロイトに過剰な敵愾心を抱くのも、それが理由だろうか。


2017/10/19
 『Amazon | 絶望 (光文社古典新訳文庫) | ウラジーミル ナボコフ, 貝澤 哉 通販』


 つまるところ、この作品に乗り切れていない大きな理由の一つが、「語り手」であるゲルマンである。目の前に現れたドッペルゲンガーに対しても、奥方や友人・知人に対してもやや冷めているというか、見下したような物言いをし、何だか慈しみを感じない。セールスの仕事もつまらないし、何かと満足のいかない現状をえいやと放り出したいという気持ちが「完全犯罪」を夢見させるのだと言えば、物語を回転させるためにそうである必要があるのかもしれないが。


 彼のことばかり引き合いに出して申し訳ないが、ハンバート・ハンバートの場合はどうであったか。彼の思考は、歪み、そして病んでいるのかもしれない。しかし、彼は「芸術」を、そして己の中に強烈に焼き付いて離れない「少女」の幻影を愛している。愚痴ってばかりのゲルマンの話よりは、衒学的でもあり、いろいろな意味で興を惹かれる。よしんば彼の手首に手錠が嵌められているとしても、その告白録からは冷たさのようなものは感じられない。


2017/10/18
 「Youtube - 【ハイライト】フェイエノールト×シャフタール「UEFAチャンピオンズリーグ17_18 グループステージ第3節」」


 シャフタールには、ロナウジーニョがアトレティコミネイロに在籍していた頃に目を掛けていたベルナールがいる。上背はないが、テクニカルでスピードもある。代表にも以前はたまに呼ばれてはいたが、今はネイマール世代で攻撃陣も埋まってるから今後の選出は厳しいかな。


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 「Youtube - 【ハイライト】AOEL×ドルトムント「UEFAチャンピオンズリーグ17_18 グループステージ第3節」」


 香川がゴールを決めたというニュースが毎週のように入ってきたあの頃。ラインダービーでも圧巻のツーゴール(相手はあのマイヤーだ)。どっちつかずのボールが自分の前に転がってきたり、シュートが相手ディフェンスに当たってうまい具合にネットを揺らしたり、とにかくやることなすことが良い方に転がっているような印象だった。ブンデスリーガでそれだけ出来たんだから、アジア相手なら楽勝でしょ、これでもう日本代表の慢性的決定力不足も解消だ、多くの人がそう思ったはずだ。


 しかし、輝きに輝き、サポーターからも熱烈に愛されたあの時の香川はもういない。マンチェスターへの移籍は彼と代理人をリッチにしたかもしれないが、ベンチで試合勘を失い、プレイヤーとしては急激に失速することになる。そんな燻ぶりから脱して夢よもう一度と復帰したドルトムントであったが、彼を愛してやまなかったクロップもそのシーズン終わりで退任。新しい指揮官であるトゥヘルからは時にはかなりすげないとも思える扱いを受けた。戦術も変り、彼がブレイクしたポジションも失われていた。慣れ親しんだ場所に帰ってきたつもりだったが、そう簡単に時計の針を戻すことは出来ない。


2017/10/17
 「Youtube - Eredivisie speelronde 8 - FC Utrecht - sc Heerenveen」


 中位同士の対戦で完敗。こういうの獲っていかないと上位進出は厳しいね。ウーデゴールももう一伸び欲しいところ。小林はきっちりレギュラーポジションをつかんではいるが、欲を言えばもっと攻撃的なシーンに絡んでほしいところだ。このままだと相手にとって「怖さ」のない選手になってしまうんじゃないかなあ。


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 「Youtube - Samenvatting FC Groningen - AZ 1-1 (15-10-2017)」


 ガンバユース期待の傑作、堂安。プレシーズンは張り切って結果も出せたんで、開幕戦は非常に意気揚々と臨んだと思うんだ。それが、惨憺たる出来栄えに終わり、しばらくベンチ暮らしが続いてた。まあ、早めに挫折を味わっておくのもいいかもしれない。やはり、そう簡単ではないよ、と。今節は、アグレッシブに動き回り、同点となる PK を獲得するなど、チームに貢献。


 実際、オランダに渡った日本人選手はそれなりにいるけど、成功率自体はそんなに高くない。夢破れていつの間にか帰国しているというケースも多い。いつかはアヤックスに日本人プレイヤーが誕生してほしいと常々願っているけど、現状ではまだそんなこと言ってられるレベルじゃないな。


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 「Die Schanzer - Kader - Watanabe」


 前橋育英出身の渡辺凌磨。ナイキの若手発掘プログラムに合格し、いろいろ進路にも悩んだと思うが、最終的にはドイツ二部のインゴルシュタットの下部チームと契約。今季からは晴れてトップチームとサインした模様。試合には出ているのかな。


2017/10/16
 『Amazon | 絶望 (光文社古典新訳文庫) | ウラジーミル ナボコフ, 貝澤 哉 通販』


 もちろん、まだ僕はこの作品の「語り手」を好きにはなれない。しかし、この「作品」のことはもしかしたら最終的には好きになってしまうかもしれない。本作は、ある「犯罪計画」を画策する男を通じて、何か別のことを表現しようとしているのかもしれない。つまりは、「創作」や「芸術」というものについてのナボコフの考え方のようなものを。


 旧訳版で読んだ時、僕は「犯罪計画」の方に気を取られてしまい、その間に挿入される語り手の「述懐」をノイズとして意識の外に押しやっていたような気がする。四の五の言ってないでさっさと「完全犯罪」とやらを進めておくれよ、と。しかし、今ではネガとポジが入れ替わったようだ。読み飛ばしてきた箇所に宝物が埋められていたのかもしれない。


 腐すようなことばかり書いてきたが、つまるところ、僕は今本作に夢中である。並行して読んでいた他の本に全く関心が向かなくなってしまった。やはり、これがナボコフの底力というものか。


2017/10/14
 急に寒くなった。日がな一日ネットラジオから流れる古いロックに少しばかりの慰めを貰って生きている。眠れないので食べられない。食べられないと満腹感がないので眠れない。昔馴染みの負のサイクルだ。さあ、どうやって抜ける?


 昨晩久し振りにギターを弾いたせいか、指先が痛む。こうして、俺の体は覚えたことを新しい物から忘れていくのかもしれない。初めてギターに触れたのは十八の時だ。モノにするには遅すぎる。何もない町で、何もない家に育った。文化にも砂漠というものがある。


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 『Amazon | 絶望 (光文社古典新訳文庫) | ウラジーミル ナボコフ, 貝澤 哉 通販』


 何故、「絶望」というタイトルなのだろう。今のところ、腑に落ちるようなエピソードにも出会っていないし、テーマがそれだともあまり思えないのだが。


 主人公は自分の目を通して自分に瓜二つだと思える男に会う。しかし、何度かそれは自分の思い込みに過ぎず、本当はちっとも似ていないのではないかと述懐する。鏡に対する妙な執着。「記憶の中のロシア」と「目の前のベルリンやプラハ」が重なりつつもずれていくような描写。そして、妻を挟んでその向こうにその従弟がいるという妙な三角関係。「対称性」があるようでいて実はそうでもない、そのような事例がこの作品には大小様々な形で散りばめられている。


2017/10/11
 「メッシ、土壇場でハットトリック!アルゼンチン、エース活躍で逆転W杯切符 (スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース」


 ひとまず、メッシのいないワールドカップは回避された。この重要な二試合でサンパオリは欧州組ではなくボカのベネデットをセンターフォワードに抜擢した。もし、このミッションが不首尾に終わっていたとしたら、どうなってしまっただろうと考えるとなかなか怖いものがある。ペルー戦ではそれほど目立てなかったので、かなり風当たりも強かっただろう。今回はそれなりにメッシのおとり役として絡めたようではあるが、ゴール後の歓喜の輪の中に彼の背番号が見当たらなかったのは気になる。


 周囲は錚々たるメンバーだし、そもそもメッシに認められなければピッチ内に居場所はないだろう。彼が本戦のメンバーに選ばれるかどうかは分からない。ディバラやイカルディよりは、監督の言うことをよく聞いてくれそうではある。サンパオリがチリ代表やセビージャで見せたような戦いをしたいのならば、ビッグネームを優先的に選んでいたのでは難しいに違いない。この辺りの人選に関しては、まだちょっとトラブルの香りがしないでもない。


 「予選でぶっちぎるものの、本選で欧州の強豪レベルの守備に太刀打ちできない」という時代が長く続いていたアルゼンチン代表。最近は、「タレントの総量に比すると、予選での調子は良くない」という傾向が強まってきた。二強以外のチームの底上げがかなりあったこと、メッシというあまりに偉大な選手をどう扱ったらよいのかについて未だに確かな答が出ていないこと(何人かの実力者がそれで代表を去った)、そういった原因が考えられる。今回、このような「産みの苦しみ」を経験したことで、彼らも新しいステップに進めるのだろうか。アルゼンチン国民が本当に「バルセロナ製のメッシ」を自分たちの仲間として愛するようになるだろうか。


2017/10/09
 あんな風に生き急ぐ愚かなりし俺を咎める人もなき、その寂寥。それを忘れていられるのも、カフェインが脳を通る時だけだ。


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 「レオン・バログン - Wikipedia」


 予選のハイライト映像なんかをいろいろ探し回っていたら、ナイジェリア代表に白人がいてびっくりした。検索してみると、元宗主国のイギリスの選手でもなくドイツ系で、しかもマインツで武藤の同僚であった。いろんな人生があるね。オリサデベとか、今どうしてるのかな。その後もポーランドで暮らしてるのだろうか。


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 いろんな動物を評して「好奇心が旺盛で」と言うことがよくある。「熊」とか「猫」とかは特に。好奇心が旺盛でいられるということは、「自分はそう簡単には死なない」という自身を併せ持っているということでもあるかなと思った。生命としての安定とどのような心理世界が可能かということの間に「マズローの階層」のようなものがありそうだ。


 鳥たちを見ていて最も羨ましいと思うところは、空を飛べることではなく、一心不乱に卵を温めるところだ(ただし、二つ産んでおいて、一つは見殺しにするようなのはアカン)。


2017/10/06
 『素粒子論はなぜわかりにくいのか (知の扉) | 吉田 伸夫 |本 | 通販 | Amazon』


 二回目の挑戦である。この命尽きるまでには、「量子力学」と「不完全性定理」を理解したいと思った若かりし日も、今は昔。当たり前のことだが、物理も数学もちゃんと正しい手順で石を積み上げなければ正当な理解に辿り着くことは出来ない。


 「教養としての科学」の水準の落としどころはどこにあるのかというのは正しい答のない話になってくるが、今は科学の語彙を用いて安易なアナロジーを振りかざさないように気を付けるくらいが関の山だ。僕らは素朴な「疑問」を問いかけ、専門家は噛み砕く努力をする。その相互の交通量の多さが科学的な民度となるといったところか。


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 「Youtube - 【深掘り】ブラジルは日本代表を見下してる? ー日本代表戦決定を現地はどう報じたかー」


 南米の翻訳された情報って本当少ないんだよね。昔は、個人運営のサイトでディープな現地情報を書いてくれるようなところがいくつかあったんだけど、今はそういうのもあまり見つからなくて。


2017/10/05
 『Prime Reading』


 遂にプライム会員向けに書籍の一部を対象にした読み放題が始まったようだ。創元推理の乱歩とか光文社の古典新訳などがちらほらあるが。それほど飛びつきたくなるほど嬉しいという内容では今のところないかなあ。


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 『Amazon | 絶望 (光文社古典新訳文庫) | ウラジーミル ナボコフ, 貝澤 哉 通販』


 つまり、僕がこの「語り手」に苛々させられるのは、彼がまるで鏡に映った自分自身に向かって喋りかけているような感じがするからなのかもしれない。そのような「対称性」やその綻びのようなモチーフが作品のそちこちに見られるようではある。


 しかし、それがどのように「芸術的体験」に結びついていくのかがよく分からない。このままでは、小説はただのよく考えられたパズルになってしまうのではないか。そして、僕はそれが解けずにただ頭をひねり続けるだけで終わってしまいかねない(そんな作品はこの作家に関しては腐るほどあるが!)。ナボコフよ、あなたは一体私に何を見せたいのか。遥かスイスからのエーテルの風に乗せて、そっと教えてはくれまいか。


2017/10/04
 一日一個のリンゴは医者を遠ざけるという。では、俺は今まで何を毎日食べてきてしまったというのか。


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 『Amazon | 絶望 (光文社古典新訳文庫) | ウラジーミル ナボコフ, 貝澤 哉 通販』


 ここまで随分とネガティブな感想しか書いてこなかったが、ようやくそこから解放されつつある。以前に旧訳版を読んだ時には見逃していたようないろいろな仕掛け(「分身」「鏡像」「二重写し」などなど)があちこちに見受けられるような気がして、次第に心がざわついてきている。語り手の韜晦振りにはこの段階でも苛々させられてはいるけれども。


 ナボコフの基本ルールは、「意味もなく置かれるフレーズやエピソードはない」というものだ。だから、「妙に引っ掛かる」箇所がある場合、そこには何かが隠されていると見るべきなのである。段々そのような箇所が多くなり、徐々に不安になってきている。それは「ストーリーを追う面白さ」と直接重なるものではなく、むしろそれを阻害するものですらあると思えるのだが、読者もまた「先を急いでページをめくろうとする者」と「立ち止まって仕掛けを見破ろうとする者」に「分裂」させられているのかもしれない。


2017/10/03
 孤独という唾液で現世から掠め取ったささやかな知識を塗り固め、自分だけの蟻塚を作っている。それがこの俺なのかもしれない。


   ***


 巨大な百貨店の中を駆けずり回り、昔馴染みのポーランド人に会う。何を売っているのかはよく知らないが、ここで販売員をしているのだ。
「やあ、元気だったかい」
「まあね、もう帰化して百年くらい経つんだ。お手の物さ」
「この建物のどこかにある催事場で、マッキントッシュの歴史と未来を展望するという展示をやっているそうなんだが、どうやって行ったらいい?」
 本当はそんなものに興味はない。ただ、会話が途切れるのを少し恐れただけだ。
「受付の天井にパンフがあるからジャンプして取ったらいい」
 しかし、いくらジャンプしてもそのガラスケースには手が届かなかった。そもそも、お目当てのパンフが一番手前にあるとも限らない。何て不親切なんだろう。仕方がないので、またフロアを駆けずり回ることになった。ここから先は大きな書店だ。近頃はちっとも本なんて買っていない。俺はどんどんと遅れている。そもそも何と競争していたのだろう。ああ、あそこに見えるのは講談社文芸文庫じゃないか? いつもながら美しい表紙だよ、今月は誰の作品が出るんだ? それにしても、いつまでこんなことが続くんだろう、どこまで歩いたらいいんだろう。畜生、何て長い書架なんだ、いつまでも通り抜けられやしない。


   ***


 『Amazon Music:Dokken - The Best Of Dokken』


 普段はこういう音楽を積極的に聴くことはないんだけどね。いつまでも「おすすめ」コーナーに出てくるからクリックしてみた。比較的癖のないヘヴィーメタルで、何も考えず爆音に包まれたいような時にはいいかもしれない。「悪魔」とか「地獄」とか出てくるのは苦手なんだよね。


 ホワイトスネイクも、プライムでよく聴くようになった。僕は急進的第二期パープル原理主義者だものから、昔はあまり手を出さずにいたんだよね。このバンドからは「自らの居場所を見つける大切さ」を学べる。パープル時代のデビカバは本当に窮屈そうで、こちらが息苦しくなっちゃうんだよ。この人の路線はポール・ロジャースとか、そっち方面だよね。イアン・ギランじゃない。


2017/09/28
 『Amazon | 絶望 (光文社古典新訳文庫) | ウラジーミル ナボコフ, 貝澤 哉 通販』


 この「読みにくさ」の原因は何か。端的に言うと、『ロリータ』の独白者とは違って、我々は本作の語り手に「何の興味もない」のである。チェコの郊外で偶然にも自分に瓜二つの男にあった、それが何だというのか。主人公はチョコレートの行商人をしているらしい。暮らしぶりは悪くないそうだが、全般的に余りリッチな感じも、都会的な感じもしないので、彼に魅かれる理由がない。この男の回りくどい文章を読み続けるためのガソリンがないのだ。


 それでも、僕が本作を投げ出さないでいるのは、ひとえにこれが「ナボコフ」の作品だからということに尽きる。それ以上の何かに化けてほしいところなんだが、実は旧訳版で一度読んでいるので、大体のところは既に分かっている。正直、それほど期待は出来ないのだが、「ナボコフ」のラベルが付いている以上は読み逃すわけにはいかないのである。


2017/09/26
 もしかして、「僕」や「私」、「自分」などを平仮名で訳さないと、旧訳と全く同じになってしまったりして、そうなるとそれは著作権に引っ掛かってしまうのかな(「ピエール・メナール」的問題などと言ったら、さすがに脱線しすぎか)。


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 「Youtube - 山本研究室 - 素粒子の性質から超新星爆発の起源を解明する新たな輸送理論の構築」


 ニュートリノには左巻きのスピンの物しかないんだね。物理的にはこの世のほとんどの現象が対称性を持っているが、このように所々でそれが破られている。多分、それらの綻びは何らかの理屈によって繋がっていて、この世界の在り方を規定しているに違いない。さあさあ、知ったかぶりで書けるのはここまでだ。


2017/09/25
 「Youtube - 岡田斗司夫ゼミ9月17日号「最高傑作SF『エイリアン』誕生前夜を『エイリアン・コヴェナント』が公開された今だからこそ振り返る〜だから〇〇は面白い!」


 エポック作品である『エイリアン』が世に出るまでを関係人物や時代背景と共に語り尽くす痛快で濃密な一時間。幻のポランスキー版『ドゥーン』の話がたくさん聞けて良かった。SF映画好きには「いまさら」「言わずもがな」な話なんだろうけどさ。


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 「【動画】ラ・リーガ第6節 ジローナ vs. バルセロナ ハイライト - スポーツナビ 2017 Liga de Futbol Profesional/スポナビライブ」


 シーズン開幕直前のスーパーカップをマドリードが手にした時、誰もが凋落するバルサと黄金期に突入せんとするマドリードの交差する姿を見たと思ったはずだ。ところが、リーグ開始から六節を迎えた時点で、バルサは一つの勝点も逃すことなく勝利を重ね、逆にマドリードはいくつかの厄介な伏兵に足元を掬われ、五位に甘んじている。


 単純に考えれば、あの時点でほとんどすべてが順調だったマドリードの油断によるロスが存外大きく、バルササイドからするとその危機感がチームの雰囲気を引き締め、普段なら騒がしくなる内紛問題などを抑制できたのではないかと言い訳めいたことを言ってみたくもなる。しかし、長いシーズンにはいろいろなバイオリズムがあるものだ。バルサにここからの上乗せがあるかというと、さほどそんな感じもしないし、マドリードには現在欠けたピースがいろいろとある。ひとまず、早々に一強状態にならずに済んだのは、リーグ全体の盛り上がりを助けるためには喜ばしいことだろう。


   ***


 「まるで野球のスコア イグナシオ・スコッコの5ゴールなどで圧勝したリーベルが準決勝進出 コンメボル・リベルタドーレス 2017 準々決勝 2nd.Leg リーベル・プレート 8-0 ホルヘ・ウィルステルマン - Cartao Amarelo - 南米サッカーサイト」


 かつてモナコで活躍したクラブのレジェンドであるガジャルドを監督に据え、二部落ちの悪夢からようやく立ち直った感のあるリーベル。しかし、あのフランチェスコリやサビオラにアイマールといった時代を知る人間からすると、現状のメンバーには残念ながらヨーロッパのクラブが喉から手が出るほど欲しくなるような選手は見当たらないし(この点ではまだボカの方が俄然優位にある)、何だかこじんまりとしてしまったなという印象を受ける。


 そんなチームの中にあって獅子奮迅の活躍を見せていたサンチェスも既にメキシコに去ってしまった(多分、給料が良かったんだろう)。そんなわけで、僕を夢中にさせてくれそうな選手がピッチ上にどうにも見つからないのだ。「10番」のマルティネスはそれなりに面白い選手だが、かつてのレジェンドたちに比べると大分スケールが小さい。真の復活を遂げるにはまだ道遠しといったところである。


   ***


 「Youtube - Highlights Ajax - Vitesse」


 フィテッセ相手に完敗。こいつはどうしたことか。これはもうスロースタートの域を超えている。ボスの後任のカイザーの求心力がいまいちなのだろうか? 戦力は十分揃っていると思うのだが…。


 検索していたら、こんなニュースを見つけた。チームの中にまだ動揺があるのだろうか。


2017/09/23
 『Amazon | 絶望 (光文社古典新訳文庫) | ウラジーミル ナボコフ, 貝澤 哉 通販』


 残念なことに、また平仮名が多すぎる。これはこの文庫の方針で、何かガイドライン的なものがあるのだろうか。差別化を図るあまりに、大事な部分まで溶かしてしまっているような気がしてならないのだが。


 作品が飛び切りに面白ければ、きっとそんなことも気にならないに違いない。つまり、残念なのは平仮名と漢字のバランスだけではないのだ。やたら持って回った言い回しをする語り手に早速辟易させられている。もちろん、あのハンバート・ハンバートだって勿体付けの塊ではあるのだが、何かが違う。果たして、この先楽しく読み進めることが出来るのだろうか。こんなところで「絶望」している場合ではない。


2017/09/22
 「Youtube - 【NIMS WEEK 直前限定公開】 原子の立体配置が見える!」


 極細に成形した金属から、レーザーで一層ずつ原子を剥ぎ取ってマッピングするという技術。最早、何が何だか。


2017/09/20
 「【動画】ラ・リーガ第5節 バルセロナ vs. エイバル ハイライト - スポーツナビ(c) 2017 Liga de Futbol Profesional/スポナビライブ」


 余裕のゴールショーでエイバルを蹴散らしたバルサ。いろいろ疑問視されていたパウリーニョだけれども、チームにいささか欠けていたダイナミズムや大胆さを持ち込むことに成功しているようだ。中国で溜め込んだ鬱憤も大いに晴らしているに違いない。その姿に、パリでぐずぐずしていたところをバルサに引き上げられ、そこで世紀の大化けを果たしたロナウジーニョのことを重ねてみるのも一興かもしれない。


   ***


 先日リンクを貼った動画にはそのシーンは映っていなかったが、ネイマールとカバーニが PK キッカーを巡って試合中に揉めていたらしい。ハイライトだけで総論をぶつのは控えた方がいいな。話自体はスター軍団にありがちな話ではある。カバーニは得点王が獲りたいだろう。しかし、ネイマールもバロンドールが獲りたいのだ。


2017/09/18
 「Youtube - Paris Saint-Germain - Olympique Lyonnais (2-0) - Highlights - (PARIS - OL) _ 2017-18」


 国内の難敵の一つであるリヨンを、攻めの姿勢で寄り切った格好になる。公式的には共に相手のオウンゴールだが、シュートに至るまでの過程は美しいものだ。イブラヒモビッチ時代は「王様とその他大勢」という雰囲気だったが、今は前線の三人にいい関係が見て取れる。カバーニは自信を取り戻し、ムバッペは陽気そうな笑顔を見せる(何しろ、前途洋々この上ない身の上だ)。ネイマールも多くの同胞に囲まれて楽しげである。


   ***


 「Youtube - Highlights ADO Den Haag - Ajax 1-1」


 一方、アヤックスはなかなか調子が上がらない。スロースタートはその国の盟主的なチームの伝統のようなものだが、オランダでそれをやってしまうとヨーロッパのスケジュールに間に合わなくなってしまう。今期は既にヨーロッパ・リーグからも脱落し、昨シーズンの準優勝で味わった喜びもすっかり萎んでしまったことだろう。こうなると、国内の制覇は至上命題となるが、もはやかつてのような圧倒的な戦力差を国内でも維持できない状況だ。僕がアヤックスに初めて魅せられた時代には、デンハーグ如きと言っては失礼だが、五点くらいとって軽く粉砕していたものである。時は流れた。


2017/09/17
 急に気温も下がって、妙に物悲しい空気が漂う。夏の間に僕の皮膚を珊瑚のように覆った孤独が冷やされて収縮し、悩ましい痛みが走った。


   ***


 「【動画】ラ・リーガ第4節 ヘタフェ vs. バルセロナ ハイライト - スポーツナビ(c) 2017 Liga de Futbol Profesional/スポナビライブ」


 自らのシュートがテア・シュテーゲンの指先を超えてゴールに吸い込まれた時、柴崎の脳裏には試合後に続々入ってくるであろう友人知人からの祝福の言葉の数々がよぎったに違いない。このまま勝利でもすれば、明日のスポーツ紙は彼のことで持ち切りになるだろう。ヘタフェの柴崎、ここにあり。世界がその名を口にするのだ。


 その彼が後半開始直後、自らピッチに座り込むことになる。試合の前半には、バルセロナのデンベレも負傷からの交代を余儀なくされていた。移籍したての選手が張り切って無理をするのはアピールのためにもよくあることだ。そんな彼の背中を見送った時には、まさか自分もその列に加わることになるとは思いもしなかっただろう。深刻な怪我でなければよいのだが。


   ***


 「Youtube - 【公式】ハイライト:ヴィッセル神戸vs北海道コンサドーレ札幌 明治安田生命J1リーグ 第26節 2017_9_16」


 デビュー戦の二ゴール以来、得点のないポドルスキー。他の選手が点を獲った後の歓喜の輪にその姿が見えないのがいささか気掛かりだ。基本的には王様としてプレーさせてあげるのが一番いいのだろうけど、さすがに今のサッカーでそれをするのはね。ネルシーニョはハードワークを求めるタイプだったし、彼にとっては扱いにくい客人というところだったろう。


2017/09/16
 『宇宙をめぐる地球〜その秘密に迫る-動画[無料]|GYAO!|ドキュメンタリー』


 サブマシンの IE で「GyaO」を観ていると頻繁に映像が途切れるので、「Firefox」をインストールしてみた。 2GB 機では厳しいかなと思ったが、存外軽快な様子。そもそも前回使ってたのは 512GB の XP 機での話だったから、それは参考にならないか。


 一連の科学ドキュメンタリーに案内役で登場するヘレン・チェルスキー教授がとてもキュート。きっとキャンパスでもモテモテで、もし僕が学生で同じ空間にいたとしても目もくれないに違いない。そんなことを想像するだけ空しいが。


2017/09/13
 『【ハイライト】バルセロナ×ユベントス「UEFAチャンピオンズリーグ17/18 グループステージ第1節」 - YouTube』


 サイクルの終焉を心配する声を余所に、ここまで順調に勝利を積み重ねているバルセロナ。チーム力は落ちたとは言え、そもそもの地力が違う。ネイマールの移籍はショックだったろうけど、その分一人一人が奮起すれば穴を埋められないこともない。とは言え、まだシーズンは始まったばかり。この先、いろいろな躓きもあるだろう。その時に持ち堪えていけるのかというところが気に掛かる。今のところ、メッシが新しい監督を気に入っていないことを伺わせるようなニュースを僕は目にしていない。


 『【ハイライト】セルティック×パリサンジェルマン「UEFAチャンピオンズリーグ17/18 グループステージ第1節」 - YouTube』


 カバーニ、ムバッペ、ネイマール。これもかなり強烈なトリオだ。パリの人々は毎試合お金を払ってパルク・デ・プランスに出掛ける価値があるだろう。しかし、ここまでは給料の差が歴然としているチームとの対戦がほとんどで、真の実力を測る物差しになっているとはいささか言い難い。この先順調に進めば、シーズンの終盤でバルサやレアルとガチンコの勝負をしなければならない日が必ずやってくる。もう何年もその壁に阻まれてきた。それを乗り越えるために二百億の男を獲得したのだ。


   ***


 『宮沢賢治全集〈1〉 (ちくま文庫) | 宮沢 賢治 | 本 | Amazon.co.jp』


 本書の後半四分の一程度は「異稿」集に当てられている。とは言え、本稿との違いがどうのこうのというところを気にしながら読んでいるわけではない。異稿それ自体で一編の作品として成り立っている。そもそもを言えば、本書はどのページのどの行から読んでもいい。ほとんどすべてが賢治宇宙の風景描写となっているので、一繋がりの世界なのだ。


2017/09/11
 『夢野久作全集〈4〉 (ちくま文庫) | 夢野 久作 |本 | 通販 | Amazon』


 この村には何もないものだからね、待ち合わせなんかしてもつい早くに出てしまって、何時間も前に目的地についてしまう。手持無沙汰ついでに頭の中で先にたんまりとお喋りしてしまうものだから、実際に顔を合わせた時にはもうお腹いっぱいでね。そんな調子だから、ここの人たちは滅多に人と会わない。そんな風に何でも早め早めに済ませる癖がついたものだから、死神に会うのも早くて、みんな早死にしちまう。この村では、四十まで生きられれば御の字じゃないかな。カケスの方が長生きするんじゃないかって、そんな風に思う時もあるよ。あいつらは山の実を食い放題で、好きな時に好きなところへ飛んでいけるんだからね。


 景気の良い時もあるにはあったさ。村にはちょっとした病院もあって、車の一台や二台はどの家も持ってた。発明好きの男がいてね、ほとんどは愚にも付かない代物だったが、玩具関係の特許がたまたまうまいこと行ってね。どっかの会社が大枚積んで買い上げていった。そいつは公民館を新しくしてくれたよ。それも二年前に取り壊されたがね。


 次の電車は三時間後だよ。ほれ、これが当時の写真だ。ここにいるのがお前のおっ母だよ。村には珍しい別嬪さんでね、こんな谷間に長居はすまいと思っていたが、案の定十五になる前に出ていった。その後のことはよう知らん。幸せだったのかい? まあ、聞かぬが花ということにしておくよ。


2017/09/09
 柴崎はさっそく試合に出たのか。サウジの過酷なコンディションでは真価を発揮したとは言えなかったけれど、ワールドカップ本戦までの間にどれだけ経験値を積み上げられるかが問われている極めて貴重な人材だ。移籍当初は様々な問題が報じられ、やはり彼の地は日本人には鬼門なのかと思われた。しかし、ピッチに立ち始めると、あれよあれよという間にチームの攻撃をコントロールする存在になり、昇格争いで重要な役割を演じることとなり、最終的にはその活躍に目を付けられ、苦しめた当の対戦相手に引き抜かれたのである。


 最も不安視されていたフィジカルもかなり改善されており、鹿島時代とは随分印象が違う。多分、移籍前から肉体改造に取り組んでいたのだろう。代表に呼ばれなくなったこの一年は、これまで順調にキャリアを積んできた柴崎にとっては小さな挫折の季節となったことだろう。しかし、そういった経験を持った選手の方が後になって大きな花を咲かせることが出来るということを、北京オリンピック世代の面々が証明してきた。


 個人的に想像するに、テネリフェに乗り込んだ当初は、ロッカールームでのラテンの雰囲気に面食らったのではないかと思うが、今では関係者がうまく間に入って守ってくれているんじゃないかと思う。そこでポシャらせるには惜しい才能だと評価されているのではなかろうか。こうして、「ヘタフェの小さな巨人」になる準備は整った。彼にとって重要な一年が待っている。


2017/09/08
 『宮沢賢治全集〈1〉 (ちくま文庫) | 宮沢 賢治 | 本 | Amazon.co.jp』


 想念を鯨とするならば、賢治の言葉は海原に溢れんばかりのオキアミだ。僕はたらふくそれを食べる。こんな幸福なことはない。しかし、その匂いを嗅ぎつけるやつらがいる。深い海の暗闇からきらりと光る目。それは無数のシャチだ。乾き切った常識や、喜びを知らずに大人にさせられた人たちの冷笑や、つまらない自己防衛から生まれた捕食者である。よく見れば、鯨の皮膚には無数の傷があるのが分かるだろう。それは、広い海を回遊する間についた戦いの跡だ。


2017/09/07
 『イクメン・オオカワウソ奮闘中 (吹替版)をAmazonビデオ-プライム・ビデオで』


 南米ペルーはアマゾンの源流に暮らす、その名もオオカワウソ。日本でペットとして飼われているコツメカワウソはイエネコ程度の大きさだが、こいつは大人になると二メートルにもなるらしい。なかなかの迫力だ。一家総出で掛かれば、子供を狙って寄ってくるワニをも倒す。


 また、あまり口が前方に出ていないので顔が丸っこく、ちょっと人間臭い顔をしている。こういう小顔の人、いるよね。


   ***


 『僕はカンガルー・ママ (吹替版)をAmazonビデオ-プライム・ビデオで』


 日本にも、情熱をもって動物の保護活動を手弁当でしているような人がたくさんいると思うけど、いろいろ大変だろうなと思う。当人が元気な内はいいとして、例えば病気になってしまったり、高齢化してこれまで通りに出来なくなったりした時に、どうやって引き継いでいくのかなということを考えたりする。


2017/09/06
 『悪魔を憐れむ歌 (字幕版)をAmazonビデオ-プライム・ビデオで』


 公開当時、テレビでコマーシャルをずいぶん流していた。それですごく気にはなっていたのだけど、何となく見逃していた一作。サイコサスペンスにオカルトを接木したような作品である。公開は九八年で、作品内の時代も同じだろう。夜の街がずっと危険だった頃のアメリカの風景。携帯はないが、インターネットはあるようだ。ただ、車のデザインはもっと古い時代のようにも見える。


 それにしても、何故デンゼル・ワシントンという人はこれほど膨大な数の作品に主演しているのだろう? 演技がべらぼうに上手いのだろうか? それとも、あまり敵を作らずに済む、どの層からも好感度を期待できるセイフティな存在だから使い勝手がいいのか。僕自身にとってはいまいち感情移入できるタイプの俳優ではないのだけれど。


2017/09/05
 『野生のホッキョクグマに密着!〜母と子の1年を追う〜 (吹替版)をAmazonビデオ-プライム・ビデオで』


 熊の映像はいいとしても、カメラマンの述懐がいささかナイーブすぎる気もするが。極地の氷が少なくなって、近縁種であるハイイログマと生息域が近しくなり、交配も始まっているとも聞くが、実際どうなっていくのだろう。それはそれで自然なのか。それとも、やはり我々が影響を及ぼしているという意味で不自然なのか。白熊がいつまでも白くなければならない理由が物理法則の中にあるわけではない。必要があれば彼らは何色にでも変わるだろう。


2017/09/04
 しかし、だ。よくよく考えると、あの両翼が走り回ってプレスするスタイルは、南アフリカ大会で岡田さんがやった本田のワントップシステムに立ち戻っただけではないのかという気もする。あれではさすがにやってる方はたまらないから、大枚叩いてイタリアから攻撃的なサッカーを信奉するザックを連れてきたのではなかったか。駒が揃って、コンディションが良ければ、それなりに力のあるチームではあったが、ブラジル大会では結局惨敗した。僕らから見える理由もあれば、僕らからが見えない理由もあるだろう。対戦相手を見れば、実力相応の想定内な結果とも言えるのだけど。


 これではいかんということで、本選向けにジャイアントキリングを可能にする戦い方を志向するようになった。そうやって、螺旋を描きながら、代表チームというものは進歩していくのだろう。攻撃だけの試合もないし、守備だけの試合もない。どちらも臨機応変にこなせるようになってこそだ。しかし、世界はその何周も先を悠々と走っているというのが問題なのである。


   ***


 クリスティーの偉いなあと思うところは、「最も犯人らしく見える人物が実際には犯人ではなく、最も犯人には見えない人物こそが犯人である」という一番狭くて難しいゲートをどうにか通してやろうという気概があるってところなんだよ。ミステリーの祖型となるようなグランドデザインを何枚も提出してみせた。それは今でも援用され続けている。


2017/09/01
 ネイマール効果もあってか、順調に滑り出したパリ・サンジェルマンだけれども、僕としてはネイマールより馬力があってヨーロッパに向いているんじゃないかと思っていたルーカス・モウラがタレント過多の影響でコンスタントな出場機会を得られずに伸び悩んでいる方が気になるね。パストーレも、イタリアで頭角を現し始めた頃は、メッシを始めとした多彩な前線を操るコンダクターとして代表の中核を担う存在になるはずと思ってたけどなあ。ビッグイヤーを狙うにはこのくらいの余剰人員も必要なのかもしれないけど、非常にもったいない話。


 井手口はいいね。あれだけ走れて、長いパスを左右に散らせて、美しい軌道のミドルシュートも決められる。あの細身の体にはサッカーに最適化された動きの美しさがあるよ。ルカクとか、バロテッリとかはさ、多分、サッカー以外のスポーツでも十分成功できたと思うんだよね。だから、そのくらい出来ておかしくないよねって感じでさ、今一つトキメキがないんだよな。バッジオみたいな、そこらにいそうな体格の兄ちゃんが魔法のようなプレーをするから、フットボールは面白いと思うんだ。


2017/08/27
 『野生のオオカミを探せ!〜北米の大自然に生きる (吹替版)をAmazonビデオ-プライム・ビデオで』


 イエローストーンにオオカミを放ったところ、生態系が激変し、動植物が豊かになったという話は、確かに魅力的ではある。増えすぎた鹿を抑制し、若芽が食べ尽されることがなくなり、食物連鎖のサイクルが円滑になるということらしい。


 この興味深い動物に対しては、古くからの恐れや、その裏返しとしての礼賛が渦巻いており、まだいい落としどころを見つけられていない気もする。オオカミを絶滅させるべきだと主張する男性の感情は本当にオオカミに由来するものなのだろうか。また何か別の病理が潜んでいる気がしないでもない。


 それに、ここにもある種のリアリズムを盾にした伝統保守と、豊かな社会に生きてきた世代の楽観的な空想リベラリズムの対立が隠されているのかもしれない。そもそも、動物を保護するとは一体何であるか。密猟や乱獲に心痛むのも確かだが、僕自身それほどクリーンだと言い切れるのか。いささか込み入った話である。


2017/08/26
 『ハゲワシ 美しき野獣 (吹替版)をAmazonビデオ-プライム・ビデオで』


 しばらく新しいネイチャー物のドキュメントの追加はなかったが、今日見てみたら二〇一〇年代製作の BBC アース近作がどどっと。


2017/08/24
 湿度が八〇パーセントを下回り、俺もようやく正気を取り戻す。部屋を飛び回る熱帯魚もいないし、扇風機の陰に隠れたワニもどこかに去った。しかし、カフカの文庫が一冊どうしても見当たらない。頭がペンギンで体が人間の男(しかも、何も履いていないので目のやり場に困る)が言うには、髭面のコロンビア人が数千匹の蝶に引かれてふわりと浮き上がった馬車に乗って故国に持ち帰ったのだという。
 「大丈夫、秋には落葉と一緒に戻ってくるさ。そんなことばかり気にしていないで、ほら、温かいミルクをお飲み」
 温め過ぎでパンから吹きこぼれんばかりの白い泡が俺の部屋を満たしていく。あたりは脂肪の匂いでいっぱいだ。俺は白熊の子供のようにそれを胸一杯に吸い込む。こうして、夜はみだらに過ぎる。時間はいつまでも手を洗うのがやめられない少女のように冷蔵庫の脇にうずくまる。


2017/08/21
 俺のふやけた指先に柳の船を浮かべて遊ぶ子供たち。瞳の水たまりで跳ねたのは一匹の泥鰌だ。睫の葦では田螺が涼む。


   ***


 神戸の新監督候補にファン・ハールの名前が挙がっているそうだけど、どうかね。成績が云々というより、彼に日本人を一年間みっちりトレーニングしてもらいたいとは思うよ。 AZ の時には無名の選手がどんどん代表レベルにまで育っていったし。


 アヤックスに日本人が加入してトップチームでプレーする日はいつ来るのだろう。”野人”岡野が練習生として参加して以来、誰かあのユニフォームに袖を通した選手はいるのだろうか。


2017/08/20
 今夜も全てがふやけてしまうほどの湿気だ。試しに部屋の壁や本棚を指先で撫でてみたところ、塗り立てのペンキのように色彩が混ざり合って溶けた。そうか、僕らが見ているものは、本当は全て誰かによって描かれたものだったんだ。あの町も、あのつまらなそうな顔した連中も、全て幻想だったというわけ。楽しくなってあちらこちらを触りまくって滅茶苦茶にしてやった。あははは、これぞ天然のジャクソン・ポロックじゃないか、愉快、愉快、あははは…。そうだ、明日から俺はワニとして生きるぞ、何しろ、奴らは強力な免疫力で風邪ひとつ引かないというじゃないか。さらば、人類、さらば、愛しき人、もう湿り気なんぞ、恐るるに足らぬ。


2017/08/19
 全く、今日もやりきれないほど湿っている。部屋の中をエンジェルフィッシュがぷいぷいと漂っているし、心臓からはたくさんの蓮の花が生えてきた。僕のベッドでは半透明のマルケスがカフカを読んでいたく感動している。彼が言うには、このくらいの湿気などマコンドでは序の口だそうだ。戸棚を開けたら滝が流れ落ち、庭には飼犬を一飲みにする三メートルの肺魚が土中に眠る。


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 「ECM」って、「エゴイスティック・コケイジャン・ミュージック」の略じゃなかったのか。


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 「Youtube - 会レポから「Ryzen Threadripper」まで『今週のASCII.jp注目ニュース ベスト5 』 2017年8月18日配信」


 スマホにして思ったことは、結局一度使い始めると二年程度での買い替えサイクルに否応なく巻き込まれるということだ。以前使っていた PHS は購入価格ゼロで九年くらい使ったわけだけれども(バッテリーを換えたことすらなかった)、このランニングコストはスマホでは不可能だろう。「P9lite」はポイントをフル活用して一万一千円くらいで買えたのだが、二年で乗り換えるとしたら年間五五〇〇円掛かったということになる。実際にはガタが来るまでは使い続けるつもりなのでもう少し低く抑えらえるとは思うけど、どんどん高額化しているアップル社製の機器を使っている人は、ここが結構大変じゃないのかな。


 今の気分で言うと、通話は通話専用のデバイスで、ウェブでのお楽しみはタブレットにという形でセパレートしたいなという気分なので、次に買い替える際にはもう少しミニマムな機種を選ぶと思う。とは言え、あまりもっさりされても困るので、メモリーや CPU はある程度しっかりとしたものが欲しい。カメラはそこまですごくなくてよい。価格は二万円以内が望ましいが、二年も経てばまたエントリークラスの基準価格値も変わっているかもしれない。


2017/08/18
 湿度が八〇パーセントを超えると、空中で熱帯魚が飼えるという噂を耳にしたが本当だろうか。


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 僕はないと思ってたんだけど、結局ネイマールがパリに移籍しちゃったね。ただ一人選手が抜けたというだけでなく、これでチーム全体の気持ちがいったん途切れるような気がするよ。デウロフェウはネイマールほどの選手ではないし、ペドロのレベルにすらあるか分からない。コウチーニョはスーパーな選手だけど、アンリもズラタンもビジャもセスクも適応に苦労したじゃん。あのパターンになりそうな気もする。


 何しろ、あの三人で楽しそうにやってたのにさ、あれが出来ないんじゃ、メッシもスアレスもいまいち気持ちが入らないんじゃないかな。新加入の選手はどんどん小粒化しているし、屋台骨を支えてきたカンテラ組も高齢化してる。さすがに大きなサイクルの終わりと言わざるを得ないところか。そもそもライカールト以来、これほど黄金期を短期間でいくつも生み出してきたことが異常な状態だったというべきかも。


 ロナウドはいろいろ騒動もあったけど残留か。いろいろ内部に火種を抱えてはいるけど、ジダンのカリスマ性が巨大なショックアブゾーバーになってるのかな。落ち目のバルサを尻目にタイトルをいくつも獲得し、チーム全体が「よし、これでしばらくいけるぞ」という期待感に溢れてる感じはする。忌まわしき「世界中がバルセロナを妄信・礼賛する時代」がようやく終わるのだ。


 ロナウドは省エネプレイに徹すれば得点の量産はまだ可能だろう。中盤に揃ったタレントが気分良くプレーできれば、いくらでもボールは出てくる。昨今流行りのインテンシティには欠けるが、彼らはそもそも王様の群れだ。馬車馬のように走り回る必要はない。


 トゥウェンテの開幕戦ハイライトを観たら、あのイケメントルコ人フォワードはいなかった。どうやら、ビジャレアルに移籍したようだ。いろいろあったけど、再浮上してきたイエローサブマリン。また面白い存在になってきた。ボカでブレイクしたセンチュリオンはジェノアに行ったのかな。相手が苛々してくるほどのこねくりドリブルをイタリアでも披露できるか。


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 スペースデブリとか、太陽嵐とかを考えると、本格的な「宇宙時代」を迎えるにはいろいろセーフティネットを周到に準備しておかないといけない感じ。このコストがどのくらいになるのか。もしくは、何か画期的な技術で乗り越えていけるのか。人類に放射線への耐性が付くとか、そんなレベルの。


   ***


 「AccuRadio」で一九七一年の音源ばかり流すチャンネルというのがあって、これがすごくいい。ツェップ、ストーンズ、キャロル・キング、名曲揃いだ。


2017/08/14
 現バージョンの「AccuRadio」は、イヤホンジャックの抜き差しをしただけでも落ちてしまう。困ったもんだ。


 つらつらと聴き流していて、ちょっと風変わりで面白い曲だなと思って画面をオンにしてみると「ジェスロタル」の曲だったということが何度かあった。日本での知名度は今一つだが、英国では実力派のライブバンドとして七〇年代以降も結構な集客力を持っていたとかいう話を聞いたことがあるような気がする。ジャンルとしてはプログレに分類されがちだけど、またちょっと毛並みが違うんだよね。


 他に今まで素通りしてきた名前だと「J・ガイルス・バンド」や「スティーブ・ミラー・バンド」といったスワンプ系に楽しい曲が多いかな。その系統だと「アトランタ・リズム・セクション」を昔よく聴いていたけど、このバンドはまだ一回もこのアプリでは掛からない(付記:というのは勘違いで、「The Boys Are Back I Town」という曲がちょいちょいオンエアされていた。昔聴いていたベストには入っていなかったのでそうとは思わず聴いていた)。


 結局すべてのポップソングはポール・マッカートニーに歌ってもらえばいいんじゃないかとかいうことを考えていた。声そのものが圧倒的にチャーミングというのは、それだけで訴求力を持つ。エルトン・ジョンとか、僕にはちょっと声が残念な感じなんだよね。ビーチ・ボーイズにはまれないのも声によるところが大きい。「ロング・トール・サリー」も本家より、ポールの方が格段にいい。リトル・リチャードの天然の暴走感もそれはそれで良いが、ポールはワイルドさとスウィートネスを完全にコントロールしている。それでこそポップソングってもんじゃなかろうか。


 しかし、ソロになってからのポールは「ペニー・レイン」や「ユア・マザー・シュッド・ノウ」のような水準の曲を一つも書いていない。ソロ以降のサポートメンバーも正直パッとしない。彼くらいになればいくらでも凄い人材を発掘できただろうに。


2017/08/11
 「2048」というパズルゲームを大きな盤面でやっていると、いっかな詰むことがなく延々と続けられてしまう。気が付けばスマホのバッテリーを何十パーセントも消費し、集中のし過ぎで息抜きの域を超えてしまっている。実に非生産的な時間である。困ったもんだ。


 目の前の小さな困難をせっせとこなしているうちに、やがてより深い階層にある大きな問題を解決することが出来る。このゲームのコツを一言で言えばそんなところだ。そういう意味では、アルゴリズムとは何かということを考えさせなくもない。無論、そんな小理屈を捏ねても、失った時間を取り戻せるわけではないが。


2017/08/10
 『飢餓海峡をAmazonビデオ-プライム・ビデオで』


 いつまでもそんなお菓子みたいなミステリーを読んでいてはいけないのではないか。十七歳の僕にそんな天の声が聞こえたかどうかは今ではもう定かではないが、水上勉の『飢餓海峡』のことは「文芸とミステリーが融合した問題作」として目の端に捉えてはいた。しかし、何だかタイトルからして物々しいし、文庫も結構分厚く、ダウナーな話にも思えたので、代わりに中公文庫から出ていた『爪』という作品を古本屋で買って読んだ。多分、百円かそこらで買えたからだろう。


 以来、僕は文学に目覚め、市中の古本屋を梯子しては古今の名作を読み耽った…のなら良かったのだが、生憎とそんな御伽噺にはならなかった。『爪』がどんな作品だったかも少しも覚えていない。多分、いろいろな意味でまだ早すぎたのだろう。第一、今でもまだ「文学」という単語が何を指しているのかがよく分からない。青春の蹉跌は今も続いている。


 映画に話を戻そう。最初の一五分ほどを観たが、正直に言って、現在の映像作品の水準に照らしてしまえばいろいろと緩いところがある。それを大目に見ながら鑑賞する習慣が日本映画に対しては出来上がっている。作り手もそれを最初から半ば無意識的に勘定に入れているのかもしれない。騙そうとしているのだから騙されてあげよう。ガラパゴス市場の妖しい共犯関係。


 そんなわけで、そこでいったんブラウザを閉じてしまった。もう少し我慢をすれば、この緩さにも馴染んでくるかもしれない。映画と僕との間ではどちらを支援すべきなのか。その答はまだ見つからない。


2017/08/05
 軽はずみな行為だったと反省している。大体、ウィンドウズのアップデートが無事に済んだ験しがない。昨晩、サブのマシンでそれを行ったところ、再起動直後だけだったのだが、サウンドドライバーが消えていた。当然音が出ない。サウンドのプロパティを見ても空っぽ。検索などしてあれこれ探っている間にスピーカーアイコンが無事に表示されるようになったのだが、これは非常に焦った。恐らく、再構成に伴う重たい処理があってドライバーの読み込みが遅れたのだろうと思うが。 2GB の非力マシンにはやはりこの OS はきつい。タイニーな構成向けの軽量版でもリリースしてくれないものかね。


 このアップデート後、 IME の状態を画面中央に一瞬表示するようになった。状態が変わるたびに「あ」とか「A」とかちらちらと表示されては消える。こいつは鬱陶しいことこの上ない。とりあえず設定で消せるので一安心だけど。別にそういう機能を追加するのは構わないけど、デフォルトではオフにしておいて、「こんな機能追加がありますよ」というアナウンスを先にしてほしいね。


  IE のツールバーに「エッジで開く」なるお節介なボタンが。全然使っていないので、この新しい推奨ブラウザのことはすっかり忘れていた。右クリックの拡張さえ出来ない退化したブラウザを誰が歓迎するというのだろう? ボタンは「インターネットのプロパティ」から消せる。


 これはアップデート前からある現象だが、「AutoHotkey」のホットキーを何かのタイミングで OS が乗っ取ることがある。「AutoHotkey」の再起動で再び優位を取り戻せるのだが、何かと面倒くさい。「Win+G」は乗っ取られるわけではないのだが、ゲーム機能関係のホットキーと被っていて、余計なポップアップがいつも一緒に表示される。これは今のところ消すことが出来ない。


   ***


 「AccuRadio」が頻繁に落ちるようになってきた。画面をオフにした後でアプリに戻ろうとする時にそのまま終了してしまう。アプリストアは古いヴァージョンもアーカイブしてインストール可能にしてくれないかなあ。


 僕の「iPod touch」はいわゆる第五世代機だけど、これ自体がそろそろスペック不足で最近のアプリに耐えられなくなってきている感じがひしひしと。プライムミュージックも大分動作が重くなってきた。もう余計なことはせずに、このまま壊れるまで使うのがベターかもね。


2017/08/03
 読書がしたくてたまらないのだが、いざとなるとこの蒸し暑さにやられる。ハイゼンベルグの文体は喉元まできっちりとボタンを留めたワイシャツのようだし、進化論のややこしさは僕の思考をポップコーンのようにあちらこちらに弾き飛ばす。結局、気が付けば海外ドラマや野生動物のドキュメンタリーなどで時間を潰している自分を見出すのである。いかにも、太陽は罪な奴。


 移転先は確保してあるので、その内報告いたします。


2017/08/01
 ページの上の活字がふやけて隣の文字と繋がり、川のように流れ出すのをじっと見ていた。これでは読書どころではない。平仮名は蛇行し、画数の多い漢字のところではインク溜まりができ、そこにボウフラが発生していた。ははあ、なるほど、「虫」に「文」と書いて「蚊」と読ませるのはこれが理由だったのか。


 俺たちはかつて太古の海にいたのに、そして今も母親の胎内では水浸しだというのに、どうしてこうも蒸し暑いのに弱いんだろうな。こんな夜は魂が溺れる。


2017/07/26
 『クリミナル・マインド/FBI vs. 異常犯罪 シーズン8 (字幕版)をAmazonビデオ-プライム・ビデオで』


 第十話まで観たが、エピソードごとに緊迫感に大分差がある。放送が始まった当初はまだ「プロファイリング」というものの賞味期限が切れていなかったのだろう。しかし、今はそうではない。リベラルの風向きが悪くなるのと同じ理由によって、行動分析もインテリの戯言として貶められる傾向にある。それ以前に、説得力のあるプロファイルをこのドラマは既に提供できておらず、いささか看板に偽りありといった状況である。


   ***


 『アフリカ ワイルドホライズン (字幕版)をAmazonビデオ-プライム・ビデオで』


 内容の説明とエピソードナンバーの間にずれがあるようだが、一気に観たので問題ない。他のシリーズで既に取り上げられていたようなトピックも多いが、アフリカの野生動物たちの姿を心行くまで堪能できる。シマウマの逞しいお尻はなかなかセクシーだし、ヘビクイワシの足はまるでタイツを履いているようだ。


   ***


 その鰐は発見された時、優に六メートルを超える巨体であった。そもそもは、何処かの不注意なペットショップから逃げ出したのだろう。都市の地下を縦横に走る下水管の迷宮の中で何年も暮らしているうちに、いつしか金属やプラスチックも消化できるようになったらしい。鱗は銀色に煌めき、歩く度に金属のきしむ音が響いたという。通常の麻酔銃では歯が立たず、自衛隊に応援の要請があったと記録に残されている。政府が正式に日本が亜熱帯気候に属するようになったと発表したのは、その数日の後のことである。


2017/07/20
 『ゼロの焦点をAmazonビデオ-プライム・ビデオで』


 「己の出自や過去が暴かれると差別や排斥の対象となるため、事情を知っていたり、探りを入れてきたりする人物を亡き者にしていく」という物語の骨子は、『砂の器』と同じだね。だとすると、究極の「真犯人」は「日本の社会」だということになりはしまいか。彼らが罪を犯すのは、そこから追い出されることを防がんが為なのだ。その動機付けがそもそも存在しなければ、事件は起こらない。


 クリスティにも誰かが誰かに成りすましていることが事件の発端になっているという作品が結構多い。とは言え、そこにイギリス特有の階級社会に対する告発のような匂いはない。むしろ、肯定的だと言っていいくらいだ。クリスティ自身がその社会の安定から恩恵を受けているのだから、当然と言えば当然か。


 そもそも社会問題に対する啓発としてミステリーは有効なのかどうか。僕はいささかその点を疑問に思っている一人ではある。


2017/07/19
 『ゼロの焦点をAmazonビデオ-プライム・ビデオで』


 何から話し始めたものか迷う。松本清張は僕にとって複雑な作家だ。世間的な評価と実際の読後感があまりマッチしない。『点と線』、『ゼロの焦点』、『砂の器』、タイトルのセンスは実に素晴らしく、背筋をゾクゾクさせる。謎めいた導入部は毎回見事だ。しかし、僕の心がときめくのはここまでなのである。トリックのためにしつらえられたような無理な展開やセリフの数々に段々と心が離れていく。とは言え、この現象が起こるのは清張作品に限った話でもないわけだが。


 白黒の映画を観たのも随分久方ぶりのような気がする。画面に慣れるまで、ちょっと怖かった。当時はこれが「最新技術」で「ハイカラ」なものなんだろうけど。


 主人公の女性が上着の襟をつかんで首や胸元を隠すように手繰り寄せるというシーンが序盤に二回出てくる。ストーリーとはさして関係ないちょっとした所作だけれど、彼女の身持ちの堅さを示したり、そこはかとなく匂わされた性的なニュアンスに対する抵抗のようなものとして読み解くことができる。


 結局、失踪した男が何故二重生活を送ることになったのかがよく分からないんだよな。多分、似たような事件は実際にいろいろあったんだろうけど。事件の背景を解く「キーワード」として「パンパン」という語が頻繁に出てくるけど、これって当時もそんなにすらすらと普通の人が使ってたのかな。作家が焦点を当てたいがために変な重さになってる気がするんだけど、これも清張作品には馴染みの風景か。


2017/07/17
 『ハッブル宇宙望遠鏡 25年の軌跡-動画[無料あり]|GYAO!|ドキュメンタリー』


 人類が成し遂げた最も美しい業績の一つであるハッブル宇宙望遠鏡。主鏡の歪みの件は有名だが、打ち上げ直後のソーラーパネルの不具合の話はここで初めて知った。その他、関わった人物からの直接証言が多数で見応えがある。主鏡の不具合も、工期短縮から来る組織間の連携ミスだったようだ。我々の周りにもよくある話じゃないだろうか。それにしても、本当に理解して喋っているのか分からない上院議員の政治的パフォーマンスにはちょっと辟易ですな。


2017/07/15
 『Amazon Music:Bill Evans - From Left To Right』


 フェンダーローズもエヴァンスも共に愛しているが、さすがにうどんとピザのようなミスマッチ感は否めない。おまけに大甘なオーケストレーションまで被せられ、これじゃあまるでカルロス・ジョビンの『イパネマの娘』だ。あれは空間を一気に「昭和の喫茶店」に変貌させる名盤だけれど、エヴァンスにそんなものを求める人はいまい。


 リリースは一九七〇年。時代はどんどんエヴァンスをシーンの隅っこに追いやっている真っ最中である。ヴィレッジ・ヴァンガードでは美しく鳴り響いた繊細なヴォイシングも、ウッドストックのような騒々しい舞台での演奏には適さない。バップの英雄たちは、ヨーロッパに渡ったり、ファンクやソウルを取り入れたりしながら、どうにかこうにか息を繋いでいた。


 僕の好きなエヴァンスは、モントルーのライブ盤を最後にこの世から姿を消してしまう。それ以降の長髪にひげを湛えた男は、名前がエヴァンスというだけの男である。七〇年代も八〇年代も、彼を必要とはしなかった。マーク・ジョンソンとのラストトリオですら、僕にはそれほどの復活劇とは思えない。演奏は若いリズム隊に触発され、溌溂としてはいる。しかし、何かが足りない。


 それは、ドラッグ中毒で太くなってしまった指のせいなのか、それとも進化しすぎた録音機材のせいなのか。僕だけでなく世界中の人を虜にした「枯葉」や「ナーディス」には満ちている、あの「響き」がないのだ。その原因が何なのか、ずっと考え続けているのだけれど。


2017/07/14
 『ナボコフの塊――エッセイ集1921-1975 | ウラジーミル・ナボコフ, 秋草 俊一郎 |本 | 通販 | Amazon』


 ナボコフがあちこちで強弁しているロシア詩の韻律の話を「そうだ、そうだ、まったくあなたの言う通りだ」と納得しながら読んでいるような読者がそういるとは思えない。しかも、この蒸し暑さだ。「この強弱弱格と強強弱弱強格が弱弱強格に」などという文面を追っているだけで意識がぼうっとしてくる。


 ナボコフが逐語訳に肩入れしているのは、相当怪しげな訳業が当時には確かに存在し、それに対しての憤慨があったものと思われる。現在では出版物は表に出てくるまで多数の目に晒されてチェックされているので、個人の力量不足や偏った意向が色濃く反映されたようなものが罷り通ることも滅多にないだろう。それが、冒険心や野心的な試みの芽も摘んでいるという面もあるかもしれないが。この世を遍く覆っている、チェックと自由の二律背反問題である。


   ***


 めくりたてのコロコロを誤ってスマホの上に走らせてしまったところ、購入段階から既に張り付けてあった保護フィルムが粘着力で浮き上がってしまったようで、派手に気泡が入ってしまった。一度剥がしてみたものの、ちょっと折り目も付いてしまったりして、元には戻せなかった。せっかくの機会ということで、ブルーライトカットのフィルムをアマゾンで注文してみる。


 最近はあまりスマホで長時間ドラマを観ることもなくなった。やはり、動画は電力の消費が激しくて充電が面倒くさくなるし、いざという時電話機として使えなかったりすると困る。動画閲覧に関しては、サブで使ってる寝床用のノートも液晶の質がイマイチなので、ちょっと大きめで画面が綺麗なタブレットが一台欲しいかなあとか思ってる。でも、アンドロイドだと共有ネットワークにうまく入れないので、ローカルのファイルを扱いにくいんだよねえ。


2017/07/08
 『Amazon Music内で Shadows And Light のJoni Mitchell を見る 』


 世界広しと言えど、ジャコとメセニーに歌伴をさせて、その上自分も凛として立つことのできるシンガーがジョニ・ミッチェル以外にいるとは思えない。ジャコのフレーズは、まるで手を伸ばせば触れそうなほどに活き活きとしている。それはレーザー光の階段を作りながら、天に昇っていくのだ。


   ***


 その他、最近『Amazon ミュージックライブラリ』でよく聴いているのは、ストーンズとか、ジム・ホールとか。ちょっと品揃えの悪い輸入盤屋が自室にあるといった感じかな。


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 「iPod touch」では「Accu Radio」というネットラジオアプリを使っている。クラシカルなロックのチャンネルを選べば、大体外れがないものを延々と流してくれるね。しかし、問題は例のパイオニアの低音寄りヘッドフォンが、この時期大変に蒸れるということだ。聴きながら就寝してしまおうと思って装着するも、三曲目くらいで耐えられなくなってくる。耳の裏がヌルヌルになるぜよ。


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 湿度が上がってくれば肌荒れも改善するかと思ったが、そういうことでもないみたいで悲しい。何かケアが必要なのだろうが、今まで無頓着だったので手持ちの情報がない。ネットで検索しても、悩める人が多いジャンルでもあり、怪しげな美容情報とかもゴロゴロ出てきて、どうにも照準が定まらない。ダイエットと同じで、万人に効くこれというものはないのだろう。最終的には、規則正しい生活、バランスの良い食事、ストレスを減らすこと、などに落ち着く。まあ、これが出来れば何だって出来るって感じだけどさあ。


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 読書はサボり気味で、『CSI:マイアミ』ばっかり観てる。この作品は一般的には刑事ドラマだと思われているが、マイアミの狂った太陽が作り出した異空間「ホレイショ・ワールド」を舞台にしたアクション・ファンタジーだと考えると、視聴者はより合点がいくことであろう。


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 一匹の鬼が去ったと思ったら、また別の鬼が俺の内に棲みついた。よく見ると、前の奴にちょっとだけ似ている。


2017/07/05
 『間違いだらけの子育て―子育ての常識を変える10の最新ルール | ポー・ブロンソン, アシュリー・メリーマン, 小松 淳子 |本 | 通販 | Amazon』


 心理学の実験の記述を読んだりした際に時折思うのだけど、本当にその手順がその仮説を証明するためにマッチしてるのかちょっと疑問に感じることがある。その実験の手法の中に何か誘導的な因子が入っていはしまいか、またはたまたま被験者が強く反応するタイプだったのではないかとか、もしくは被験者が「こんなことを調べようとしているんじゃないかしら」と先読みして、研究者が喜びそうな行為をしてしまうとか、その過程に余計な作用を及ぼしそうなものが随分ありそうな気がしてしまうのだ。


2017/07/03
 「Youtube - Sweet Georgia Brown - How to play the guitar chords by Steve Poole」


 僕が初めてギターを触り始めた当初、「受験生のブルース」や「生活の柄」といった曲をコピーするためには、マイナーかセブンスくらいを知っていれば事足りた。やがて、ビートルズに夢中になり、多くの曲を練習したが、そこでようやく六度のまろやかな響きや、ディミニッシュやオーギュメントを知ることになる。とはいえ、理屈として分かっていたわけではなく、「それがそこにあるから必要上覚えた」といった程度のものである。そうでなければ大好きな「ミシェル」や「イッツ・オンリー・ラブ」が弾けないのだ。


 これで随分いろんなことが分かってきたつもりでいたのだが、ジャズを少しづつ齧り始めてみると、それまでの知識がほとんど役に立たないことが分かって仰天した。テンション? コードプログレッシブ? 分数コードに代理コード? おいおい、ちょっと待ってくれ! 比較的簡単そうに聴こえる「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」や「ザット・オールド・フィーリング」ですら、ちっともギターで追いかけられない。おお、俺の愛する十二小節ブルースはどこに行った? どうしてお前たちはすぐ転調するのだ、ペンタじゃ全く弾けないじゃないか…!


 それを永すぎた春と呼ぶべきか。結局、その壁に二十年くらい行く手を阻まれ続けている。ちゃんとコピーできるジャズの曲は一つもないし、スケールも練習したことはない。ジャズという巨大神殿は今も水中深くに沈んだままで、丘の上から見下ろしてもその姿は窺い知れない。時々暇を見つけては小さなバケツで水を汲み出しているのだが、その程度では一向に埒が開きそうもない。ようやくいくつかの石柱のてっぺんが水面から顔を覗かせるようになりはしたのだが、肝心の母屋は水面の小波にその姿を散らされるばかりである。


2017/06/26
 『抱擁家族 (講談社文芸文庫) | 小島 信夫, 大橋 健三郎 |本 | 通販 | Amazon』


 まだそれなりにページが残っているかなと思っていたら、唐突に終わってしまった。講談社文芸文庫には子細な解説と著者年表が巻末に結構なヴォリュームで収録されているのを忘れていたのだ。もう少しこの家族の行く末を見届けるつもりでいたので、肩透かしを食らってしまった格好になる。決して愉快な小説ではなかったが、これでお別れかと思うと少し寂しくなる、そんな不思議な後味が残った。


 解説を読むと、この作品が僕が思っていたほど「私小説」的ではなく、「寓意」的な作品であることが分かり、少し驚いた。解説者のメス捌きは鮮やか過ぎるほどに鮮やかだが、些かそれが目的になってしまっているような感もないではない。もちろん、そんな風に読んでもいいが、僕はもう少しエモーショナルに読んだ。それが小説を始め、表現というものに対するまず第一の礼儀ではないかと思う。酒を飲んだ時、必要なことは度数を当てることではないだろう。


 両手で抱きすくめたくなるような作品では決してなかったが、僕は本作をそれなりに好きである。最初はいろいろな意味を解読しようとしていたのだが、途中からはそんなことはどうでもよくなった。この実際には存在しない家族の行く末が、読み終えた今でも少し気になる。


2017/06/25
 『抱擁家族 (講談社文芸文庫) | 小島 信夫, 大橋 健三郎 |本 | 通販 | Amazon』


 主人公は再婚を家族に申し出る。自由な個人である男と、同様に自由である女が出会い、双方の合意の下に結ばれ、吉祥寺かどこかで幸せに暮らす、そんな恋愛を当たり前のように生きる世代に、この小説で描かれる家族や夫婦の在り方は果たしてどのように見えるのだろう。セリフや状況のいくつかは全く解読不能で、何を言っているのかさっぱり分からないと思うことすらあるかもしれない。


 僕自身はと言えば、このような世界を少しは知っている。身内のことを書くのはいささか憚られるので仔細は省くが、話せば長い、そしてあまり面白みのない物語がそこにはある。ものすごく大雑把に括ってしまえば、太宰や三島の背中がぼんやりと遠くに見えなくもない、そんな世界だ。僕が何を言っているのかよく分からないとしたら、あなたは大丈夫、幸せな側の人間である。


2017/06/24
 『親切な進化生物学者―― ジョージ・プライスと利他行動の対価 | オレン・ハーマン, 垂水 雄二 |本 | 通販 | Amazon』


 ジョージ・プライスは、自らの業績がようやく評価されようとしているという運気の好転の傍らで、ロンドンの貧民街に住む路上生活者のためにすべてを捧げる生活を始める。しかし、制限のない無償の他者への愛情とは、即ち裏返った自殺願望ではないのか。プライスが最終的にどうなったかは冒頭部に既に書かれている。本当に助けが必要だったのは誰なのか。


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 近頃、町が黄色く光っているのをよく目にする。目を覆いたいことはたくさんある。喜ばしいことも少しはある。その因果の積がその都度の感情だと思ってきたが、それは思い違いだったのかもしれない。朝日が昇り、夕日が沈むように、人の心も己のリズムで勝手に浮き沈みを繰り返しているだけなのだとしたら、今迄吐き出してきた小賢しい(とすら言えない)屁理屈が、ほとんど戯言だったということになる。俺もまたシジフォスの多くの末裔の一人に他ならないのだろう。


2017/06/23
 『ナボコフの塊――エッセイ集1921-1975 | ウラジーミル・ナボコフ, 秋草 俊一郎 |本 | 通販 | Amazon』


 ナボコフが逐語訳支持派だというのは、ちょっと意外だと思った。訳文もその言語において美しくあるべきだと考えるのではないかと思っていたからだ。僕などは、文章として血が通っていないならば、翻訳先の言語を汚染しているだけではないかぐらいに思っているので、どちらかというと意訳許容派である。果たして、翻訳家とは徹頭徹尾「透明な媒介者」であり続けるべきなのか、それともそれを通じて自身の何事かを「表現」する「創造者」の顔も併せ持つのか。


 「チェス」のことを「将棋」と訳すのはやり過ぎだと思うが、「Good morning」を「良い朝」と訳されても困る。全ての「I」を「私」に置き換えていると、どうしても日本語としてはくどくなる。韻を踏むような言葉遊びや駄洒落などは、どう足掻いてもそのまま移植することはできない。「訳文」というものは、このような障壁に何度もぶつかっては跳ね返り、次第に最適と感じられるに足る領域に流れ着く。それでもこれという正解がはっきりと見極められるわけではない。誰かがどこかで腹を括るしかないわけだが、それが翻訳家の重要な仕事なのかもしれない。


2017/06/22
 『親切な進化生物学者―― ジョージ・プライスと利他行動の対価 | オレン・ハーマン, 垂水 雄二 |本 | 通販 | Amazon』


 相変わらず、進化論とゲーム理論の話はややこしくて咀嚼しきれない。本作の主人公であるジョージ・プライスは、様々なストレスが理由でほぼ精神的に破綻したと思われる状態で、何か進化における重要な発見をしたらしい。キリスト教についての妄想めいた手紙と世紀の大発見が同居するという、何とも魔訶不思議な光景だ。


 無神論者がある時を境に過激な信者になったり、冷徹で知られる起業家が青春時代は共産主義のユートピア思想にかぶれていたりという例はいろいろとあるものである。それは、人間の二面性を示すというよりは、ある一つの原理がその都度都度で違う表現を採択したものと個人的には考えている。大きな欠落を抱えた人間ほど、それに見合う自分だけの「神」を探し求めるものだ。それならば、僕にも身に覚えがある。


2017/06/20
 『ナボコフの塊――エッセイ集1921-1975 | ウラジーミル・ナボコフ, 秋草 俊一郎 |本 | 通販 | Amazon』


 蝶の採集旅行についてのレポートで、様々な品種名が延々と続くのは、気紛れな読者向けの読み物としてはなかなかしんどい。訳者の方もいろいろ確認しなければならないことが多くて難儀なことだったであろう。実際に図鑑などにもあたって細かい柄などを確かめたりもしたのだろうか。苦労が偲ばれる。レポート自体は特に技巧を凝らしたような種類のものではないが、文章は簡潔で力強く、鍛えられた観察眼を感じる。


 これだけの品種を頭に入れておくのも、それだけで大変なことだ。好きこそものの上手なれということもあろうが、ナボコフはそれをやってのけていたわけである。僕も子供の頃、プロ野球選手の名前なら名鑑一冊分をほとんど丸ごと苦も無く記憶していたものだが、あの吸収力を生涯に渡って持続できるような人間が分類学者というものになったりするのかもしれない。


2017/06/18
 『ユージュアル・サスペクツ (字幕版)をAmazonビデオ-プライム・ビデオで』


 前々から観たいとは思っていたものの、何となく先延ばしにしていた一本。「Youtube - クライムサスペンスを語る。【WOWOWぷらすと】」でもお勧めの一作に挙げられていたので、これを機会にと観てみることにした。


 率直な感想を述べると、「期待したほどではなかった」といったところか。こういった「黒幕は誰だ」的なストーリーは近年の海外ミステリードラマでも散々繰り返されており、刺激に慣れてしまっているところがある。それに加えて、そもそもこの「真犯人」にあまり驚くことができなかった。ネタバレになるので仔細は省くが、このくらいのオチなら、それほどの幻惑感はない。これも、一昔前の作品であることにその理由があるかもしれないが。


 さらに「そもそも論」で言えば、「ギャング」的な登場人物たちに全く感情移入できないので、物語にそれほど引き込まれない。「大悪人」が「小悪人」を騙したからって何だというのだ。勝手にやってろってな具合である。この感覚は、この映画に限った話ではない。


 これは一般論だが、連続物の海外ドラマに慣れてしまうと、登場人物たちと二時間程度でお別れしなくてはならない映画というものが何だか寂しく思える。その尺の間で蹴りをつけなくてはならないので、どうしても人間の描き方も一面的になりがちだ。例えば、導入部で登場人物の輪郭をはっきりさせようとして、いささか大袈裟で説明的な演出がなされていると、それだけでちょっと興醒めしてしまう。


 ドラマであれば、ちょっとずついろんな側面を明らかにしていくという方法が採れる。これが、僕が映画というものにあまり熱心に慣れず、もっぱら海外ドラマにご執心である大きな理由の一つかもしれない。


2017/06/13
 『ナボコフの塊――エッセイ集1921-1975 | ウラジーミル・ナボコフ, 秋草 俊一郎 |本 | 通販 | Amazon』


 本書のタイトルにある「塊」というフレーズはどこから来たのだろう。僕もそれなりにナボコフは読んでいるつもりだが、この単語がナボコフを特徴づけるものだという感覚はない。副題(原題?)にある「congeries」を辞書で引いてみると、「寄せ集め」「堆積」といった訳語が出てきた。なるほど、「ナボコフの寄せ集め」(片田舎を流れるささやかな小川の堰に小枝や枯葉が絡まって集まる感じだろうか?)なら、本書の性格を正しく表していると言えよう。


 タイトルを考える際に、英題が先に頭にあったのか、それとも逆なのか。つまり、訳者は架空の原著「Nabokov's Congeries」を「編集」し、それを「翻訳」してみせたのか。そうなると、どこか『青白い炎』めいてくる気がしないでもない。訳者にはナボコフの自作翻訳についての著書があるのだから、このくらいの仕掛けならお手の物だろう。


2017/06/12
 『ナボコフの塊――エッセイ集1921-1975 | ウラジーミル・ナボコフ, 秋草 俊一郎 |本 | 通販 | Amazon』


 浅薄にして、蝶の正式な数え方が「頭」であることを知らなかった。「チョウの数え方 | 目からウロコ!数え方のナゾ」によれば、論文を翻訳した時の事情によるものらしい。しかし、さすがに我々の生活感覚とはかけ離れているので、あまり気にする必要はないかもしれない。「小さな蝶が一頭、まるで天がくれた簪のように彼女の髪に止まった」。これでは、ちょっと雰囲気が出ない。


 ナボコフは蝶に関しては玄人はだしなので、それに関するエッセイも基本的に学術的な正確さを旨とするだろう。そうだとすれば、正しい(とされる)数え方を採択するという考えもある。しかし、それは日本語側の事情なので、より自然な言語感覚にするためなら「羽」や「匹」を使ってもいいと思う。実際、蝶の出てくる場面は創作の中で頻繁に出会ってきたはずだが、その際「頭」が使われていたという記憶はない。あったら、その時に話題にしていると思う。


 個人的には、ウサギを「羽」と数えるというのも、そろそろ所以を離れても構わない話ではないかとも思う。単純に面倒くさいではないか。


2017/06/09
 『抱擁家族 (講談社文芸文庫) | 小島 信夫, 大橋 健三郎 |本 | 通販 | Amazon』


 ここからは妻を喪った男の悲嘆がひたすらに続くのかと思ったら、そうとも言い切れない。主人公は、看病をしている時に出会った、彼に親切だった女性たちに性的な関心を抱く。誠にけしからんと言えばけしからん話ではある。彼にとって「女」とは何なのか。実際に確かめたわけではないが、この小説に「愛」という文字が表れたことがあるだろうか。もしかしたら、一度も無いかもしれない。それが避けられているとすれば、それは意識なのか、無意識なのか。


 家族や近しい友人たちとの関係も緩やかに崩れていく。しかし、「妻の死」が既にそうであったように、「崩れていく」という「物語」があるのではない。息子に娘、家政婦に居候、それぞれが当たり前のように制御不能なのだ。この小説を統べている「全能の神」はいない。作者は好きなように好きなものを書いていいはずだ。しかし、そうはなっていない。作品は、抑え込んだ掌の下でか弱く抵抗するトカゲのようにぞわぞわしている。


2017/06/08
 先日の話のついでに、こんなことを考えていた。「いる」には同音異義語がいくつかあるが、その否定形は同じではない。「彼は居る」ならば「いない」であるし、「豆を炒る」や「金が要る」なら「いらない」となる。「射る」の否定形は「射ない」でいいのだろうか。「MS-IME」では「いらない」の変換候補に「射」の文字はないようだが。


 細かいことはともかく、このような活用を個別に学んだわけではないのに、何故僕は正しい方を選べるのだろうか。「お金は要らない」を「お金は要ない」と間違えないのはどうしてなのか。そのような間違いに対して抱く不快感は極めて微量だが、それでも確かに「生理的」なものであるように思う。何故、間違った表現に心身がむずがゆさを感じるのだろう。


 人は勝手に生まれて、勝手に死ぬだけだ。価値観は恣意的に選択されるものであり、どこまでいっても相対的なものでしかない。そんな風に考えていた時期もあった。僕らは言語を獲得するのか、それとも元々インストールされているのか。もしくはその両者が複雑な階層構造ををなしているのか。手に余る問題には違いない。


2017/06/06
 「的を射る」という表現をネット上の署名記事などでも目にすることが増えてきた。しかし、僕は以前からこの言い回しには何か引っ掛かるところがあった。僕は今でも「的を得る」の方を支持しているが、そのことはここではひとまず置いておく。


 では、何故「その意見は的を射たものだろう」という表現に違和感が覚えるのか。それは、「的を射る」という文章にはそれ自体に「命中させた」という意味が十分には含まれていないからである。つまり、字義通りにとればそれは弓を放った動作そのもののみを示すのであって、それが当たったか外れたかはその後のことなのだ。


 もちろん、「的を射る」のならば、当然「狙いを定めてそうする」ということも含意されているだろう。しかし、僕には「的を射抜く」とか、「的を上手に射る」というように、その後の成果が見える程度まで文を補強しないと、「その意見が本質を突いたものである」ということを十分に伝えられないように思えるのだ。これが違和感の源である。


 もうひとつ。「射る」が正しいとするならば、否定形の「的を得ない」を修正すると「的を射ない」、または「的を射ていない」となるだろうか。しかし、発音してみれば分かるが、これは非常に言いにくいし、実際一度も耳にしたことがない。そもそも「的を射た質問だ」も喋り言葉としては非常に通りが良くない。こんな言いにくいものが正規の表現として定着するとは、言語の効率性を求める性向からしてもあまり思えない。


 さて、いろいろと重箱の隅を突いてみた。この論考が果たして「的を射た」ものであるかどうかは、読者の皆様の判断に委ねるべきものかと思われる。どうやら、お後がよろしいようで。


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 『抱擁家族 (講談社文芸文庫) | 小島 信夫, 大橋 健三郎 |本 | 通販 | Amazon』


 第四章に入る。「物語」的には、「人が死ぬ」ということは強い感情を惹起するためのスイッチだ。しかし、実際に人が死んだ時には様々な事務的作業が発生し、遺された者はそれを処理していかなくてはならない。そのことを思い出したりしていた。もちろん、あまり思い出したくはないのだが。


2017/06/04
 目覚めてしまったことが悔やまれるようなスリリングでサスペンスフルな夢をここの所よく見ているのだが、いざ書き起こそうとするとうまく言葉にならない。月は毎年四センチずつ地球から遠ざかっているというが、夢もそのくらいのペースでゆっくりと僕から遠ざかっているのかもしれない。そして、いつの日か僕の元を離れ、他の誰かの心に出会うためにユングの海をさまよい始めるのだろう。かつて、僕もそうして今の夢と出会ったのだ。


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 『蘇る恐竜の時代 【ディスカバリーチャンネル】-動画[無料]|GYAO!|ドキュメンタリー』


 恐竜たちは擬人化され過ぎているし、羽毛の役割を現代の鳥の求愛行動から大胆に推測しているが、ちょっと勇み足かなとも思える。確かに、今までの粗野で凶暴な恐竜というイメージはおそらく間違いだろう。現代の動物だってそんな滅多矢鱈と暴れたり、眼に入った獲物をすぐさまに食い荒らしたりはしないものだ。


 古代文明もそうだけれど、まだ見つかっていないもの、そして永遠に証拠が挙がらないものの量をどうしても少なく見積もってしまいがちなのだと思う。恐竜はその化石になった個体一匹で生きていたわけではないし、ピラミッドもある日突然ぱっと現れるわけではない。それを可能とする環境や生態系があり、技術や資本の蓄積があって初めて成り立つのだ。その縦と横と時間の広がり全てをイメージしなければならない。


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 『クリミナル・マインド/FBI vs. 異常犯罪 シーズン8 (字幕版)をAmazonビデオ-プライム・ビデオで』


 ホッチナーの奥さんが殺人鬼に追われるエピソードでこの作品はいったんクライマックスを迎えちゃってるんだよね。あれは「トラウマ回」になってる人も多いと思うよ。その後、プレンティス絡みで引っ張ったり、いろいろ手は打ってきたけれど、第八シーズンともなるといささか出涸らしの感がないでもない。


 プレンティスの後釜はなかなか埋まらないし、いくら何でもそりゃないだろという「トンデモ」な犯人も多い。事件はほとんどペネロープの検索力で解決しちゃってるし、プロファイルを説明するシーンのマンネリ感と言ったらない。「大体、プロファイルなんて勘と同じだろ、インテリぶりやがって」などと食って掛かる地元の警察官もいない。唯々諾々と聞いているだけだ。その画面の力の無さに脱力しちゃうんだよね。未来を夢見る(しかし、あまり見込みがなさそうな)俳優の卵たちが、成功者たちを羨望の眼差しで見ているのがありありと分かる。


2017/05/31
 『潜入!スパイカメラ〜ペンギン 極限の親子愛をAmazonビデオ-プライム・ビデオで』


 無類に面白いこのスパイカメラシリーズだが、本作も快調。皇帝ペンギンの足って結構ごついね。鳥が恐竜の子孫だというのも頷けるよ。


 ところで、僕の正体が「アンドロメダ放送協会」が地球に送り込んだ、人間そっくりの「ヒューマン・カム」だということはまだばれていないのかな。あ、うっかり、書いちゃった。皆さん、内緒にしておいてくださいね。


2017/05/30
 『Amazon ミュージックライブラリ | Jeff Beck - Live+』


 二〇一七年版のジェフ・ベック。曲目などにはあまり目新しいところはないかな。演奏もややルーズな感じがするけど、それが逆にいい味になってる。『Who Else!』以来、「次は何やってくるんだろう」という期待と「何か下手を打つんじゃないか」という不安が入り混じった気持ちで若干ハラハラしながら聴いていたところがある。それも一回りして、身構えずに聴けるようになったかもしれない。


 ヴォーカルの人は声量や迫力はあるけど、どうも無理矢理連れていかれたカラオケパブで、自分の喉に自信満々の上司が歌う十八番を聞かされているような感じがしてどうもね。もっと小洒落た感じの人はいなかったのかしらん。「Morning Dew」に至っては歌詞もうろ覚え臭いし。


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 『親切な進化生物学者―― ジョージ・プライスと利他行動の対価 | オレン・ハーマン, 垂水 雄二 |本 | 通販 | Amazon』


 「群淘汰」や「ゲーム理論」のややこしさについていけず、中身が頭に入ってこないまま字面だけを追っている状態になってしまった。「ゲーム理論」のサンプルとして最もよく知られているであろう「囚人のジレンマ」ですら、僕には複雑すぎるくらいだ。


2017/05/29
 『抱擁家族 (講談社文芸文庫) | 小島 信夫, 大橋 健三郎 |本 | 通販 | Amazon』


 言ってみれば、ボルヘスやナボコフ、賢治や久作は(彼らがどう思うかはともかく)僕にとって「身内」のようなものだ。彼らは僕が好むものを提供してくれるし、彼らの作品を読むことは、小さな子供がベッドサイドにお気に入りのぬいぐるみを並べていくのと同じようなことである。どこまでも暖かく、心地よい。


 この作品は何だかざらざらしているし、手品やダジャレの好きな面白いおじさんも出てこない。それどころか、僕がこの世で一番嫌いなものが出てくる。もちろん、地球上のあらゆるところに死が存在するのだし、僕もそれを全く知らないだなんてことはない。それどころか、本作に描かれたものと似たような場面をいくつか実際に知っている。


 きっと、体裁だけで保たれた「仮面の家」がもたらす悲喜こもごもを描いた作品の亜種の一つではないか、読み始める前はそう思っていた。それも含んではいると思うが、そんな読み方で済ますことは出来ない。そういう意味では、随分と久し振りに、そう簡単に馭することが出来ない「他者」のような小説に出会った気がする。


2017/05/26
 『抱擁家族 (講談社文芸文庫) | 小島 信夫, 大橋 健三郎 |本 | 通販 | Amazon』


 第三章に至ると、目を逸らしていたくなるような場面も出てくる。文体自体は変わらないが、事態の方が興奮して暴れ出す前の馬のように落ち着きを失い始めている。これからどうなってしまうのだろう。御伽噺なら、魔法の杖を一振りすればいい。病は癒え、家族に笑顔が戻るだろう。もちろん、そんなことにならないことははっきりしている。この乾いた文体そのものがそれを示している。


 主人公の妻は時々男言葉で喋るので、話者の特定にちょっと難儀することがある。創作の定石から言えば、言葉遣いは性別を弁別するための指標となるため、きっちり分けた方がいいに決まっている。そうしないのには理由があるのだろう。例えば、モデルになった人物がいて、彼女が実際そうだったというような。娘も時折同じ喋り方をする。親子ならそれもあるだろう。そのような些末な部分の生々しさにちょっとぞくっとする。「これはただの作り話じゃないのだ」ということをそれは伝えているのかのようだ。


2017/05/25
 『潜入!スパイカメラ イルカ〜大海原の狩人をAmazonビデオ-プライム・ビデオで』


 イルカたちは、フグを小突いてわざと毒液を噴出させ、それを摂取することで恍惚状態になって楽しむらしい。雨水の溜まった木の洞などに果実が落ちて発酵し、それを飲んで酔っぱらう猿がいるというのは聞いたことがあったが、こいつはその遥か上をいくエピソードだ。イルカ、恐るべし。


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 『抱擁家族 (講談社文芸文庫) | 小島 信夫, 大橋 健三郎 |本 | 通販 | Amazon』


 本作は何ということはない文章がそっけなく続く形で書かれている。主人公が妻や子供たちに関心がないように、作者もこの作品を飾ることには関心がない。多分、推敲もあまりされていない。通常、小説というものは作者に愛されて生まれる。書き手は最初の読者であり、最初の校正者である。手と頭の間を生まれたての文章が何回も往復して、その度に精錬されていき、それは書き手が得心するまで続けられる。


 しかし、この小説にはそれを感じることができない。それが本作の妙な読後感(いや、まだ読み終えていないが)を生み出している。作品内の時間は蛇口から流れ落ちる水のように、早くも遅くもならない。ただ自然の摂理に従うだけだ。一体、何が書き手をしてこれを書かしめているのだろう。そして、この不毛さはどこから来るのだろう。


2017/05/24
 『プラネット・ダイナソー 命がけの戦い 生か死か-動画[無料]|GYAO!|ドキュメンタリー』


 「首長竜」についての疑問。今、世界中の海を見回しても、このような形状で海中を泳いでいる生物は見当たらない。水中を移動するには「流線形」が最適であると教えられてきた、その原則に反するように思えるのだが。あれだけ首が長いと、仮にまっすぐ伸ばして泳いでいたとして、横からの圧力が掛かった時に首が捻じれてしまって危険ではないのだろうか。


 「首長竜 - Wikipedia」によれば、彼らは胎生であった可能性があるそうだ。となると、我らが心の名作『のび太の恐竜』がいささか困ったことになる。「昭和SF」受難の時代はこれからも続くであろう。


2017/05/22
 「【動画】リーガ第38節 バルセロナ vs. エイバル ハイライト - スポーツナビ「c 2017 Liga de Futbol Profesional」


 自力での優勝が望めないバルセロナにとっては、気持ちのコントロールが難しい試合だったに違いない。その隙を突くような形で、我らが乾のスーパーボレーが二発もネットに吸い込まれた。それは、当時向かうところ敵なしだったユベントスが、昇格したばかりのペルージャを相手に、しかも東洋からやってきた謎のフットボーラーにあれよあれよという間に二点を決められてしまった、あの試合を思い出させる。油断したビッグネームに一泡吹かせるのは、我々のお家芸のようなものである。そして、それを真の実力と見誤るのも。果たして、今回は如何に。


 恐らく、良い指導を受けているのだろう。乾は着実にリーガに馴染んできている。自分の武器をどこで活用するか、それ以外の時にどう振舞うべきか、そういった力の配分ができるようになっている気がする。彼のハムスターのようなすばしっこさには、相手ディフェンダーも相当てこずっている。来シーズンはもっと警戒されるようになるだろうが、多分、今のレベルまで行っていればそれにも対応できるだろう。ガツガツしないところが彼の長所だが、来期は二桁ゴールに二桁アシスト、このくらいは狙っていってほしいものだ。そうすれば、彼はエイバルの英雄として長く語り継がれる、そんな存在になれるだろう。


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 『抱擁家族 (講談社文芸文庫) | 小島 信夫, 大橋 健三郎 |本 | 通販 | Amazon』


 しばらく読み進めていくと、優柔不断な寝取られ男かと思われた主人公にも、少しばかりハードボイルドな一面があることが見えてくる。しかし、彼が苛立つのは愛する伴侶を奪われたためではない。それは、自分の本棚を勝手に弄られて並べ替えられてしまった時のような、そんな苛立ちである。


 社会は個人の自由な恋愛を許したはずであるにもかかわらず、男は支配と服従の関係しか持つことができない。外面と中身の不一致を抱えたまま、そうとは知らずに矛盾と欺瞞を継続する格好になる。その意味では、まだ家政婦や妾の方が心理的にはましである。境遇が惨めだとしても、彼らはただ生きるために必要なタスクをこなしているだけだ。それ以上でも以下でもないし、敵はハッキリしている。


 社会の不公正から利益を得れば、いずれ心を病む。不利益を被れば、それと戦う羽目になる。彼らを生贄にして、社会は仮初めの安定を保つ。しかし、それが本当に共同体を維持するための最適解なのか? この世の見えない深層で、犠牲者をゼロにする圧力がじわじわと我々を押し上げている、少なくとも僕はそう信じたいのだが。


2017/05/21
 『抱擁家族 (講談社文芸文庫) | 小島 信夫, 大橋 健三郎 |本 | 通販 | Amazon』


 何だろう、この衒いの無さは。さりとて、衒いを避けるのが逆に洒落てるのだというような捻りもない。書き手はそんなことに関心がないのだ。旅館で朝食を頼んだら白米と沢庵を出されて、何か追加があるだろうと茶碗をチンチン鳴らしつつ待っていたら本当にそれだけだった、そんな気分になる。それでも、十分に食べられるし、そういうものだと思えばそういうものである。これが本作への第一印象だ。


 ここ最近触れてきた作品群が、実は非常に技巧を凝らしたものだったということが却ってよく分かる。自分ではそんなつもりはなかったのだが、僕は余所から見れば「耽美派」の一員なのかもしれない。


 新鮮と言えば新鮮、つかみどころがないと言えばつかみどころがない。この素晴らしく謎めいたタイトルの意味も、いずれ明らかになるのだろうか。


2017/05/19
 『夢野久作全集〈3〉 (ちくま文庫) | 夢野 久作 |本 | 通販 | Amazon』


 実にヴァリエーション豊かな作品群を堪能した。この艶やかな言葉の群れはどこから来たのか? 興味の尽きない作家である。最晩年の作である「髪切虫」(実に怪作だ)には「アインシュタインの量子論」なる文句が見える。久作もこの新たな時代の扉を開いた不思議な物理の世界に関心を寄せていたのだ。


 続けて第四巻を読んでもいいんだけど、ずっとほったらかしにしていた小島信夫を読もうかと思っている。


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 『ナボコフの塊――エッセイ集1921-1975 | ウラジーミル・ナボコフ, 秋草 俊一郎 |本 | 通販 | Amazon』


 誤植を発見したので記しておく。二二〇ページの八行目、「呼んだ」となるべきところが「呼んた」になっている。演劇を論じた「悲劇の悲劇」という小論だが、ナボコフ御大はいつも通り意気軒高に持論をぶってはいるものの、いささかひねり過ぎた表現が多くて論旨が分かりにくい。


2017/05/18
 『部分と全体―私の生涯の偉大な出会いと対話 | ヴェルナー・ハイゼンベルク, 山崎 和夫 |本 | 通販 | Amazon』


 「科学者は最悪の哲学を、哲学者は最悪の科学を選ぶ」というが、ハイゼンベルクともなるとそんなルールは蹴散らしてしまうようだ。量子力学について様々な解説書が出ているが、これはその中心にいた人物が書いた本である。ならば、科学的に間違っているはずがないし、交わされている哲学論議も(僕が浅学のためそう見えているだけかもしれないが)かなり本格的なものである。下手に回り道をするより、これを先に読んだ方が良かったかもしれない。数式も出てこないし、どちらかというと文章の読解力の方が試される。


 量子論は測定するものとされるものの関係を問題にするため、「認識するとは何か」ということに関して敏感である必要がある。本書には、フェルミやボーアと日々戦わせたであろう物理論議の数々が、実に美しい文章で綴られている。正直、実際の会話はもっと煩雑なものだったろうと思うが、恐らくは生涯を通じて幸福を感じながら生きたであろうハイゼンベルクのその心持ちが、それらを煌びやかな糖衣で包みあげているのだ。


2017/05/17
 『親切な進化生物学者―― ジョージ・プライスと利他行動の対価 | オレン・ハーマン, 垂水 雄二 |本 | 通販 | Amazon』


 本書はジョージ・プライスという人物の伝記ではあるが、進化論の「進化」を追う本でもある。そこにはフォン・ノイマンのような有名人から、あまり知られていない生物学者まで、多士済々な人物が登場し、果たしてこの世界は徹底した競争によって成り立っているのか、それとも利他的な行為にも生物学的な基礎があるのか、意見を述べたり、証拠を集めたりしている。その様自体が「進化論」のモデルにもなっているなどいったら、少し穿ち過ぎというものだろうか。


 「マンハッタン計画」が学生レベルにまで及んでいたこと(そりゃ、勝ち目ないよ)、進化論に数学を持ち込んだのは特にチャイティンが最初というわけではないこと、様々なトピックが次から次へ登場する、知的興奮に満ちた一冊。最近錆び付きがちな好奇心のアンテナに喝を入れるには十分すぎる相手だ。


2017/05/16
 『宮沢賢治全集〈1〉 (ちくま文庫) | 宮沢 賢治 | 本 | Amazon.co.jp』


 何かを「寓意的に表現する」とは実際何を意味しているのか。我々が「童話」や「神話」の類を読む時に感じる、あの不思議な心持ちは何によって引き起こされているのか。「知的な解釈」を脇に除けておかなければならないことからくる解放の感覚。何か怖ろしいことが起こりそうな、触れてはいけないものに触れてしまいそうな微弱な緊張感。


 我々の日常は、言語を論理的に用いたり、精緻に積み上げたりすることで進歩を得ているに違いない。もしかしたら、まだ進化の過程にいる我々はそのことに時々倦んでしまうのかもしれない。一時的に意味の網の目から退行して先祖返りしないと持たないのだ。そんな世迷いごとを言ってみたくなる初夏の宵。


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 『2001年宇宙の旅 (字幕版)をAmazonビデオ-プライム・ビデオで』


 何年振りに観るだろう。少なくとも二十年は経っているはずだ。前回はもしかしたらレンタルの VHS ビデオだったかもしれない。尚且つ、十四インチのブラウン管テレビだ。西暦二〇〇一年はとうの昔に過ぎ去ってしまったが、本作の映像は古びていない。このような宇宙旅行が実現するにはまだ百年ほど掛かるかもしれないが、もしかしたらこの映像とそれほど違わないものになっているかもしれない。そう思わせるほど、造型は見事だ。


 今の僕は、映画評論家の町山智宏氏による「実も蓋もない」内容の読解を知ってしまっているので、何が何を象徴しているのかは大よそ分かっている。それが、フラットな視聴を可能にしている気もするし、素直な受容を妨げているような気もする。僕はそれほどキューブリックの熱心なファンではないので、間違った認識かもしれないが、「映像を観た後、それを言語化して了解して貰いたい」という要求が高すぎる監督だなと思っている。つまり、言葉でも言えることを映像を用いて表現したいのだ。それが、悲観論的な文明批判だったり、社会批判といった形で表れてくる。


 つまり、映像が説明のための道具になってしまっている。解釈しないと消化できない。それが観る者への知的な挑戦となっていて、それが楽しめる向きにはあれこれ理屈をつける楽しさというものがある。そんな映画はそう多くはない。しかし、それならば別に映像を用いなくてもよいのではないか? 主張があるなら、もっとストレートに伝えたらよいのではないか? 僕などはそう思ってしまう口である。


 では、映像が説明的なのかというと、この作品では必ずしもそうではない。虚空をゆったりと進む宇宙船の姿には、それだけでもある種の引力がある。また、この作品では敢えて説明を省くことで(最終的な編集の時点でごっそりとカットしたのだそうだ)、主張的な側面をぼやかしている。それが結果的にはこの作品をいつまでもフレッシュなものにしている気がする。地上では腐るものも、宇宙ならばそうではない。有機物に付着する細菌がいないからだ。そんな真空の清潔さが非常によく表現されていて、そこがとても好きだ。


2017/05/15
 『宮沢賢治全集〈1〉 (ちくま文庫) | 宮沢 賢治 | 本 | Amazon.co.jp』


 「童話」とは何だろうか。単純に子供でも分かるように優しく噛み砕いた物語のことだろうか。それでは何か足りないような気がする。きっと、表現という行為に深く根差した原則があるはずだ。例えば、こういう問い掛けならどうだろう。「童話」を持たない国や民族はあるのか。もしくは「神話」との間に何か関連はあるだろうか。ともに平易な言葉と高い象徴性を持つ形式だ。


 これだけ素晴らしいテキストを残した賢治も、現実世界においては「はみ出し者」であったことが詩作の所々から伺える。それは僕を悲しませる。そんな時、このフレーズが頭を過ぎる。「そんなことで地理も歴史も要いつたはなしでない。やめてしまへ。えい。解散を命ずる」。


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 『オネーギン (岩波文庫 赤604-1) | プーシキン, 池田 健太郎 |本 | 通販 | Amazon』


 結局、今一つ乗り切れないまま読み終えた。物語の最後で「これは物語である」と宣言しながら、登場人物たちを解放するかのように筆を置くその趣向は、確かにナボコフのルーツの一つであることを思わせる。また、プーシキンが生まれたのはナボコフのちょうど百年前なのだ。そんな縁もあって、自らをその文学的嫡子としてイメージするようなことがあったのかもしれない。


 本編に関しては以上である。しかし、この文庫にはなかなか興味深い続きがあって、巻末に訳者池田健太郎によるあとがきと二編の短い回想記が収録されている。これが相当に面白い。いかにして翻訳家になったか、そのことにまつわる様々な屈折。ある知られざるロシア文献収集家の栄光と挫折。大した努力もなしに何者かになろうと夢見てしまう己の怠惰さを大いに反省させられた。大家ですら努力している。いわんや。


2017/05/13
 『ウォーキングWITHダイナソー BBCオリジナル・シリーズをAmazonビデオ-プライム・ビデオで』


 一九九九年の作品なので、ここ最近の研究成果が反映されていないかもしれない点はやや留意が必要かもしれない。ナレーションの吹き替えを担当しているのは日本の若い俳優なのだろうが、時々微妙に発音や抑揚に不自然なところがある。声質が男前なのは分かるけど、やはりこういう仕事は専門の声優か、アナウンサーに任せた方がいい。


 恐竜たちの生態にはかなり大胆に現代の動物たちの生態が移殖されている。尿によるマーキングや、群れで行動するところなど、象やライオンのそれがそのまま当てはめられているように思うのだが、実際に証拠があるのだろうか。確かに、生態系の中での位置が同じようなものならば、似たような行動を採っていた可能性は十分に考えられるけど。


 また、これは演出上やむなくそうしているのだと思うが、恐竜がやたらと鳴き声を上げる。しかし、先の態で言うと、現在の野生動物はそんなむやみに鳴いたりしないので、ここは筋が通らない。捕食者であれば獲物に気付かれてしまうし、狙われている側からすれば居場所を示すことになるだけだ。そもそも、この手の映像で恐竜が「ガオー」とか「キュルルル」と鳴いたりするのは、怪獣映画の影響であって、特段これという証拠はないと思うのだけど、どうかしらん。


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 『親切な進化生物学者―― ジョージ・プライスと利他行動の対価 | オレン・ハーマン, 垂水 雄二 |本 | 通販 | Amazon』


 チャンドラセカールの伝記は読み終えたので、続いての「科学マインド刺激本」としてチョイス。ダーウィニズムを悩ませる「利他的行動」を軸にして綴る壮大な科学史といった感じか。進化論関係はややこしくていつも持て余してしまうのだが、今回は如何に。伝記的な部分は非常にドラマチックに書かれていて、大変面白く読める。


2017/05/12
 「Youtube - 慶應大学 理工学部 講義 数理物理 第三回」


 オイラー、ラグランジュ、スカラー、ベクトル、テンソル…。ほとんど呪文のようにしか聞こえないが、ここしばらく寝物語にこの講義を聞いている。具体的な中身に付いていくのは厳しいが、様々な量が公式として繋がり、計算によって自在に変換可能なのだということは「雰囲気」として分かる。その自在さが「数学」の快感の一つだということも。


2017/05/11
 『夢野久作全集〈3〉 (ちくま文庫) | 夢野 久作 |本 | 通販 | Amazon』


 「結婚」は家同士の契約のようなものだから、個人の内面を充足しえない。人はその不足分を不貞という形で満たさざるを得ず、それが「悲劇」の種となる。そして、「子供」はその欺瞞を鋭く見抜き、言葉には出来ないが強く苦悩する。このようなモチーフが随所に見られるように思う。多分、久作の周囲にあったものがそのような世界だったのだろう。


 誰かを喜ばせたり、または怖がらせたりしたいという強い遊戯的な心で、特異で怪奇な世界に否応なく引き込まれていく病んだ感覚をどうにか昇華しようとしている。僕には彼の作品はそのような自己救済のための道具ではなかったかと思えるのだが。


2017/05/09
 『オネーギン (岩波文庫 赤604-1) | プーシキン, 池田 健太郎 |本 | 通販 | Amazon』


 特に感情移入できそうな登場人物もいない。陶酔したような文体も、いささか大仰な感じがしている。ストーリーも一昔前の少女漫画のようで、隠喩はシェリー酒のように甘ったるい(なんてね)。今読んでいるエッセイ集でもナボコフは頻りにプーシキンを誉めそやしているが、そこまで尊敬の念を抱く理由がもう一つよく分からない。やはりロシア語で声に出して読んだ時に特別な感動があるのだろうか。


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 『夢野久作全集〈3〉 (ちくま文庫) | 夢野 久作 |本 | 通販 | Amazon』


 ボルヘスがミステリー愛好者だったことはよく知られているし、日本および東洋の文化に対してもリスペクトを持っていたに違いない。そんな彼に、江戸川乱歩や夢野久作のことを知る機会は果たしてあっただろうか? そもそも、日本のミステリーがスペイン語に訳されたことはあるのだろうか。スペイン語に限らず、この暗い耽美の世界を翻訳によって伝えることは可能なのか。この湿り気を、この因習の香りを。


2017/05/07
 口中に手を突っ込んで心臓を掴み出し、じゃぶじゃぶと洗ってみたかった昼下がり。「おい、俺の方が先やろ」と胃袋がごねる。


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 『THE MENTALIST/メンタリスト<シックス・シーズン>(字幕版)をAmazonビデオ-プライム・ビデオで』


 シーズンを重ねてくると、登場人物の恋愛模様で話を繋ぐようになるというのは、この手のドラマの常套手段ではある。リズボンに新しい恋人が現れるが、そうすんなりとまとまりそうにはない。リズボンとジェーンはもちろん魅かれあっているが、感情に流されては仕事にならないので深いところで抑制している。そのことはお互いに何処かで感じ取っており、リズボンは新しい恋人が代理品、もしくはその葛藤から逃げ出すための方便かもしれないという不安とも戦っている。


 これまでの人物像からすると、リズボンがダメ男にあっさり引っ掛かる手合いであってもおかしくはない。一家の長として弟たちの面倒を長いこと見てきた。世話を焼いていないと関係性に実感が持てなくなっている可能性がある。パイク捜査官がそう描かれているわけではないが、彼に何か隠された問題があっても不思議ではない。ありがちなのは、飲酒や暴力など、だ。


 ジェーンの方はフィッシャー捜査官との関係が進行するかと思ったが、そちらの方はシーズンを通じて手付かずのままにされている。次のシーズンがファイナルになるはずだが、そちらでは少し絡んでくるのだろうか。しかし、彼女の大本命は上司のアボットという可能性もないではない(それが彼女がセラピーを受けた理由かもしれない)。


2017/05/05
 『日本の作家が語る ボルヘスとわたし | 野谷 文昭 |本 | 通販 | Amazon』


 獄中の安楽椅子探偵イシドロ・パロディならこう呟いたかもしれない。「実に興味深い。本書には様々な論考が載っている。然るに、その中で誰が本当にボルヘスを愛しているのか。本書は、それを探り当てよというプロフェッサー・野谷からの挑戦状に他なるまい。ヒントはすべて読者の前に提示されているのだ」


2017/05/04
 五月の風は何を運ぶ? 街を白と緑のまだらに染め上げる光の染料と理由のない憂愁。この歳になると、時間と敗北がほとんど同じ意味になる。怖ろしいことだよ、実に。


 今はただ眠りたいんだ。泥の中の肺魚のように。

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 『THE MENTALIST/メンタリスト<シックス・シーズン>(字幕版)をAmazonビデオ-プライム・ビデオで』


 ここまで引っ張るだけ引っ張ってきた「レッド・ジョン」の正体は、第八話で明らかになる。突然今まで登場してこなかった人物を出してきたり、大それた隠し設定などを用いることなく着地してみせたことは着地してみせたのだが、これまでの大胆不敵な犯行の数々に比べると随分しょぼい幕切れではある。無理をしてストーリーが破綻してしまうより、とりあえず広げた風呂敷は畳むという方向で終わらせたかったのだろう。


 そもそも、このシリーズが開始した当初、「レッド・ジョン」が何物であるか決めてあったのだろうか? 恐らくは見切り発車であったろう。これまで何度か「こいつだろう」と思わせるポイントを提示してきたが、その都度「実は違いました」というどんでん返しに持ち込み、それが新たなシーズンへの期待度を高める役割を担ってきた。それも遂に限界に達し、こうして決着をつける他はなくなったわけだが、パトリック自身が劇中でこんなセリフを言うのである。「ちょっとガッカリだよ」、と。製作側もこのシナリオには満足していなかったということを視聴者に伝えたがっている、そんなメッセージと受け取れなくもない。


 そして、第九話以降、パトリックは FBI と組んで、よりシリアスな事件に立ち向かうことになる。なるほど、このために仕切り直しが必要だったんだ。


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 「Youtube - 【BPM.344!】Donna Leeの限界に挑む!(そして散る)」


 僕が初めて「Donna Lee」を聴いたのは、ジャコ・パストリアスのアルバムでのこと(未だにバードのそれはちゃんと聴いていない)。ベースとパーカッションのみで演奏されたそのヴァージョンは、フレットレスベースのモグモグとした音色と乾いたコンガの響きが暗闇の世界に寂しく鳴り響いているように感じられ、非常に妖しい雰囲気を醸し出しているように聞こえたものだ。まさか、メジャースケールがそこで演奏されているとは夢にも思わなかった。まだ、ジャズを聴き始めて間もなかった頃の話である。


2017/05/02
 『ナボコフの塊――エッセイ集1921-1975 | ウラジーミル・ナボコフ, 秋草 俊一郎 |本 | 通販 | Amazon』


 もし、ナボコフがただひたすらに幸福な幼少年期を送ったというのならば、彼は表現者なんぞにならずに、ただひたすらその甘美な記憶に浸っていさえすれば良かったはずだ。偉大過ぎるほど偉大な父親がいて、教養と文化の香りに溢れた母親がいた。兄弟もいた。しかし、『賜物』で繰り返し語られるのは、どちらかと言えば遊具や玩具の記憶である。家族での「体験」はそれほど触れられていない。彼は弟と何をしたのか? 僕には、これと言って思い出せるものはない。


 「才能とは不幸な境遇に対する補償である」。彼の優れた言語感覚は、決して満ち足りた心理状態を潜ってきたわけではないことを裏側から証明していると考えられなくもない。早くから不眠症であったことは何処かで告白していなかったか(ああ、僕はエリアーデのそれと勘違いしているのかもしれない)。もし、あなたの同級生の少年が不眠症だったら、あなたは彼を羨むだろうか? その小さな口で「小説」や「文学」が趣味だなどと言ったら? 彼はどんな顔をして、どんな服装をしているだろう。また、幼い彼が避暑に出かけた先で出会った少女と「家出」を試みたのは、ただ恋が盲目であることのなせる業だったのか。


 彼の残した「作品」は、僕らに何を告げようとしているのか。「人」ではなく「物」に愛着を感じるということが何を背景にしているか、僕も少しは知っているような気がする。


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 『THE MENTALIST/メンタリスト<シックス・シーズン>(字幕版)をAmazonビデオ-プライム・ビデオで』


 ようやく第六シーズンがプライムビデオに回ってきた。これで大分時間が潰せる(いや、潰している場合ではないのだが)。


2017/04/30
 『ブラックホールを見つけた男 | アーサー I.ミラー, 阪本 芳久 |本 | 通販 | Amazon』


 ブラックホームが空間を極限まで捻じ曲げるという話を聞く度に、「0.999...」という循環数のことを思い出す。数学の「できる」連中は、それは「1」と同じことだという。だが、納得できない。理念は永久不変であり、時間によって左右されたりはしない。「三角形」は常に「三角形」である。しかし、この「0.999...」を永遠に「1」に漸近する「動的な数値」と見做すというのはどうか。それは停止しておらず、運動を含む。よって必然的に「時間」を巻き込む(再び素人の怖いもの知らずぶりを発揮している俺である)。


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 「【ナショジオ】ジーニアス:世紀の天才 アインシュタイン 予告編 - YouTube」


 すごく楽しみ。というか、俺の環境で観られるのかな。


2017/04/29
 『夢野久作全集〈3〉 (ちくま文庫) | 夢野 久作 |本 | 通販 | Amazon』


 「押絵の奇蹟」。女性からの恋文を模した中編。やや冗漫な感じもするが、行間から書き手の涙が沁み出してきそうな見事な出来栄えである。ここにも『ドグラマグラ』に通じるモチーフがある。彼なりの「母子関係論」が頭の中で渦を巻いていたものと想像するが、如何に。


 この作品で描かれるような強力な「家制度」や「男尊女卑」は今では失われた。それは、社会が豊かになったことの明るい側面の一つではあると思う。我々は自由恋愛という新しい小さな地獄と日々向き合うことになった。同時に、久作のような書き手もいなくなったのである。


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 『「エイリアン・デー」特集|GYAO![ギャオ]』


 今まで一つも観たことがなかったので、いい機会だと思って鑑賞。もっと「異星人」とドンパチやりあうような話かと思ったら、形式としては「仲間」が一人づつ殺されていく「ジェイソン式」で、その舞台を宇宙船にしているって感じだね。まあ、「宇宙」というより「深海」を意識しながら作られたという気がずっとしていたけど。


 現在の目で少し厳しく見れば、SF的にはかなりアナクロな部分が目に付く。液晶モニターも、ドローンのような無人探査機もない。宇宙で必要なのはスペシャリストではなくジェネラリストだろう(誰が死んでも他の誰かが変わりをできなくては非常に困る)。宇宙船内に重力をもたらしているエネルギーは何か? それが実現できているのに、手作業による修繕が必要とはアンバランスだ。まあ、この辺でやめておこう。そういう映画ではない。


 シガニー・ウィーバーはこの物語では特にこれといった活躍をしているわけではない。僕なぞは彼女が難局を知恵と勇気で乗り切っていくような活劇話だと思い込んでいた。「拒食症」を思わせるような細い体。乾いた、どちらかと言えば感情の無い表情。女性が新たな自己像を社会の中で見出そうとしている、そんな時代を映し出している作品でもあった。


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 「Youtube - Op weg naar de UEFA Cup 1992 - Torino - Ajax」


 ベルカンプ、ヨンク、ヴィンターにブライアン・ロイ、みんなアヤックスから巣立っていったのだ。


2017/04/28
 『夢野久作全集〈3〉 (ちくま文庫) | 夢野 久作 |本 | 通販 | Amazon』


 「あやかしの鼓」。美文麗文の連続には溜息をつく他はない。僕には手の届かないところにある表現の数々。どうしたらそこまでたどり着けるのだろう。過去の因果が時を超えて現代に蘇るという筋立ては、『ドグラマグラ』にも通じる型である。


 九州にその名を轟かせた国粋主義者の家に生まれ、その「血の因果」に久作も深く思い悩んだのではないかと想像するが、如何に。後半、やや息切れるというか、前半の稠密さが持続できていない感じもしないでもない。淫欲、放火、殺人、このような「探偵小説」的趣向が却って作品の妖しい輝きを鈍らせてしまっているような気がする。


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 ウイルスが抗生物質への耐性を獲得するためには、膨大な同胞たちの中でたった一つだけでも突然変異で生き延びる個体が登場すればよい。これは、ほとんど「奇跡」だが、物理的に許されていない現象ではないので、長い時間を掛ければどこかで起こる。


 我々人類も、地球が太陽との絶妙な距離を保っているという「奇跡」に支えられている。地球になり損ねた星が、宇宙に何兆個と存在するだろう。そのトライアル・アンド・エラーの中の成功者が我々というわけだ。そして、今こうして生きていることも、先人たちが各種の絶望的な状況を乗り越えてきた証である。


 一つの個体にとっては、ほとんどの「祈り」は無効だ。「神」はいないとしか言いようがないし、我々の作り上げた世界も「楽園」と呼ぶには程遠い。それでも、我々は意識の遥か下方で微かに「奇跡」を信じているのだと思う。この肉体、この生理、この「私という意識」なる不思議な現象、それ自体がひとつの証明になっているからだ。


 五十億年後には太陽も死を迎える。太陽系も再び巨大な塵芥となる。やがて宇宙に散ったそれらがどこかで凝集し、再び恒星系を作り出す。そこに地球によく似た星が誕生する確率は低いだろう。しかし、別のどこかでは既に生まれているかもしれない。この宇宙の広大さはそれを許している。もちろん、許しているからと言って、必然というわけではない。さらに数百億、数百兆年の後に起こるであろう宇宙の終焉を見届ける知性は果たしているだろうか。隣の宇宙に脱出して生き延びるような賢い連中が。


2017/04/26
 よく進化論を説明する図で、猿が段々腰を伸ばして人間に変化していくというやつがあるけれど、そこに描かれる「原始人」はほぼ百パーセント「白人」である。しかし、最初の人類はアフリカで生まれたのだから、彼ら人類の始祖は「黒人」なのではなかろうか?


2017/04/25
 「名ギタリスト、アラン・ホールズワース、死去 | Allan Holdsworth | BARKS音楽ニュース」


 自分はそれほどフュージョンやプログレに詳しいわけではないが、一応ギターを弾く人間の端くれとして、彼のことはずっと気になっていた。とは言え、リーダー作を一枚と、参加アルバムを二三枚聴いたことがある程度である。


 彼の中ではちゃんと理論的整合性があるのだろうが、僕の耳からするとランダムな音の列にしか聞こえないフレーズをいとも簡単に延々と繰り出すそのプレイスタイルを何とはなしに体が求めるようになったのは、ほんのここ一二年のことだ。それにしても、「分かる」とか「好き」というようなストレートな受容ではない。「分からない」し、「受け止めきれない」からこそ、ある種の修行のように聴く。それこそ、難解な用語に満ち満ちた哲学書を歯を食いしばって読み進める時のように、だ。


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 『夢野久作全集〈3〉 (ちくま文庫) | 夢野 久作 |本 | 通販 | Amazon』


 俳句や短歌には関心があるものの、ちゃんと手を付けたことはない。手垢のついたジャンルにも見えるし、恐ろしく技量が求められる形式にも見える。自分でも戯れに詠んでみようと思うことはあるが、ろくなものが出てきた験しがない。十七文字の中に「自分」を織り込ませつつ(もしかしたら、これが間違いの元なのかもしれないが)、決められた「形式」にも則らなければならないというのは、非常に難しいことだ。


2017/04/24
 『夢野久作全集〈3〉 (ちくま文庫) | 夢野 久作 |本 | 通販 | Amazon』


 『ドグラマグラ』には「本書を読んだ人間は一度は精神に異常をきたすという」というおどろおどろしい宣伝文句(?)があるけれど、しかし、あの作品を手にした人間の多くは途中でへこたれて読むのをやめてしまうと思われるので、ある意味では安全だとも言える。むしろ、本書に収録されている「猟奇歌」の方がずっと危険な気がしてならない。


 まるで殺意や反社会的な夢想を凝縮したサプリメントのようで、ついつい軽い気持ちで何粒も飲み下してしまう。その鮮烈なイメージ群には、脳の中枢に近いところにダイレクトに作用するような危うさがある。こんな痛快なものを今まで読み逃していたとは。果たして、ここに書かれたことは空想上の遊びなのか、それとも久作の暗い胸の内の真実なのか。そのことを考えるだけでも背筋がぞくっとするのである。


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 「Youtube - Highlights PSV - Ajax」


 オランダでもクラシケルが開催されていたのだね。これで PSV が優位に立ったのかなと思いきや、順位表を見てみたら、フェイエノールトがトップだった。三強の下にはユトレヒト。おやおや、これは完全にノーマークだったな。良いフォワードでもいるのだろうか。小林のヘーレンフェーンはちょっともう来季のヨーロッパリーグの目はなさそうだ。


2017/04/23
 『ナボコフの塊――エッセイ集1921-1975 | ウラジーミル・ナボコフ, 秋草 俊一郎 |本 | 通販 | Amazon』


 細かいとも言えない話。現代では文章の補助的な部分はかなり「ひらがな」に書き下す傾向があるとはいえ、ちょっと目に余る感じがしないでもない。個人的には「ぼく」や「わたし」にも馴染めないので、この傾向はあまり歓迎できないんだよなあ。「裏打ち」を「うらうち」と書かなければならない合理的な理由があるとは思えないのだが…。


 将来的に、このような仕組みはどうだろう。まずはすべて平仮名に書き下されたデータがあり、それを端末にダウンロードする。ユーザーはどの程度漢字に直すかをいくつかのレベルから選択できる。小学校低学年向け、常用漢字レベルT〜V、はたまた明治の文豪レベルまで。オプションで「泉鏡花風」や「村上春樹風」などの調整済みフィルターも用意されており、自分に合った配合を楽しむことができる。


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 『アフリカをAmazonビデオ-プライム・ビデオで』


 ロウニンアジという大きな魚がいる。彼らは普段海に棲んでいるが、そこでは基本単独行動である。しかし、ある時になると集団で鮭のように川を上り始める。ある程度遡上すると、リーダー格の一匹の後ろについてぐるぐると円を描いて泳ぐ。なるほど、そこで産卵するのかと思いきや、そうではないというから不思議だ。この行動の理由は解明されていないらしい。まだ、そんなのがあるんだなあ。


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 『ブラックホールを見つけた男 | アーサー I.ミラー, 阪本 芳久 |本 | 通販 | Amazon』


 後半になると、「水爆開発史」に大きく焦点が当てられ、チャンドラセカール博士自身はあまり登場しない。実際、アメリカに腰を落ち着けてからは、概ね静かな学究生活を送っていたようだ。


 それにしても、宇宙やブラックホールを扱ったドキュメンタリーでもチャンドラセカールの名前を目にすることはほとんどないね。だいたいがアインシュタインとか、ハッブル止まりだ。まあ、エディントンやミルンも言及されることはないから、これをもってテレビ業界に人種的不均衡があるとまでは言い切れないけど。


2017/04/21
 『ナボコフの塊――エッセイ集1921-1975 | ウラジーミル・ナボコフ, 秋草 俊一郎 |本 | 通販 | Amazon』


 細かい話、その二。各エッセイの執筆年は巻末の解題を見ないと分からないのだけど、エッセイの末尾に記されていたら、「ああ、これは亡命直後のおセンチな時に書いたんだな」とか、「小説が売れて強気になってる時かな」とか分かるのでいいかなとか思った。


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 『オネーギン (岩波文庫 赤604-1) | プーシキン, 池田 健太郎 |本 | 通販 | Amazon』


 何もかもが煮詰まってしまい、八方塞がりの感覚に囚われることが随分と多くなった。何事かの報いを受けているのだとは思うが、良い歳の取り方とは言えない。目先を変えるためにこの本を手に取った。そんな風に手に取られる方もいい迷惑かもしれないが。


 古典的な世界においては、職業的な意味での作家になるためには、まず「暇な金持ち」でなければならない。さにあらば先人たちの作品を手に入れることも適わないし、それを読む暇もない。紙とインクも自由に使えなければならない。本作は、そんな時代に書かれたものだ。華やかな社交界と、それに依存しつつもそれに倦んだ素振りをしてみせることで格好をつけるような態度。今も似たようなものをそこかしこで目にしているような。


 ほとんどの文が隠喩で構成されており(そもそも、原文は詩のスタイルで書かれたものらしいが)、多少回りくどいという感じもある。原文で読めば、見事という外はない音韻的な技巧があるのかもしれないが、翻訳ではそこまでは分からない。世間や批評家に対して先回りして言い訳や論戦を張るところなどは、可愛らしいと言えば可愛らしい。ナボコフも、読者への問い掛けのような書き方をよくするよね。


2017/04/20
 『THE BRIDGE/ブリッジ シーズン3 話数限定-動画[無料あり]|GYAO!|ドラマ』


 とりあえず第一話。続きも配信されるのだろうか。アスペルガーでサヴァンの気のある刑事サーガ・ノレーンは、ポスト産業社会の避け難い疲弊に喘ぐ北欧の先進国が生んだ現代版シャーロック・ホームズに他ならない。


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 『ボーンキッカーズ 考古学調査班 【吹替版】-動画[無料]|GYAO!|ドラマ』


 意外と言っては失礼かもしれないが、なかなかな掘り出し物。「殺人事件」一辺倒の(致し方ない部分ではあるが)ミステリードラマにちょっと胸灼けを起こし気味だったので、実に新鮮だった。いろんなことが「分かって」いないと、こんな作品は作りようがない。その知的な仕掛けが面白いのだ。


2017/04/19
 言いたいことがうまく言えてないような気がするのでもう少し。つまり、生命というのはある閾値を超えると爆発的に進化して地球のような状態に至るが、そうでなければ速やかに終息するかのいずれかなのではないかということだ。このような構図は至るところで見られるだろう。


 エンケラドスの海に何者かがいて、今日まで絶滅を逃れているとするならば、氷の下の海にはイルカレベルの生体が悠々と泳ぎ回っているのではないか。そして、そこまでくればもっと目に見える痕跡を残すのではないか。もし、今そのようなものが見えないのであれば、そこにいるのがほんの些細な(それでも大発見には変わりないが)ものたちであること、もしくは既に何度か生命は発生したものの短い周期で消えてしまったということを意味するのではないか。


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 『スーパーナチュラル〜野生の超能力者たちをAmazonビデオ-プライム・ビデオで』


 これも一気に観てしまった。現代では各種の技術進歩があるので、このようなネイチャードキュメントはそれに基いてどんどんと刷新されていく可能性がある。暗視カメラに音響カメラ、匂い分子やイルカ言語の更なる解析…。ああ、すべてを見届けるまではとても死ねない。


 それにしても、案内役を務める女性科学者は、いろんな意味でちょっと大胆だ。僕が何を言わんとしているかは全編観ていただけたらお分かりいただけることと思う。トンボが肉食で優秀な捕食者だということを、我々はなかなかイメージしにくい。数々の牧歌的イメージで厚く覆っているからだ。水棲の幼虫時代もかなり狂暴である。


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 「ロシアの永久凍土地帯で地表にできた7000個の「メタンの泡」が爆発する可能性 - GIGAZINE」


 「A Day In The Life」の歌詞にある「Four thousand holes in Blackburn, Lancashire」を思い出したのは僕だけではないはずだ。


2017/04/18
 『ブラックホールを見つけた男 | アーサー I.ミラー, 阪本 芳久 |本 | 通販 | Amazon』


 科学の夜。土星の衛星エンケラドスには液体の水があり、生命活動の痕跡となりうる物質も見つかっているのだそうだ。もしかしたら、氷の外殻の下に海があり、そこにはバクテリアのような微生物が生息しているかもしれないという。


 そのニュースを見てこう思った。地球上での生命は複雑なサイクルの中で多様性を維持しながら持続しているけれども、もっと小さいシステムの中で長い間種を存続させるということがあるのだろうか。バクテリアがバクテリアのみの世界で進化せずに数億年子孫を残し続けるということが。


 地球上でも個体数は少ないけれど、何とか生き延びている生物はいるに違いない。しかし、それもよりマクロなシステムが背景にあってこそだろう。そこから切り離された状態でもうまく回っているサブ生態系のようなものはあるだろうか? 地球の過酷な極地などにも微生物がいるが、それは他の動物とは全く関係なく生きられるものなのだろうか。もし、それが可能ならば、エンケラドスの海で何者かが小さな楽園を作っていたとしてもおかしくはない。


 ここからは素人の戯言。結局すべては電磁波なのではないか。可視光の外に赤外線や紫外線などがある。では、途方もなく短い(素粒子レベルの)波長の電磁波はあるのか? また逆に宇宙より大きな波長をもった波はあるか。それが一回ぐわんと揺れる度に全宇宙を百億年に渡って突き動かすエネルギーが与えられるというような。


2017/04/13
 『進化の神秘をAmazonビデオ-プライム・ビデオで』


 一本三十分なので、コーンスナックのようにサクサク観られる。気が付けば一袋、また一袋と空にしているではないか。


2017/04/12
 『ナボコフの塊――エッセイ集1921-1975 | ウラジーミル・ナボコフ, 秋草 俊一郎 |本 | 通販 | Amazon』


 細かい話。七三ページの注六にある「所有」は「所収」のことかな。七四ページの注二六には「中二病」という表現があるけれど、出来れば我慢してほしかった。サブカルチャー的符牒をそれに頼らず普通の言葉で表現できるかどうかは、「表現」に関わる人間の地力を測る物差しになると常々思っている。


2017/04/11
 こうも寒い日が続いちゃ敵いませんな。しかしですな、その原因の一つはあなた方にもあるんですよ。実は、春というものは土筆の穂に猫の髭が触れる度にちょとづつ近づいてくるっていう仕掛けになってましてな。この世にはそんな隠れたからくりってもんがいろいろとあるもんなんです。


 最近じゃ、あなた方がお妾さんみたいに囲っちゃったもんだから、野に生きる猫の数が随分と減りました。本当は規約違反なんですが、私なんか土筆の子を見る度にちょいちょいと撫でてやったりしてるんですよ。まあ、焼け石に水もいいとこなんですが。そんなわけですので、春めくのはもうちょっと先のことになりそうです。まあ、気長にお待ちくだされ。


   ***


 「Youtube - Samenvatting PEC Zwolle - Feyenoord」


 僕がオランダリーグを意識し始めたのは九〇年代の中盤からのことだけども、その頃にはこの「PEC Zwolle」なんてチーム名は見たことも聞いたこともなかった。ここ数年で一部にしっかりと定着し、こうやって三強クラブにも牙を剥いたりしてみせる、伏兵クラブとして知られるようになった。


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 『潜入!スパイカメラ:トラ 密林の王者をAmazonビデオ-プライム・ビデオで』


 このシリーズ大好きなんだけど、これまた傑作。一気に全エピソードを観てしまった。その他、ネイチャー系ドキュメントが随分と追加されている。最近ちょっと観るものが無くなってきた感があったので、有難い。


2017/04/10
 『夢野久作全集〈2〉 (ちくま文庫) | 夢野 久作 | 本 | Amazon.co.jp』


 前半はあまり興が乗らなくてなかなかページが進まなかった。せっかくちまちまと全集を買い揃えてきたのに、まさかの二巻で頓挫かと思われたが、後半でようやく楽しくなってきた。元々は新聞の連載記事とは言え、そこはやはり久作の「物語作家」としての資質がじわじわと滲み出てくる。当然、取材はしているのだろうけど、それ以上に彼の「空想的東京」が入道雲のように客観性を押しのけて顔を覗かせているといった態だ。


 『ドグラマグラ』の印象から、アンチモラルで反社会的な書き手かと思われているかもしれないが、僕はそうは思わない。むしろ、作家になるような人にはよくありがちなことかもしれないが、「こどものせいぎ」に固執したタイプだと思われる。東京の「不良少年」たちに、社会を糜爛する「不埒さ」と同時に、その抑圧をかいくぐって生きる「逞しさ」を感じているのだろう。


2017/04/09
 『ナボコフの塊――エッセイ集1921-1975 | ウラジーミル・ナボコフ, 秋草 俊一郎 |本 | 通販 | Amazon』


 今まで「ボクシング」について書かれた文章をいくつかは目にしたことがあるはずである。しかし、ボクシングに関心を持つことがないまま生きてきたことを後悔させるような文章にはついぞ出会ったことがなかった。「ブライトンシュトレーター vs. パオリーノ」には、そうさせるだけの何かがある。今まさにナボコフの鋭いフックを顎に喰らって、マットに深々と沈んでいるところだ。


2017/04/08
 ゾウアザラシなどのハーレムを形成する動物を見ていつも思うのは、そうやって一匹が独占するシステムでオス同士が血みどろになって戦うよりも、百匹のメスを五〇匹ずつにして分け合った方がもしかしたら楽なのではないかと「考える」ような契機はあるのだろうかということだ。もしくは、そのように仕向ける条件というものがあるのか。


 もし、何らかの切っ掛けでこの傾向が強まると、ハーレムが解消されて、やがては一夫一婦制になるのだろうか。そうなると、オス同士は喧嘩をしなくなるから、個体一つ一つは肉体的に平均化され、一匹当たりの生存能力は低下するだろう。それを「社会性」で補っているのが、「知能が高い」とされている連中なのだろうか。


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 『日本の作家が語る ボルヘスとわたし | 野谷 文昭 |本 | 通販 | Amazon』


 購入したのはもう五年も前のことになるのだが、つい先日のような気がしてしまう。その間、時も歩みを躊躇う程の薄い空気しか吸ってこなかったせいだ。銀河の果てではアインシュタインさえ舌を引っ込めるしかない。アキレスと亀に倣えば、飛んでいる矢は止まっているのだし、時間だって進むことはない。


 一体、この世の誰がボルヘスの心臓を打ち抜くための銀の弾丸を持っているというのだろう。彼のように死と孤独と暗闇と戦ったことがない我々が、どんな剣を持ちうるというのだろう。そして、その不足をこの世では「幸福」と呼ぶのだ。


2017/04/07
 『短篇ベスト10 (スタニスワフ・レム・コレクション) | スタニスワフ・レム, 沼野充義, 関口時正, 久山宏一, 芝田文乃 |本 | 通販 | Amazon』


 「ある技術が過剰に発展したら、一体どうなるか」というテーマは、スラップスティックなSF短篇の常套手段の一つである。本書三篇目の「洗濯機の悲劇」もその列に並ぶ一作だが、やはり今の僕にはちょっと厳しい。その手の物としては破格であるが、そもそもそのような遊戯性のみに立脚した作品を読むことがとても辛いのである。ぶっちゃけて言えば、子供っぽいからだ。


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 『ナボコフの塊――エッセイ集1921-1975 | ウラジーミル・ナボコフ, 秋草 俊一郎 |本 | 通販 | Amazon』


 エッセイ中に登場したある画家の名前をウェブで検索してみたところ、残念ながらその画家はあまり趣味じゃないことが分かったのだが、ロシアに「ウラジーミル」という州が存在することを派生的に知った。さらに、その都市にはナボコフに縁のある人物の名前が合成されたような「ドミトリエフスキー聖堂」という歴史的建造物があるという。このあたりの地名と名前の関係は、やはりネイティブでないとなかなか分からないものかもしれない。作中人物の名前に地名をもじったものをつけて何らかの意味を持たせるというのは、ナボコフなら大いにやってそうなことではある。


 また、ナボコフはよく森林の描写などをするけれど、植物の名前でよくありそうなのが、訳してしまうと長ったらしい学術名を当てるしかないものが、向こうでは非常にポピュラーで特定のイメージに結びついているというケースだ。例えば、我々は「桜」という言葉で「卒業」を暗喩することができるが、九月に始業する文化圏の人間にはそのような「感傷」は生じないわけで。


2017/04/06
 「【ライターコラムfrom千葉】成長を続ける18歳の大型ルーキー高橋壱晟、ゴールで己の道を切り拓く (SOCCER KING) - Yahoo!ニュース」


 ジェフの監督をしているのは、あの「エスナイデル」なのか。選手時代は「天上天下唯我独尊」といったプレイヤーで、とても監督に向ているタイプとは思えなかったが…。人は分からないものだね。


2017/04/05
 「This is why you don’t judge a book by its cover - YouTube」


 目が覚めた。


2017/04/04
 『ナボコフの塊――エッセイ集1921-1975 | ウラジーミル・ナボコフ, 秋草 俊一郎 |本 | 通販 | Amazon』


 ようやく入手した。この世に居場所を見つけられなかった俺にとって、言葉は最後の拠り所かもしれない。とてもそうは見えなくても、ありふれた原子一つ一つに莫大なエネルギーが秘められているように、言葉にも見えない力というものがある。それは決して直接何かをしてくれるようなものではないが、この世界を暗黒物質のように繋ぎとめているのだと思う。


 ナボコフが楽園を追われたのは、国家が赤と白の旗で覆われた時のことだ。俺にそれが起こったのはいつのことだったろう。この世には野蛮な奴もいる。こすっからい奴もいる。しかし、そいつらを退治してくれる魔法使いはいない(それは青くて丸い形をしているはずだった)。六歳の少年はそれが悲しくて、学校からの帰り道で一人泣いた。ランドセルから伸びた三十センチの定規だけがそのことを知っている。


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 サブマシンの ASUS ノート、給電コネクタが若干接触不良。ガムテープでコードを本体底部に張り付け、差込口に負荷が掛からないようにする。どういう加減か分からないけれど、何らかの拍子に通電が途切れてしまう。中古とは言え、まだ一年経ってないぞ。もうちょっと頑張ってくれ。


 この子がお釈迦になるようだったら、思い切ってレノボの「YOGA BOOK」あたりに手を出してみるか。どうなの、あのキーボード。


2017/04/03
 「Youtube - Highlights Ajax - Feyenoord」


 オランダのクラシケルは、ホームのアヤックスが二対一でフェイエノールトを退けた。開始直後のショーンのフリーキックによる先制弾も見事だったし、二点目も綺麗なパスワークによる崩しだった。フェイエノールトも、長身のセンターフォワード(名前が分からない)が見事なミドルシュートを決め、敵地で一矢を報いた。大ベテランとなったカイトもフル出場し、健在ぶりを見せている。というか、リバプール時代より、体ががっしりしてないか?


   ***


 『百年の孤独』の書き出しが素晴らしいと思うのは、あの入れ子になった長い一文の中に、その後に続くすべての物語を(あたかも電気掃除機のコードが本体内部にすべて巻き取られるように)手繰り寄せてすっぽりと収めることが出来るようになっているというところだ。そして、ナボコフの『ロリータ』においては、あの告白録部の数行の簡潔な出だしに、語り手であるハンバート・ハンバートの「耽美」と「変態」の(そして、知性と官能の奇妙なアマルガムの)妖しい燐光がすべて凝縮されている。


 このような仕掛けがあるからこそ、僕はこれらの作品のことを折りに触れて色鮮やかに思い出すことができる。冒頭の一節さえあれば、様々なイメージが芋蔓式に呼び起こされるからだ。そのようにして何度も思い出された作品は、結果的に次の世代にも引き継がれていくだろう。小説最大の欲望は読まれることであり、その次が思い出されることだ。つまり、これは彼らの生存戦略の一つなのかもしれない。


2017/04/02
 『サスペリアPART2 完全版-動画[無料]|GYAO!|映画』


 ダリオ・アルジェントという名前はもちろん知っていたが、今まで作品をちゃんと観たことはなかった。本作は一九七四年に公開されたもので、ちょっとだけ元イタリア代表のマンチーニに似ている主人公が、殺人事件の目撃者となったことから自ら素人探偵として犯人を追い始めるという内容の「サイコサスペンス」である。


 現在では、このような作品は山のように存在し、刺激度もテンポも格段にシェイプアップされているだろうが、七〇年代の技術ではこのくらいのインパクトや速度が限界だったのだろう。肥えてしまった現代の我々の目からすると、いささか冗漫な感じもしてしまう。それを少しばかり我慢して、作品のリズムに目が慣れてくれば、このどこか作り物めいた不思議な世界に入り込めるだろう。残酷描写には監督の作家性が強く出ており、画面全体を覆う独特の色彩感覚と共に、それは強く目を引く。


 音声は恐らくアフレコなのだろうけど、口元の動きとセリフとがあまりちゃんとシンクロしていないのは御愛嬌か。それとも、これがイタリア仕事というものかしらん。


2017/03/31
 今朝、春の訪れを告げる鐘のようにウグイスが鳴いた。不思議だ、俺はまだ怖くて目を開けることさえ出来ない。俺の足元に世界が本当に存在しているのか、未だにその答が見つからない。俺がずっと落下し続けているわけではないと誰が証明できるというのか。


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 『アイデンティティー (字幕版)をAmazonビデオ-プライム・ビデオで』


 結構、楽しめた。途中、オカルトに逃げちゃうのかなあと思ったけど、一応そこは踏み越えていなかった(「解離性同一性障害」なる病が本当にあるのかどうかということはさておき)。『メンタリスト』で謎めいた内務調査官ラローシュを演じていた人が重要な役柄で出ている。


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 『ブラックホールを見つけた男 | アーサー I.ミラー, 阪本 芳久 |本 | 通販 | Amazon』


 この本を読んでいると、僕の内に流れている確かな声になる以前の何物かがうまく整流されていく感覚がある。著者(訳者)の持っている文体の水準がちょうどいい塩梅なのだろう。中身がいくら興味深くても、この感覚がないとなかなか後に残るものが多くならない。それは相性みたいなものだから、前もって知ることは出来ないし、僕にとって良いものが誰かにとっても良いとも限らない。


 最近思うことは、人は読んで理解するのではなく、ただ文体に感染するだけなのではということだ。頭では批評や感想を述べているつもりでも、実はその直前に読んだその本のリズムに支配されているだけということが往々にしてあると思う。カンフー映画を見た後で、体が勝手にその動きを真似してしまうのと同じだ。ここに「実態」と「表象」のズレがあるから、僕らはいつまでも本当の気持ちをうまく伝えられない。


2017/03/29
 疲れが溜まっているのだろうか、随分とえぐみのある内容の夢を立て続けに見ている。絶対に陥りたくない状況、絶対に言われたくないと思っているセリフ、それをずどんと突き付けてくるから堪らぬ。そんなものを立て続けに見せられたら、さすがにしんどい。夢は心の隠し扉の開け方を知っているのだ。


 夢とは、言葉を持たぬ内臓が綴る映像を用いた詩のようなものではないか。最近はそんな風に考えている。昨晩の詩人は少しばかりアヴァンギャルドが過ぎたようだ。きっとアブサンでも飲み過ぎたんだろう。


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 『湯殿山麓呪い村をAmazonビデオ-プライム・ビデオで』


 一九八四年公開の角川映画。B級感は否めないが、そこそこ楽しめた。基本的には横溝映画路線のおどろおどろしさを志向したものと思うが、仙道敦子のポップ感がそれを食い破っている。それは時代の明るさを味方につけているからだろう。


 原作は山村正夫。ミステリー界の重鎮だが、僕は中学時代に一冊だけ読んだことがある。多分、『逃げ出した死体』だと思うのだけど、記憶が定かではない。裏表紙の説明に「ユーモア・ミステリー」などと書いてあったので、赤川次郎信者だった僕の興味を引いたのだろう。ところが、ちょっと「お色気度」が強すぎた。女性自身のことを「クレバス」などと書いてあったりして、何だか困ってしまったものだ。


 さて、本作にはナボコフの『ロリータ』よろしく、過去の名作ミステリーからの引用が満ちているのではないだろうか。例えば、最初の事件のトリックは『不連続殺人事件』のそれに近く、『Yの悲劇』が頭にあれば、実行犯が誰だかはすぐにピンとくる。テープレコーダーを使ったアリバイ工作と言えば、ヴァン・ダインやクリスティーのことを思い出さずにはいられまい。


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 「Youtube - ホールトーンスケールで遊ぶ【今日の練習#3】」


 毎回更新が楽しみなギター講座チャンネル。しかし、ペンタ一本で生きてきた僕にはちょっと難易度が高い。


 ふと思ったのだけれど、全音ずつ上がるスケールがあるのだから、三音とか、四音ずつ上がるスケールもあっていいはずである。それらにも何か名称があるのだろうか。理屈の上では、任意のインターバルで上がっていくスケールが何でも作れる。しかし、オクターブに収まらない五度上昇スケールとか、それを超えた十三音ずつ上がるスケールとかに意味があるだろうか?


 また、フレットのあるギターでは表現できないが、四分の三音ずつ上がるとか、そういうのも可能ではある。またフィボナッチ数列で上がっていくとか、そんなのはどうか。ライヒあたりがやってそうな感じだけど。


2017/03/28
 『部分と全体―私の生涯の偉大な出会いと対話 | ヴェルナー・ハイゼンベルク, 山崎 和夫 |本 | 通販 | Amazon』


 不確定性原理にその名を遺す物理学者ハイゼンベルクの回想録。文章の才にも恵まれていたようで、ここで書かれていることがありのままの事実かどうかはひとまず置いておくとしても、自らの人生に導きを与えてくれた人々との思い出を卓抜な文章で綴っている。


 第一次大戦での敗北と社会の混乱があったとは言え、彼自身はエスタブリッシュに生まれたその幸運を謳歌していたようだ。知的水準の高い友と哲学談義を交わし(ナボコフの『賜物』における憧れの文学青年との架空対話、あれを想起してもらいたい)、並行して音楽も学んでいたが、演奏家としてもやっていけるほどの腕前だったようである。ヨーロッパの豊かで美味しい部分を背景に、彼は育ったのだ。


 なるほど、これは実に羨ましき出自である。後年、アインシュタインが量子力学を牽引する一派とどうにも折り合いが悪かったのは、こういった境遇の違いにも遠い原因があるのかもしれない。


2017/03/27
 強烈な寒の戻りと、面倒臭がってジャンクな食い物で済ませた夕食のせいか、今まで見たことのないような夢を見た。入院している昔の女を訪ねる。しかし、ベッドはもぬけの空だ。退院したのかと思ったが、ナースによると容態が悪化したので大きな病院に移ったという。俺は急いで駆け出すが、その病院の場所を知らない。貸しロッカーに地図が入っているというのだが、それは巨大なロッカーの上方三メートルの高さにあって、思いっきりジャンプしても到底届かない。後ろからは顔を合わせたくない中学時代のクラスメイトが迫ってくる。急いで俺の持ってる薬(入手経路については聞かないでくれ)を届けなくちゃいけないのに。受付でやつらとすれ違うが、顔を伏せてやり過ごす。あいつらの自慢話だけは絶対に聞きたくないからな。


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 『プラネット・ダイナソー 驚異の生き残り作戦-動画[無料]|GYAO!|ドキュメンタリー』


 例えば、今のジンベイザメが化石化したとして、将来の人類(もしくは別の知的な生物)はその「甚平」のような皮膚の柄をその化石から再現できるのだろうか? つまり、恐竜の姿形において、現状の証拠から「決定的」と目していいものはどれくらいあるのだろう。ティラノザウルスに羽毛があったとしたら、今まで描かれてきたものの九割(いや、ほぼ十割かもしれない)以上は間違っていたことになる。


2017/03/26
 『ブラックホールを見つけた男 | アーサー I.ミラー, 阪本 芳久 |本 | 通販 | Amazon』


 ある日の気怠い午後にこんなことを考えていたのだ。『ドラえもん』の有名な「ひみつ道具」の一つに「スモールライト」というものがある。この懐中電灯型の機械から照射された光を浴びた物体は見る見るうちに縮んでいき、人間は小人となってどんな隙間にも入り込めるようになる、そんな代物だ。


 これを実際に可能にするとしたら、どんな原理が必要だろう。もし、その光をずっと浴び続けていたらどうなるのだろう。のび太は原子や素粒子のサイズを超えて小さくなるのだろうか。そして、現状物理世界の最小単位であるとされている…、あれ、それって何だっけ、確かある著名な科学者の名前が冠された名称があったはずだが…。やばい、全然名前が出てこない。いかん、いかん、しばらく科学啓蒙書から遠ざかっていたせいだ。


 そんなわけで、サイエンスに対する勘所を復活させるべく積読の山から引っ張り出してきたのがこの一冊。ブラックホールという題材の興味深さもさることながら、科学史に残るスキャンダラスなチャンドラとエディントンの論争がスリリングで、のっけからかなり引き込まれている。他の本でも軽く取り上げられたりはしていたので少しは知っていたが、本書ではその内実に迫る。ややエディントンを悪し様に書きすぎている気もするが、どうだろう。


 ちなみに、僕が思い出そうとしていたのは「プランク長さ」という用語である。


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 「Youtube - 野良猫親子 療養中の母さん猫 付き添いは息子の黒ちび」


 こうも寒くちゃ、治るものも治らない。養生してくんさい、お母様。


 猫が病気の飼い主や、他のペットに甲斐甲斐しく寄り添う様は、いろんな動画で見ることができる。彼らの鋭敏な感覚は、慣れ親しんだ相手の体に何らかの異変が起きていることを感じ取るのかもしれない。病人には特有の匂いがあるともいうし。


 寄り添いながら、「元に戻れ、元に戻れ」と静かに願いを掛けているのだろうか。猫は多くを語らない。


2017/03/25
 「Youtube - 野良猫親子 母さん猫の食欲不振、体調不良の原因」


 縄張り争いか、それとも強引な雄に交尾を迫られたのか、はたまた他の喧嘩っ早い動物と遭遇したのか。こういうのを見てしまうと、やっぱり室内で飼うというのがベターな選択なのかな。


 例えば、何かケミカルな方法で雌猫から雄猫の匂いが出るようにするとかできないのかな。あ、それだと交尾を要求されなくなっても、縄張り争いの喧嘩に一方的に巻き込まれるか。じゃあ、猫が本能的に避けるのは何だろう。でも、自分からそんな匂いが出ちゃったら当の猫が混乱しちゃうか。じゃあ、「子猫」の匂いがしたら、少しは成猫からの扱いも丁寧になるだろうか。でも、「子殺し」の習性あるっていうから駄目かな。何か、猫の喧嘩を抑制するうまい方法ないですかね。


   ***


 「Huawei P9 lite ソフトウェアアップデートに不具合があるか - ミニマム コラム」


 どうやら、基本的には大丈夫な模様。大体、この手のことでトラブルがあると誰かが大きな声でまくしたてるのですぐに目立つ。現状、そういうものは見当たらない。実に静かなものだ。「便りのないのがいい報せ」とはよく言ったもので。


2017/03/24
 「"Huawei P9lite"をAndroid7.0にアップデートしてみた(若干人柱的) - SocialDeadのぶろぐ」


 僕の「P9lite」にも昨日アップデートの通知が来たのだけど、まだ更新はしていない。さらっと検索してみた限りでは大きな不具合の報告は見受けられないものの、せっかく慣れてきたのにいろいろ使用感が変わってしまうのはちょっと嫌だなと思って保留している。


 公式の発表によれば、省電力を含めた最適化がなされており、より快適な操作が可能になるらしいのだけど、どうだろ。とりあえず当機は 2016 年発表のモデルであり、まだ OS の要求に応えられなくなるような機種ではないと思うので、アップデートしてしまった方が何かとスッキリするかもしれない。スリープから復帰すると更新を通知するアプリがちょくちょく起動していて、これも何かと面倒くさいしね。


 気が付いたことを一つ。「iPod touch」では、ギャラリーから写真を削除するといったん「ゴミ箱」に入るのだけど、「P9lite」では即時で完全に消去される。これはちょっとびっくりしたな。必要なものは適宜オンラインストレージにバックアップするようにしておくか。


2017/03/23
 『フローズン プラネットをAmazonビデオ-プライム・ビデオで』


 僕たちはお母さんの甘いミルクが大好きだ。いつだって弟と一緒になって何時間でも吸っていられる。お母さんのお腹の毛を掻き分けて乳首を探すのは本当に楽しい。一番ミルクの出るところをめぐって、弟とはいつも競争になるんだ。僕の方が少し力が強いから、大概は僕が勝利を収める。でも、時には譲ってやることもあるよ。まあ、兄の貫禄ってやつかな。


 時々お母さんのおっぱいの出が悪くなってしまうことがある。きっと、僕たちが欲張りなせいなんだろう。来る日も来る日も飲み続けてるから。僕も弟も、ひもじさと申し訳なさでいっぱいになって、ついつい涙声を出してしまう。そんな時、決まってお母さんは氷の下に潜っていって、しばらく帰ってこない。僕たちは仕方なく、まだ誰も踏んだことのない雪の原で取っ組み合いごっこをしながらお母さんの帰りを待つ。大人の熊が現れたらすぐに隠れなさい、お母さんはいつもそう言う。理由は教えてくれない。お母さんはあんまりお喋りじゃないんだ。大人と一緒に遊んだらいけないのかな。


 水しぶきを上げてお母さんが海から顔を出すと、僕たちの鼻につんとした香りが飛び込んでくる。僕が転んで怪我した時に出る赤い汁と同じ匂いと、それから何だかとても不思議な脂っこい匂い。それを嗅ぐと、僕は少しだけ心臓の鼓動が早まる。何かが僕を急き立てているような気がしてくるんだけど、どうしていいかは全然分からない。これって何なのかな。お母さんに聞いてみるけど、やっぱりそれについては教えてくれない。でも、お母さんからその匂いがした時には、いつもまたおっぱいがたくさん出るようになっている。だから、僕も弟もまた夢中で飲む。そしてお腹がいっぱいになったらお母さんにくるまれて眠る。お母さんはいつも温かい。僕はずっとお母さんから離れないぞ。いくつ冬が来ても離れるもんか。


2017/03/22
 『失われた足跡 (集英社文庫―ラテンアメリカの文学) : カルペンティエル, Alejo Carpentier, 牛島 信明 : 本 : Amazon』


 ようやく読み終わった。文章の華美さには舌が巻かれて千切れるほどだが、読み終えた後に残るものは華麗な文章の重さに長い間耐え続けたことから来るずっしりとした疲労感だ。半分は無学な僕の責任であるが、とりあえず分かるのは、著者が健やかで幸福だということ。芸術に関する知識が豊富でいらっしゃるということ。ストーリー的には「隣の芝生が青く見えたので、すべてを捨ててそちら側へ行こうとしたけれども叶わなかった」ということにでもなろうか。


 主人公の苛立ちも「贅沢病」のようなもので、特段目新しいものではない。この小説が、明日突然この世界から「失われた」としても、この世は何も変わらず平然と動き続けているだろう(『変身』や『悪霊』なら、きっとそうはいかない)。しかし、作者はそんなことはまったく気にしていないのだ。文学にありがちな様々な懊悩の病とはまるっきり無縁なのである。そこがカルペンティエル大先生の、大先生たるところなのかもしれない(こんなことを書いているようじゃ、また俺の心の中にいる大先生に説教を食らいそうだ)。


   ***


 「Youtube - 野良猫親子&子猫ろく 3月の連休の犬と猫とアジ釣りおじさん」


 岩合さんが撮っても、「おばさん」が撮っても、スペインにいても、日本にいても、猫の「品質」は実に安定している。壁の色や、太陽の色が変わっても、彼らは判で押したように猫である。日向で毛繕いをし、隙あらばどこでも爪を研ぎ、子猫は無邪気に跳ね回る。どこかの気紛れな神様が、地球上から無作為に選んだ二ヵ所の猫をひょいとすり替えたとしても、彼らはそんなこと気にもせずに新しい路地を歩き始めるだろう。


 僕の見た限りにおいて、彼ら一族は毛の色に関して全く頓着していない。相手が何色であるか、そんなことはどうでもいいと思っているようだ。また、彼らには自意識がない。どの猫も自らの美しさを誇示しようとしないし、また自分の模様は醜いのではないかと思って委縮したりもしない。実に羨ましい、見習うべきところの多い態度である。


2017/03/21
 『Hawaii Five-0 シーズン 1 (字幕版)をAmazonビデオ-プライム・ビデオで』


 第三シーズンまでは一気に観ちゃったんだけどねえ。最近ちょっと気持ちが離れてる。


 『ボーンズ』なんかもそうなんだけど、出てくる人たちがみんなスーパーマンか天才なわけ。そういう人がすごいことをやってのけるのは、当たり前っちゃあ、当たり前であってさ。そんなところが微塵もないこちらとしては、「俺くらいタフじゃなきゃ、愛する女も守れないんだぞ」って責められてる気がしてね。まあ、タフであるに越したことはないけど、こちとら生まれつきのフィジカルスペック不足なんで、そこんとこはいかんともしがたいわけ。


 今じゃ誰もが認める国民的作品『ナウシカ』でもそんなことがあった。王蟲の群れに立ちはだかる彼女に対して、「そこまで自己犠牲出来そうもない自分」がいてさ。柔らかな十一歳の俺の胸に、そんな爪痕が残ったもんだよ。あれは強烈だったね。ある意味じゃ、罪な映画だよ。


 もう一つ。何故アダムのことをそこまでして守ってやる必要があるのか? 追ってくる敵をバンバン撃ち殺してるけど、何なの。そいつにだって家族がいるかもしれないじゃないか。コノ嬢は完全に戦闘モードだけど、どこに法的正当性があるのか。それが示せないなら、ただの殺戮マシーンじゃないか。そもそも弟を殺した時点で逮捕されて裁きを受ければいいって話じゃないの。十分正当防衛で通るだろうし。


 で、その二人を追ってる「ヤクザ」の描き方も相変わらず温くて、どうにも。「ヤクザ」という「ヤクザ」組織はないんだぜ。「犬」という「犬」がいないのと同じことでさ。ちょっとリサーチすれば済むことだと思うんだけど、あまり日本の視聴者のことは意識してないのかな。


 これはシリーズを通してずっとそうなんだけど、この手のドラマでは定番中の定番である売春婦絡みのエピソードがほとんど無いんだよね。やっぱ、あれかな、ハワイのプロモーションも兼ねているから、そこのところはあまり触れないようにしてるとかあるのかな。美しい海、カラフルなショッピングモール、ラグジュアリーなホテル、ザッツ・ハワイでござい。


2017/03/20
 「Youtube - Samenvatting AZ - ADO Den Haag (19-03-2017)」


 もう何年にも渡って安定した戦いぶりを見せる格上の AZ を相手に、為す術もなく力負けといったゲーム。ハーフナーも出ていないし、何を楽しみにすればいいのやら。


   ***


 「Youtube - Roda JC - FC Twente 17-03-2017」


 日本人には直接関係ないが、オランダの今を知るには相応しい好カード。このくらいのヴァリューの試合に、スポンサーがどうのこうのということと関係なく、当たり前のように日本人選手が混ざっていてほしいと切に願う次第。


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 『短篇ベスト10 (スタニスワフ・レム・コレクション) | スタニスワフ・レム, 沼野充義, 関口時正, 久山宏一, 芝田文乃 |本 | 通販 | Amazon』


 何が今の僕をしてレムの作品から心を遠ざけているのか。もちろん、その答は作品そのものにある。ジョークというものは、それなりに高度な技術のいる表現ではあるが、「だから、何なのさ」と言われれば、ほとんどの文言が無力化してしまうくらい弱々しいものだ。それでも尚、それに固執するとすれば、その理由は何なのか。


 そうやって、小手先の刹那的なおかしみで人の気を惹こうとする哀れさを、我々もよく知っているはずだ。それは、その発話者がもっと大事な何かから目を逸らしているに過ぎないことを、ほとんど直感的に感じ取るからである。レムの文章がどれだけ知的で高踏的であろうと、その原則から逃れることは出来ない。端的に言えば、いくら読んでも心が見えない。笑いの小波が意識を散らしてしまい、紙の向こう側にあるその先に進めないのだ。成熟した読者にとっては、それはむしろ苦痛というべきものである。


 冗談ですべての事が済むのならば、人類は『罪と罰』『ノルウェイの森』を生み出したりはしなかっただろう。言葉はより長い射程を求めて進化するという志向性を本来的に持っていると僕は思う。ジョークとは、常にその手前で落下する他はない悲しい表現なのだ。人は愛されるためにそれに縋るが、濫用すれば結果的により深い孤独を招き入れることになる。こんな恐ろしい物が他にあるだろうか。


2017/03/19
 『短篇ベスト10 (スタニスワフ・レム・コレクション) | スタニスワフ・レム, 沼野充義, 関口時正, 久山宏一, 芝田文乃 |本 | 通販 | Amazon』


 しまった、値段だけ見て商品状態の説明を見ていなかった。カバーがない品物だったのである。そりゃ、安いわけだ。頭の方だけ少し読んでみたけれど、やっぱり今の気分に合わない。何だかなあ。


2017/03/18
 『マイク博士の猛毒動物一本勝負! ブラジル-動画[無料]|GYAO!|ドキュメンタリー』


 突撃取材にもほどがある。火蟻にわざと噛まれてアナフィラキシーショックになるなど、ちょっとシャレにならない。似たような趣向の番組はいくつか見たことがあるが、ちょっとこれは悪趣味の域に入っているような気がする。出ている当人は終始笑顔だが、観ているこちらは何だか笑えない。


2017/03/17
 「Youtube - It's Playtime!」


 群れを作らず、一匹で狩りを行うキツネはどこか猫っぽい。群れで暮らし、その長ともなれば威厳を示さなければならない犬がのしのし歩く姿は、何処かライオンの雄を彷彿とさせる。これもまた「収斂進化」というものだろうか。種がどうであれ、似たような暮らしをしていると、似たような姿形になるのだ。


2017/03/15
 「Youtube - Samenvatting Excelsior Rotterdam - sc Heerenveen (2016_2017)」


 小林の所属するヘーレンフェーンはしばらく失速気味。ここで踏ん張らないと、中位争いのごちゃごちゃに巻き込まれて、結局落ち着くべきところに落ち着いたねといったシーズンになってしまいそうだ。ヨーロッパリーグ圏内の四位なら十分狙える位置に付けているが、実績のあるチームを打ち倒していかねばならず、ちょっと厳しそうな感じはする。


   ***


 『テスラ―発明王エジソンを超えた偉才 | マーガレット チェニー, 鈴木 豊雄 |本 | 通販 | Amazon』


 今の時代を一言で言い表すとするならば、「電力の時代」はその有力な候補の一つだろう。「省エネ」だとか、「エコ」だとか言ってはいるが、電力の需要が縮小したことは多分、もう何十年もないのではないかと思う。我々は生活の隅々にまでエネルギーを流し込み、電力のゆりかごを完成させようとしているかのようだ。とりわけ、こんな寒の戻りの厳しい折りには、その有難みが身に沁みようというもの。


 そして、このことはそれと気付かれることなく進行している。例えば、監視社会の実現にどれだけの電力が必要とされることか。ドローンを飛ばし、大量のデータをサーバー間でやり取りするにも電力が要る。この需要の拡大を隠された大義として、この世界は回っているのである。


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 『短篇ベスト10 (スタニスワフ・レム・コレクション) | スタニスワフ・レム, 沼野充義, 関口時正, 久山宏一, 芝田文乃 |本 | 通販 | Amazon』


 状態が心配だが、安価で一冊出品されていたので購入。実のところ、しばらく前から僕はもうあまり良いレムの読者ではなくなっているのだが、こうして未読本ばかりが増えていく。人生の最後にもう一度、このポーランドの天才が生んだ思弁的作品が楽しめる時期がやってくるかもしれない。それを気長に待つことにしよう。


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 『泰平ヨンの未来学会議〔改訳版〕 (ハヤカワ文庫SF) | スタニスワフ レム, 深見 弾, 大野 典宏 | 英米の小説・文芸 | Kindleストア | Amazon』


 サンプル版を読んでみた。この作品が「突拍子もないことを語り手が平然と語っているというおかしみ」を基にしていると気付くまで、少し時間が掛かった。特に最初の二ページ分は(「P9lite」上での表示に拠る)、僕の読解力のせいなのか、何が面白いのかよく理解できない。次第に、「未来学」が何を意味するのか、レムが将来の人口爆発を茶化して遊んでいるのだということが分かってくる。このおふざけのリズムに乗っていければ、突き抜けた諧謔を堪能することができる。


2017/03/14
 『精神疾患とパーソナリティ (ちくま学芸文庫) | ミシェル・フーコー, 中山 元, Michel Foucault |本 | 通販 | Amazon』


 「幸福なフロイト読者」という物言いは「狂っていない狂人」というようなもので、そもそも存立しえないものだ。若き哲学の徒であったフーコーという青年がこのような書物を書いたということ自体が、一つの告白となっている。


 人は、苦痛なしに心の存在を知ることは出来ない。ある章では「不安」という単語が何度も繰り返される。フーコー本人に強い関心があった証拠だろう。後に彼を有名にする強靭な論考群こそ、彼がその「不安」と戦った証なのかもしれない。果たして、彼は勝利したのだろうか? それは悲しい問い掛けである。


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 「Youtube - 野良子猫ろく 去勢手術と角膜炎」


 猫の一年は人の四年程だという。あの小さな捨て猫があれよあれよという間に思春期を迎え、こうして飼い主に決断を迫るまでになった。眼の方も快方に向かっているようで、一安心。


2017/03/13
 「Youtube - Samenvatting ADO Den Haag - NEC (11-03-2017)」


 ハーフナーは後半から出場し、得意のヘディングで決勝点となるゴールを決めた。ここのところ勝ち切れていなかったので、この勝利の意味するものは大きいだろう。エースの復活弾とあれば、チームの雰囲気も良くなりそうだ。


2017/03/12
 『ワイルド・チャイナ 第5回 パンダの住む地-動画[無料]|GYAO!|ドキュメンタリー』


 全くもって不思議な生き物だ、このパンダという連中は。まず、このカラーリングの意味が分からない。別に保護色になるわけでもなし、我々の目にはキュートに映るが、自然の中でそのような媚態を振りまく必要など一切ないわけで、どういう経緯であのようなデザインに至ったのか、一体どんな利得があるのか、さっぱり分からない。


 こんな風に想像する。彼らの祖先は群れの中でもあまり好戦的ではない個体だったのではなかろうか。縄張りを追われ、いい餌場を独占され、やむなく竹林に入った。食べるものとてないので、仕方なく竹を齧ってみた。かろうじて食えなくもないことが分かった。他の生物は見向きもしないものだったので、とりあえず食料を独占することが出来た上、天敵もいない。こうして、その暮らしを何世代にも渡って続けることが可能になった。そして、いつしか彼らは新しい種となったのだ、と。


 彼らの手には、竹を食べやすくするために六本目の指のようなものがある。ところで、僕がイメージする自然淘汰というものは、ひとまず大量に子供が生まれ、そこから個体差によって振り分けられ、生き残った者の性質が次代へ継承されるというものだ。しかし、パンダは一度にそんなたくさん子供を産むわけではない。その中からたまたま指っぽいものを持った個体が、餌を食うのに有利だから生き残り…、いやいや、ダーウィン先生、本当にそれで間に合うんでしょうか?


 つまり、パンダ自体が「ああ、指がもう一本あったら便利なんやけどなあ、そうなってくれへんかなあ、この付け根のところのこいつが伸びてくれたら助かるんやけど」みたいな「意志」を持っていなければ、そのような形状の変化は起こらないのではないかと、どうしても思ってしまう。これは、昆虫の擬態でもそうだ。花そっくりのカマキリがいるが、あれが純粋な自然淘汰の結果だとは僕にはどうしても思えないのだ。


 しかし、獲得形質は遺伝しないという大原則とそれは矛盾する。生物は意志によって変化するのではなく、適者の生存率が高いからそちらへシフトするのである。それは分かっているつもりなのだが…。


2017/03/11
 『ワイルド・チャイナ 第4回 万里の長城を越えて-動画[無料]|GYAO!|ドキュメンタリー』


 今回も大変面白かった。近くて遠い、そして憧れと畏怖の国チャイナよ。


2017/03/10
 『精神疾患とパーソナリティ (ちくま学芸文庫) | ミシェル・フーコー, 中山 元, Michel Foucault |本 | 通販 | Amazon』


 もうだいぶ長い間続いているもやもやした感覚が何に起因するのか、その答を探してきた。もしかしたら、自分に心地よい水準の文章しか目にしていないからかもしれない、そんなことを考えた。本棚には、学生の時分に大枚を叩いて買い集めたフーコーの(思想的にも、質量的にも)巨大な三部作が鎮座している。恐らく歯が立ちはしないだろうけど、昔よりは読めるようになっているかもしれない。とにかく、どこかぶっ飛んだところに俺を連れて行ってくれないか、見慣れた景色ばかりでうんざりしているんだよ。


 しかし、何故か読み始めたのはこの文庫本であった。まあ、一応彼の処女作ということらしいので、手始めに読むのは理に適っていなくもない。しかし、毎度のことなのだが、そうやって丹念に頭から辿ろうとしているうちに中途でガス欠を起こし、肝心要の美味しいところに辿り着けないということになりそうでもある。


 もっと面妖な内容かと思ったが、紹介されている精神病理の理論は概ね古典的なものだ。生硬な文章の中に、時折詩的な表現が混じる。フーコー、この時二十八歳。まだ何物でもなく、世界は彼を全く知らない。


 このような「古典的分析」の多くは、脳科学の進歩によって、化学における「錬金術」のような地位へと追いやられていくことだろう。一見実りは多いが、明白に誤謬に基いている。そして、脳のどこに何が割り振られているかということをどれだけ精緻に積み上げても、妄想や強迫行動の世界を記述できないことにいつしか気が付くことがあるかもしれない。その時、そこまでの成果を踏まえた上でのブラッシュアップを加えた精神分析的なアプローチが必要とされる日が来るのではないか。そんなことを考えている。


2017/03/09
 『動物たちの進化の謎に迫る! 2 恐竜は生きている-動画[無料]|GYAO!|ドキュメンタリー』


 この映像に限らないんだけど、どうも古代生物の CG というのはどこか今一つな気がしてしまう。それは、質量を持たない CG の限界ということもあるだろうし、「昔の生き物」=「劣った生き物」というバイアスが制作側に掛かっているせいかもしれない。


 しかし、彼らが生きていた時代においては、彼らこそが環境に適応した勝者なのだから、もっとシャープで合理的な体をしているのではないかと思う。トカゲが草むらを高速で移動するように、ワニが優雅に川面を泳ぐように、動作とエネルギー消費の効率化がなされていたはずであり、それ故に彼らはもっと美しいはずなのだ。重力と戦わずに済む電子の創造物からはそれを感じることができないなどと言ったら、それは高望みが過ぎるというものだろうか。


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 『Amazon | Pioneer ヘッドホン 密閉型/オーバーイヤー/ベロアタイプ/オーディオ用 ブラック SE-M531 | イヤホン・ヘッドホン 通販』、三日目の雑感。


 先代よりもかっちり耳と頭にはまる作りになっているので、片手でさっと取り外すことはできない。その点では『HP-RX500』の方が取り回しは良かったかなと思う。その分、音楽への没入感は高い。やはり、低音が効いていると臨場感も出てくるし、メロディ楽器が少しばかり遠くに感じるのにもやや慣れてきた。


 ヘッドフォンは鳴らし続けているうちに音質が変わってくるというけれども、聴く側の耳の方も鳴っているものに対して新たなフォーカスのチューニングを行うのではなかろうか。聴きたいものには感度を挙げ、そうでないものには鈍感になるというように。


2017/03/07
 『Amazon | Pioneer ヘッドホン 密閉型/オーバーイヤー/ベロアタイプ/オーディオ用 ブラック SE-M531 | イヤホン・ヘッドホン 通販』


 早速、聴き慣れた音源でテストしてみた。うむ、先代に比べて大分低音がぶいぶいと来ている。その分、ギターやピアノといったメロディ系の楽器は少し音量が小さく感じる。以前、携帯プレイヤー用に『Amazon | Pioneer ヘッドホン 密閉型/オンイヤー/折りたたみ式 ターコイズ&ホワイト SE-MJ512-GW | イヤホン・ヘッドホン 通販』を購入したことがあるのだが、こいつは特に低音がきつくて、まるで耳元に相撲取りがいるような気分になった。この時は、あまりにそれまでの感覚と違うので利用を諦め、それまで使っていたもの(その子も断線してしまったのである)と同じ製品をもう一度買い直した。


 今回はそこまでひどくはないけれど、僕が求める音像ではないなと改めて。どうも、パイオニアさんとは寝室を別にする冷めた夫婦のように方向性が合わないようだ。昨今流行り(?)のビート系サウンドや、ヘヴィーメタルだったら。このブイブイいう感じがいいのかもしれないけど、古いロックやジャズをメインに聴いている身としては、中域が美しく響いてくれる方がいい。


 それでも、使い続けているうちにうまいこと丸まってくれるなんて嬉しいことがあるかもしれないし、残念ながらこれが既に固まった本機の性向なのかもしれない。まあ、せっかく買ったのだし、しばらくは様子見といったところ。


   ***


 「P9lite」、奮闘記。


 とりあえず、人生初のスマートフォンを細々と楽しんではいるが、やはり動画を観たり、ゲームをしたりといった使い方をすると、それなりに大きめのバッテリーが積んである本機でも、毎日充電しなくてはならなくなる。そうなると、通話やテキストメッセージに特化したシンプルな機種一台と、がっつりとウェブで遊ぶためのタブレットを分けた方が賢いような気がする。この手のものは二年くらいで乗り換えていくのが普通なようなので、次回はそんな感じで行こうか。


 そもそも、今回は SIM とのセット販売という条件で安く買えたので、次はその手は使えない。予算が同じならば、どこか国外メーカーのミドルからミドルロークラスを探して買うことになるだろう。まあ、その頃にはスマホ界隈全体がまた新たな次元に入っているかもしれないけど。


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 「Youtube - Watching Hyenas Again! Part 3」


 象の群れのことは「herd」といい、野生犬のそれは「pack」、ライオンだと「pride」となるのだけど、何か呼び分け方にルールがあるのかな。


2017/03/06
 おかしいな。予定では、スタイル抜群の「この子」か、ちょっと派手めな「この子」を迎え入れる予定だったのだけれど、注文履歴にあるのは何故か真っ黒なお提髪の「この子」だった。確かにちょっと地味だが、きっと気立ての良い優しい子なんだろう。決して多くはない給料の中から、田舎の両親にも毎月少しばかり仕送りをしているような。


2017/03/05
 愛用してきたヘッドフォン『HP-RX500』が断線してしまった。購入時期を楽天の履歴でチェックしたら、買ったのは二〇一二年のことで、都合五年間みっちりと働いてもらったことになる。そうか、もうそんなになるのか。まだ三年くらいかと思っていた。値段を考えれば、よく頑張ってくれたと考えるべきだろう。日本中に兄弟がたくさんいる人気機種であり、「売れているのにはワケがある」と堂々と宣言する権利を持った名機だと思う。


 さて、当然のことながら、後継機を選定しなければならない。しかし、相手はあの邪鬼の棲むヘッドホン界である。アマゾンのレヴューを読めば読むほど迷宮にはまり込む、あの恐ろしき異界に出向かなくてはならないのだ。しかも、だ。五年前にはなかった「無線接続」なる新たな地獄の門が大口を開けて待ち構えているというではないか。


 しからば、こちらもいくつかの条件を準備して、襲い掛かる無数の選択肢に対する盾とせねばならぬ。「片耳コード」、「柔らかなイヤーパッド」、「シンプルなデザイン」、「使うのが楽しくなるカラーリング」、「出来れば一つ上の音質」、そして「予算」だ。果たして、俺の耳にガンダーラは訪れるのか。いざ、往かん、御旗の元に。


2017/03/03
『言の葉の殺人(あるいは、大上段に構えることだけを目的にした習作)』
 えっと、何ですって、先生、もう一度仰っていただけませんか。ええと、今回の殺人事件には、書き言葉と話し言葉の抽象度の違いを物理トリックに応用したものが利用された…そう仰ったので? いやいや、先生、いくら私が無学だからって担いでもらっちゃ困りますよ。「言葉の暴力」とは言い条、そりゃあ、あくまでも譬えってもんだ。動機にはなりこそすれ、実際に人を殺すには、ナイフや拳銃が必要だってことくらい、小学生でも知ってます。


 確かに先生にはこれまで随分と助けてもらいましたし、恩義にも感じてますが、今回はちと的を外し過ぎてやしませんかね。目にも見えなきゃ触れもしない言葉ってやつが、針と糸の代わりにドアノブを回してくれるっていうんですか? ねえ、先生、こういっちゃあ何ですけど、毎日やかんと自分の母親の区別もつかないような患者ばかりと接していると、さすがに先生の頭のねじも緩んできやしませんか。聞けば、ほとんど不眠不休だそうじゃないですか。どうです、私の姉が伊東で民宿をやってるんですがね、先生ならお代は結構ですから、一週間くらい羽を伸ばしてみたらどうです。良い酒蔵も知ってますよ。


 ははあん、どうやらあたしにも読めてきましたよ、先生。つまり、こういうことですな、先生もあの作家志望の青年が怪しいと睨んで、そのことを暗に伝えようとしているんでしょう。確かに、いい歳をして定職にもつかず、文学なんて陽炎みたいなものを追いかけてるようじゃ、何をしでかす知れたもんじゃない。あの手合いは何か派手なことをやって注目を集めたがるところがありますからな。ほら、あの何とかいう作家、市ヶ谷の自衛隊に突っ込んだのが昔いたでしょう、あんなのは定期的に湧いてくるもんなんです。


 え? 犯人は彼奴に間違いないが、それとこれとは話が別ですと? どういうことですかな、そりゃ。先生は本当に文字通り言葉が人を殺したと、そう仰りたいんですかい? ねえ、先生、本気でそんなことを言い張るおつもりでしたら、あたしゃ、先生を別の頭の先生のところに連れて行かなきゃなりませんぜ。そうならない内にちゃんと説明してもらえませんか。


2017/03/02
 『土星:解明・宇宙の仕組み【ディスカバリーチャンネル】-動画[無料]|GYAO!|ドキュメンタリー』


 製作時期も新しいため、映像の解像度も高く、改めて土星の環の美しさに息を呑む。衛星タイタンに生命の可能性があるという話も興味深い。何故、我々は宇宙の凛とした虚空に惹かれるのだろう。もしかしたら、それはそもそもそこに人の姿がないからなのかもしれない。


 部屋に見覚えのない CD があったのでプレイヤーに掛けてみたところ、いくら待ってもまったく音が出ない。変だなと思って取り出してみると、それはコンパクトディスクではなく空から落ちてきた土星の環だった。そんな話がこの星のどこかであったとかなかったとかいうことだそうな(こんな程度じゃ、村上春樹を葬ることはできそうもない)。


2017/03/01
 多分、そういうサイクルなんだろう。好奇心から新たな知識を溜め込む。ある程度達成されると、視線が一段階上がる。すると、欠落した部分が見えてくる。より専門的で細かい情報でそこを埋めなければならない。当然、それには地道な努力が必要になるので、今迄みたいにお気楽には進められない。


 素粒子物理、動物の生態や行動、ギターの弾き方、いろんなケースでそういったことが同時に起きているため、今自分がスカスカで何も達成できていないという感覚に襲われているのだ。初心者向けに噛み砕かれたものではもはや満足できないし、かといって専門的な学習は手に余る。この谷間は思ったよりも広く、このままここで何十年もさまよった挙句に生を終えてしまう可能性も高い。だとしたら、生きるとは何なのか。今までしてきたことにどのような意味を見出したら良いのか?


 もちろん、「それはお前の見通しが甘かっただけだよ。みんな、コツコツと努力して、ちゃんと谷の向こうに自分の場所を見つけているんだ」と言われたら、確かにそうなのかもしれない。人の道を外れてから久しいが、それを正すチャンスがどこにあったというのか。今の俺にはとんと見当も付かないのだ。


2017/02/26
 「Youtube - SLAP MACHINE - DINO FIORENZA _ BassTheWorld.com」


 本当、ベースの世界には数え切れないほどの超絶技巧を持ったプレイヤーがいて、ジャコやラリー・グラハムといったレジェンドも、技術面だけ見れば既に乗り越えられている。ヴィクター・ウッテンの連符奏法には驚かされたし、スティーブ・ベイリーのハーモニクスにもひっくり返った。インドには天才少女モヒニ・デイとその姉妹がいる。特に深くベーシストを知っているわけでもない僕ですらこうなのだから、さらに深追いすればどれだけの凄腕どもが見つかることであろうか。いやはや、恐ろしい。


 その大きさや弦の太さなどから「そこまでは出来ないだろう」と思われたようなことも、現在では平気でこなされている感がある。ギターで出来ることは、おおよそベースでも出来てしまう。むしろ、巨体を扱う分、肉体的な達成感がありそうだ。当然音も太くて、体にずんずんとくる。これはギターには出せない官能である。


2017/02/25
 『テスラ―発明王エジソンを超えた偉才 | マーガレット チェニー, 鈴木 豊雄 |本 | 通販 | Amazon』


 テスラの徹底した超俗的な振る舞いには、本書がノンフィクションであることを思わず忘れさせるほどのインパクトがある。徹底して俗にまみれ、我欲を隠さなかったエジソンと、己の世界に埋没し、それに殉じたテスラ。きっと、あなたの中にも小エジソンと小テスラがいて、毎日綱引きをしているに違いない。


2017/02/24
 良い文章を書くには、良い文章を読まなくてはならない。しかし、そんな質の高いものを読んだという実感をここのところしばらく得られていない。それどころか、読書すらしていない。興味を失ったわけではないのだが、何故か飛び込むことを恐れている。チャレンジして大したものが得られなかった時に負うであろう精神的ダメージのことを先に考えてしまう。もし、そんなことになったら、それこそもう本当にどん詰まりだ。出口無きこと、サルトルの如し。


 何か新しいおもちゃを見つけなくてはならないのだろうか? 「死」の対義語は、「生」ではなく「夢中」だ。これは、僕が比較的自信を持って言える数少ない文言の一つである。


2017/02/23
 「Youtube - Stevie Wonder - Isn't She Lovely (Cover by Gilad Barakan ft. Elif Cakmut)」。さすがにちょっと原曲から離れ過ぎではなかろうか。


2017/02/22
 「Youtube - 【ハイライト】マンチェスターC×モナコ「UEFAチャンピオンズリーグ16_17 決勝R ラウンド16 1stleg」」


 バルセロナにしても、シティにしても、この時期コンディションの維持が厳しくなるのは、タフなリーグを戦っている以上致し方あるまい。そこへ、フランスの猛者たちがモチベーションも高く襲い掛かってくる。彼らには、ここに照準を合わせてチームを仕上げてくる余裕がまだあるのだ。さあ、シャンパン片手にジャイアントキリングと洒落込もうぜ。


 お疲れめのメガクラブと意気軒高なセカンドグループが、ちょうどそのバイオリズムの交点で戦うのがこの時期ということになるだろう。アーセナルも、リーグ前半戦を快調に飛ばし続けたため、ここへきてがたんと落ちてきている。これは、毎年恒例のことだ。潤沢な資金でダブルチームを組んで臨むバイエルンが相手では分が悪い。


   ***


 『ナチュラルワールド〜動物親子特集〜 ラッコ親子の別れと再会-動画[無料]|GYAO!|ドキュメンタリー』


 野生動物にはありがちなことだが、見た目とは裏腹にラッコの雄は大分攻撃的なようだ。縄張りを巡って殺し合うこともあるらしい。性行為の際には、波によって離されないように雌に強く噛み付く。


 雄はそんな調子だが、ここで観られる母子の仲睦まじい姿と言ったらない。彼らは貝の割り方を「文化」として持つなど、知能も十分にある。この傾向が強化され、野蛮さを克服していくことは可能なのだろうか? 腕力や攻撃性が種の存続にとって不利益になるためには、何が必要だろう? 十分な食料があれば、恐らく争いは減る。それが百年、千年と継続した時、遺伝子のプールはどうなるのか。


   ***


 『地上の太陽 〜“核融合”発電は実現するか〜-動画[無料]|GYAO!|ドキュメンタリー』


 この映像を観た限りでは、案内役を務める物理学者の兄ちゃん(元ミュージシャンなのだそうだ。確かにそんな雰囲気に溢れている)も核融合に対して半信半疑であることが伺える。産業としてペイできそうな見込みのありそうなものもなく、見た限り「一万円払って、百円を得る」といったような状況だ。ここから、どれだけの進歩があったのだろう? それとも、人類の見果てぬ夢になってしまうのだろうか。


2017/02/21
 目覚めると、下半身全体が冷たい。布団をそっと剥いでみると、白装束の女が腰にしがみついていた。あの子の母親だろうか。彼ならもういませんよというと、寂しげな顔をこちらに向けた。こんな時は昨晩見た夢の話をしてやると落ち着くらしいのだが、生憎と今朝はうまく思い出せない。「無理に思い出すことはありません、言葉にすれば嘘になりますから」と女は静かに言った。


 しかし、このまま密着されていると低体温症を引き起こす恐れがある。
「お湯を沸かしたいんだけど、いいかな?」
 女は小さく頷いた。


 僕の体から離れると、女はまた一層小さく見えた。
「あの子の父親も来てるんです。今晩も荒れ模様でしたら、もしかしたらこちらにお邪魔するかもしれません」
「参ったな、彼も布団に潜り込んでくるんですか?」
「すみません、それしか人間と接触する方法がないもので…」
「分かりました、今晩は前もってたくさん着込んで寝ることにします」
「お手数をお掛けいたします。至って無口な人ですが、心根は優しいんです」
「南洋からこちらまで春を運ぶのは大変でしょう」
「そっだらこと…。重さの無い私たちには、それしかできませんので」


 その晩、そいつは確かにやってきた。身の丈三メートルはあろうかという大男で、もはや人だか熊だかも分からない。必死にもがいたが、途方もない力でぎりぎりと締め付けてくる。あのか細い母子とはまるで比べ物にならない。しかし、彼に悪気があるわけではない。我々こそ、彼らの通り道を文明で塞いでいる邪魔者なのだ。


 一晩中格闘した末に翌朝僕が発見したのは、とうとう風邪を引いた僕自身だった。くしゅん。


2017/02/19
 目覚めると、妙に足元が冷えている。布団をそっと剥いでみると、真っ白な子供が膝下にしがみついていた。きっと、親にはぐれた風の子だろう。隙間風に流されて入り込んできたに違いない。名前を訪ねたものの返事はない。そもそも名前という概念を持っているのかどうか、言葉を喋るのかどうかさえ分からない。検索サイトで調べてみたところ、日が昇れば自然に足元を離れ、玄関を探し出してそこからひょいと出ていくそうだ。中部地方では、土産に金木犀の蕾を持たせてやると、その家に果報が訪れると広く信じられているらしい。


2017/02/18
 「Youtube - クロネコヤマトのウォークスルーボックスが好きな猫『保護猫るる らら物語』」


 ずっと室内で飼うのってどうなんだろうと、最初の内は僕もそう思っていた。元々野で逞しく暮らしてきた連中じゃないか。それを壁で囲ってどうしようってんだ、などと。しかし、『ネコの心理学』のフォックス博士は、室内飼育を強く推奨している。その方が何かと安全だし、外で狩りをされても都会ではいろいろ困るというのが主な理由だ。あるテレビ番組で観たが、野良より飼猫の方がずっと長生きするそうである。


 そんな話を聞かされると、僕も渋々ではあるが趣旨変えをせざるを得ない。我々は彼らを我らが人工の世界に取り込み、そこで責任をもって飼い続けるしかない。そちらへ舵を切ってしまった以上、後戻りはできないのだ。「都市と自然」の二項対立は止揚され、例えば都市部の河川が保護活動などで復活し、水質も改善され、豊かな生態系が復活する条件が整うといったようなフェーズに入りつつあるのかもしれない。


2017/02/17
 『ワイルド・チャイナ 第2回 シャングリラ-動画[無料]|GYAO!|ドキュメンタリー』


 実に面白かった。アフリカや南米の大自然についてはいささかあれこれ見過ぎたせいもあって食傷気味だったのだが、こちらには未見の映像がたくさんあり、久し振りに興奮させられた。熱帯と高山の植生が同居する摩訶不思議な雲南省の森は、まさにアジアン・マジック・リアリズムの世界。もし、世界が第二のマルケスに出会うとしたら、この風景を目にしたことがある人間こそ、その候補者に相応しい。


2017/02/16
 『古代エジプトの至宝〜歴史を刻む美しき遺産〜 3.新たな始まりへ-動画[無料]|GYAO!|ドキュメンタリー』


 昨晩、これを観ていた時、比較的しっかりとした既視感に捉われた。以前にも、この姿勢、このアングルで、スマートフォンのような機器を手に、エジプト文明についての映像を観たことがある、そう思えてならなかった。手の込んだことに、それは夢での出来事で、目覚めてから「ああ、すごく便利だったのに」と悔しがったことも覚えている。


 もちろん、理屈で言えば、これら一連の感覚が脳の錯覚だということは分かっている。出来うることならば、もっとしょっちゅう錯覚してくれたら楽しいのだが、それはいつも不意に訪れ、名うての殺し屋のように、決して次回へのヒントを残したりはしない。


   ***


 『Amazon.co.jp: Celeble(セレブレ) ノンアルコールスパークリング 355ml: 食品・飲料・お酒』


 買ったのはしばらく前だったのだけど、先日の猛烈に寒い晩、沈みがちな心を慰撫するために開けてみた。


 まあ、雰囲気は確かに楽しめる。でも、三五〇ミリリットルで五〇〇円強はちょっと割高かな。アルコールは入っていないが、成分表には「紅茶エキス」とあるので、カフェインが入ってるのだろうか? 飲んだ後にちょっとアッパーな気分になったような気もしたんだけど、そのせいだったりするのかな。


2017/02/15
 「Youtube - Typical Foxy Tuesday」


 野生動物もグルーミングなどをして互いを慰撫し合うことはあるだろうが、こんな風に体中を撫でて意図的に相手を「完落ち」させられるのは人間だけだ。そんなことを楽しんでいる我々も、つくづく不思議な生き物である。


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 「Youtube - 【ハイライト】パリサンジェルマン×バルセロナ UEFAチャンピオンズリーグ16_17 決勝R ラウンド16 1stleg」


 その昔、ジョージ・ウェアがあの丸太のようなクーマンを吹き飛ばしてゴールを決めた試合を思い出した。その試合では同僚のジノラもキレキレで、ゴールポストをカンカンと叩くようなボールを何本も放り込んで来ていた。他にもライーにバウド、ゲランと面白い選手がたくさんいたものである。「フランスリーグ侮りがたし」、僕が今でもそう思っている理由、それがあの夜のパルク・デ・プランスにあるのだ。


2017/02/14
 『Hawaii Five-0』は第一シーズンを観終わり、第二シーズンに入った。先行する作品群の美味しいところだけをより合わせて作ったような、まったく捨てるところがない作り方をしており、どのエピソードもストレスなく最後のエンドロールまで連れて行ってくれる。


 それを前提にいろいろ重箱の隅を突いてみるとしよう。このドラマは架空の特別捜査部の活躍を描いたものだが、リーダーは海軍出身で、特殊技能を習得した一種のスーパーマン的存在である。どんなドラマでもそうだが、軍が絡んでくるとどうしても「法の下の平等」が侵されるケースが出てくる。となると、「CSI:科学捜査班」のような謎解きミステリーの枠に収まらず、ある種の「何でもあり」状態になり、「破天荒」と「荒唐無稽」という諸刃を持った剣を振り回すことになる。その意味では、「ミステリー」というより、フォーマットとしては「仮面ライダー」や「ゴレンジャー」といったものに近いのかもしれない。


 また、どうしても「大義」や「正義」といった軍隊特有の自己美化が強く前面に出てくる。これがなければ、戦争などただの殺戮になってしまうので、ある種の心理機制としてそのようなものがあるのだろう。モラトリアムをこじらせている身としては、どうもこの感じが苦手だ。「腕力」をコントロールする高い水準の「倫理」が実現されていれば理想だが、果たして現実の軍隊はそのようになっているのだろうか?


 チーム内の紅一点、新米刑事のコノ嬢は美しい八頭身をしていて、健康的なセクシーさで本作を盛り立てているが、銃を持った時の動きがいかにもひょろひょろしていて危なっかしい。警察官なら、もっとがっしりと握っていただかないと困る。しかし、本作の役どころためだけにそれっぽい筋肉をつけるのも、女性としては抵抗があるだろう。多分、モデルなんかもやってるだろうから、他の仕事に差し障りがあるかもしれないしね。


 それから、悪役として日系人ヤクザが度々登場するのだけど、その名前が「奇妙な果実」的におかしい。製作側としては「それっぽい響き」を狙ったのだろうけど、日本名には特定の漢字を基礎にした命名ルールがあるということまでは分かっていらっしゃらないようだ。「ヒロ・ノシムリ」という名前がありえないことなど、我々にはすぐ分かることなんだけどねえ(もし漢字で書くとすればどうなるのだろう? 「比呂 熨斗牟利」?)。


2017/02/12
 『新・第一容疑者-動画[無料]|GYAO!|ドラマ』


 英国版も以前『GyaO』で配信されていて、毎週楽しく観ていた。リメイク版の今作では舞台をニューヨークに移し、主人公の年齢もやや若く設定されているように見える。


 製作側は、セピアがかった画面で英国版にあった香りを残そうとは努めているのだろうけど、やはりそこはドラマ大国アメリカ、自分たちのいつものやり方がついつい表に顔を出す。会話のテンポは良くなり、作品世界に漂う空気もそれほど重くはない。『Hawaii Five-0』もそうだが、ジョギングをする時のように少しだけ呼吸が速くなるようなピッチ感で作品が作られている。それが視聴者側に高揚感を生み、続きがどんどんと観たくなるのだ。


 英国版が面白かったのは、そのような中毒症状を緩和するような、ゆったりとした呼吸で作品が作られていたからだ。すべてのショット、すべてのセリフに意味があり、無駄のない作り方をするアメリカ製ドラマと違って、間合いやノイズを多く含み、それが作品に重厚さや苦みといったテイストを加えていた。綺麗に畳もうとしてもどうしてもどこかがはみ出してしまう扱いの難しい折り畳み傘のように、視聴後もすっきりと片付けられない感覚が残り、その余韻でいつしか作品世界の虜にさせられている、そんな気がしたものだ。


 そういう意味では、オリジナル版とはかなりテイストが異なっており、主人公も”当たって砕けろ”的な体当たり型の性格になっている。これは、アメリカで女性がのし上がっていくという話を作る時のステレオタイプなのかもしれない。それはそれで見慣れた感じもあり、十分楽しめる。


2017/02/11
 何をやっても気が晴れない日があるというものだ。投稿動画サイトでペットや野生動物の映像をいくら観ても、本棚に居並ぶ未読のコレクションを眺めても、心は浮かび上がらない。体は寒さのせいで縮み上がり、凍り付いてシャーベット状になった体液が関節を動かす度にシャリシャリと音を立てる。


 どうも、「iPod touch」よりも「P9lite」の方が音質が良い気がする。「iPod touch」を音楽再生専門にしてタスクを分散させようと思っていたのだが、やはりこの手のものは進歩が速く、新しければ新しいほど包括的にパワフルになるようだ。もう『iPod touch』でウェブサイトを見る気にはなれない。画面も小さいし、最近の広告だらけのサイトには歯が立たない。


 遂に、長年お世話になったウィルコムの PHS を解約する。まさか、ソフトバンクの傘下に収まることになろうとは思わなかったね。機種変更という選択もないではなかったのだけれど、さすがに二年縛りで今後も先細りが目に見えている PHS を使い続ける気にはなれなかった。俺だって、もう少し未来に行きたい。


 「P9lite」は内蔵ストレージが 16GB しかないので、音楽再生機としても使うとなれば、 SD カードで容量を増やさなくては駄目だろう。 128GB のタイプまで対応しているとスペック表には書かれている。 32GB モデルの『iPod touch』でそれなりに足りている状況なので、 64GB もあれば十分かもしれない。要検討。


2017/02/07
 僕の本名は、漢字で三文字、平仮名でも五文字しかないのだけど、こいつがもうちょっと長くて覚えるのが厄介だったり、面倒臭い漢字が使われたりしていたら、もう少しこの世界は複雑で困難なものだという意識を幼い頃に持つことが出来たのではないか、そんなことを考えていた。自分が何物なのか、あまりに早い段階で分かったような気になるのはとても危険なことだと思う。そのツケを今でも払っているような気がするからだ。


2017/02/04
『鬼』
 私の心に鬼が住み着いたのはいつのことだったろう。彼らは私の胃の腑の底にある酸性の湖に浮かんだ小さな島に住み、心の傷に生じた瘡蓋を剥いで食べることで少しずつ成長する。時折耳の穴から顔を出して外の様子を伺ったりもするが、概ね体内で一生を過ごすのだそうだ。


 宿主が死ぬと、人が寝静まった深夜にこっそりと這い出してきて、物陰を伝って外に出ると、下水管などを住処としながら、新たな主人を探して放浪の旅を続ける。この時、ネズミなどに喰われてしまうものも多く、無事に次の宿主を見つけられる者は半数にも満たない。


2017/02/03
 『P9lite』、格闘記。


 早速だが、ちょっとした問題発生。純正のメールアプリで、ヤフーメールアカウントからの送信ができない。ヤフーではシークレット ID を設定しているのだが、これにちゃんと対応しきれていないのかもしれない。アカウントの表示名もシークレット ID が適用されるので、これは何だか妙な感じになる。もやもや、もやもや。


 ヤフーメール専用のアプリを入れれば送信できない点はとりあえず対処できるのだけれど、これだとまた別の問題が発生する。カメラアプリから写真をメールで送信する際、純正メールアプリの場合は画像サイズを三段階の中から選択し、ファイルサイズを落とした状態で添付させることができる。これがヤフー専用だとできない。常にフルサイズになる。


 そこで、画像をリサイズするアプリをインストールし(『写真リサイズ - Google Play の Android アプリ』)、撮影をそこから行うことにしてみる。これなら小さくした状態で添付可能だ。しかし、これだとロック画面からすぐに撮影モードに入れない。まあ、そこまですぐに撮影したいような時があるわけじゃないし、純正カメラで撮った後で、送信前にリサイズソフトにバトンタッチしてもいいのだが、いかにもスッキリしない。純正メールアプリが修正されれば一番嬉しいけど、競合他社の特殊仕様にわざわざ重い腰を上げる理由もないしなあ。


2017/02/02
 とうとう『P9lite』を購入した。


 通話機としては PHS の「Honey Bee」からの乗り換えになるので、ほとんど比較にならないような異次元的感覚。モバイル端末としては、これまで使ってきた第五世代の『iPod touch』と、二〇一三年モデルの「Kindle Fire」に対する不満点をほとんど吸収し、それでもまだ余力があるといった印象だ。ニュースサイトも読みやすいし、動作も機敏と、かなりのストレスフリー。


 まだ手元に届いたばかりで、触っていないところがたくさんあるのだが、ここまではかなり楽しめている。自分には too much な機種かもしれないとちょっと尻込みしていたのだけど、しばらくは何かと遊べそうだ。


2017/02/01
 『Hawaii Five-0 シーズン 1 (字幕版)をAmazonビデオ-プライム・ビデオで』


 『CSI:科学捜査班』を観終えてしまった喪失感を何で埋めるべきかしばらく迷っていたが、一つの答を見つけた。鮮やかなハワイの風景、それとは対照的なタフな事件、個性的な刑事たち、スピード感のあるストーリー展開。非常にそつなく作り込まれた密度の濃い作品で、初回から引き込まれた。なおかつ、第五シーズンまでプライム会員なら見放題である。これは長く楽しめそうだ。


 こんな具合だから、賢治や鴎外の背中が愈々遠のく。この怠惰な俺。


2017/01/31
 「Youtube - Highlights Ajax - ADO Den Haag」


 クライファート・ジュニアはスタメンで登場。思えば、父親も彼と同じくらいの年でデビューし、チャンピオンズリーグを制するゴールを決めるなど、華々しく選手生活をスタートした。しかし、時折素行や感情面での問題を起こすこともあり、いろんな意味で「危険な選手」の一人でもあった。しかし、息子の方は愛情に恵まれて育ったタイプの少年のように見える。昔ちょっとばかしワルだった人間が、長じてからは子煩悩になる、そんな例を皆さんもご存じだろう。


 この試合でセンターフォワードを務めたドゥベリは現在成長を期待されている一人だろう。ちょっと重そうな感じはするが、まだ粗削りな分、今後どう磨き上げられていくかが楽しみだ。このポジションはそれこそクライファート、ファンバステンにフンテラールといったビッグネームを多数生み出してきたが、また彼らとはちょっと違う雰囲気とスタイルを持っている。


 左サイドのユネスは既にチームの顔として攻撃を牽引しており、そう遠くない内にもっと大きなステージに旅立っていくに違いない。爆発的なスピードを持っているわけではないが、自分のペースで仕掛けて相手を高い確率で抜き去ることができる。既に完成された選手という印象で、あまり伸びしろはないかもしれないが、計算できる選手として価値は高い。


 昨今のサッカー事情を鑑みれば、アヤックスのようなチームがヨーロッパを制することはもう二度とあるまい。それでも、サッカー界に幾度も革命を起こしてきた赤と白のユニフォームのことをそう簡単に忘れることはできない。


2017/01/30
 『CSI:科学捜査班 シーズン 15 (字幕版)』、全話視聴完了。正直、最後までラッセルという人物には感情移入できなかった。時々見せる強権的な振る舞いなどは、作品の本質と矛盾するかとすら思えた。映像作品というものは様々な要素を含んだ総合的な表現だが、人と同じようにじわじわと年を取り、いつしか老境に入るのだろう。この作品は大往生を迎えることができた稀有な作品の一つである。そのことは長く讃えらえていい。


 当然一抹の寂しさもあるが、彼らに会いたくなったら、もう一度最初のシーズンから見直せばいい。何しろ、長寿番組だ。初期のシーズンのことなどいい具合で忘れているに違いない。それとも、劇中で含みを持たせたように、サンディエゴを舞台にしたニック・ストークスが主人公のシリーズに出会える日がいつか来るのだろうか? ヴェガスの街の灯はまだまだ僕らの心をざわつかせる。


2017/01/29
 一日中、刑務所の高塀のような空に覆われていた。


2017/01/28
 「Youtube - Cats are scary 【Cat's room Miaou】」


 イヌ系最強のクマは、ネコのように単独で行動し、メスを発情させるために子殺しも行う。翻って、ネコ科最強のライオンには、犬のような高い社会性があり、チームで狩りを行うところはオオカミと共通している。両者には、何か風変わりな対称性があるような気もするし、ただの考え過ぎのような気もする。


 また、ヘビの映像を観ていると、ネコを連想することがかなりある。獲物を凝視し、じりじりと体を縮めて力を溜め、飛び掛かるタイミングを計るところや、口を大きく開けて威嚇するところなどだ。この星で「狩る」という行動を選択するということは、何か共通の仕様を用いる必要があるのかもしれない。そもそも、「生きる」というデザインを描いたのは誰なのか。


2017/01/26
『鳥葬の街(あるいは急にミステリーっぽいものが書いてみたくなったので書き始めてみたはいいものの、肝心なところが歯抜けのままきっとこのまま放置される)』
 何故、この女の死体がここに? 男は動揺を悟られないように注意を払いながら、確かに一昨日の夜、県境を越えた山中深くに遺棄したはずの女を眺めた。
「車の方は盗難車ですね、届けが出ています。害者の身元を示すものは見当たりませんでした。失踪届けにも該当者はいません。服装からして水商売関係じゃないかと踏んでますが、どう思われます?」
「トランクは開いていたのか」
「ええ、それで川釣りの男性が発見、通報してきました」
「死体を隠す気がないとなると、いろいろ裏がありそうだな」
「組関係の見せしめですかね。五課にも当たってみますが、最近はそんな不穏な空気はなかったはずですがね」
 今でもはっきりと覚えている。青いビニールシートのずっしりとした感触。それが崖を転がり落ちていく時に感じた不思議なほどの静謐な気持ち。帰りの山道で聴いた深夜の下らないラジオ放送。誰かに後をつけられていたとでも? そんなはずはない、人どころか狸一匹すら見掛けやしなかった。県道に出るまで、一台のヘッドライトも見ちゃいない。しかし、女は今ここにいて、恨めしげな目つきで俺を睨んでいやがる。


「あたしゃ、嫌な予感がしていましたよ、あんたがあの子を囲うって話を聞いた時からね」
「そんなこと、あの時は一言も言わなかったじゃないか」
「そりゃ、あんたがあんな顔してるのを見ちゃったらねえ。静江さんが亡くなってからこっち、ずっとあんたったら皺くちゃのワイシャツみたいなツラしちゃってさ、目も当てらんなかったわよ。ところがさ、自分の娘でもおかしくないような、あんな小童に夢中になるだなんて。どうかしてるとは思ったけど、またやる気も出てきたみたいだったし、あの子も喜んでたからそっとしておこうと思ってね」


 誰かに付けられていたのではないとすれば、考えられる可能性は一つだけだった。つまり、あのビニールシートに包まれていたのは、彼女ではない。私が死体の側を離れていた間に何者かによって摩り替えられたということだ。だが、しかし、誰が一体、何のために?


 「この際だ、つべこべ言わずに率直に聞くことにしよう。どうしてあんな手の込んだ真似をした? 俺のキャリアを台無しにするためか? それとも、俺が若い妾とよろしくやってるのを見て嫉妬でもしたか? さあ、俺がお前のこめかみにこいつをぶち込みたくなる前に教えてくれ」
 長い沈黙の後、男は口を開いた。
「確かに長い付き合いだが」
 不意にどこか遠くでカラスの啼く声。
「お前に話していないことがある」


「すべて片付いたんだな」
「ええ、お騒がせして申し訳ありません」
「まあ、いいさ。人が二人消えただけで済んだ。私もこの春には本庁に戻れる」
「二階級の特進だそうですね、もう噂になってますよ」
「君たちがいい仕事をしてくれたお陰さ」
 彼はそう言うとブラインドの隙間から、外の景色を眺めた。
「ところで、前々から気になっていたんだが、この街にはどうしてこんなにカラスが集まるのかね。あれだけはどうにも不気味でならないよ」


2017/01/24
 ハンマーのような寒さが街をガンガンと叩いて回った。凍りついた心が粉々に砕け、冬空にキラキラと舞うのを、君も帰りのバスの中から見たことだろう。


2017/01/22
 「Youtube - 風雪警報発令 ごはんは中に入って食べます」

 果たして、この映像における「詩情」は「猫」そのものに由来するのか、それとも「猫」を観る撮影者の心にあるのか、それとも僕が勝手に感傷的になっているだけなのか。


2017/01/21
 春を告げるわけでもなく、粉雪を散らすわけでもない。ただ名前のない風が一日中吹き荒れていた。どんな文芸賞の受賞タイトルを見てもまったくそれが心に刺さらなくなったのは、いつのことからだろう。題名ですべてが決まるわけではないが、かつてのそれにはそのフレーズだけで時代の空気が分かる、そんなものが多くあったように思う。


 趣味や嗜好が多様化したため全体の状況を示す言葉は失われた…などといってしまえば簡単だが、果たして本当にそうか。僕は毎日心の奥にざわざわしたものを感じている。それを指し示す言葉は見つからない。それを見つけた時、多くの人が「ああ、そういうことだったのか」と得心してくれるのではないかと妄想しているのだが。そして、それが「物を書く」ということの意味なのではないか。


2017/01/19
 『楽天モバイル: ZenFone 3 Max』


 熟慮に熟慮を重ねた結果、『P9lite』でほぼ決まりかと思われた我がスマートフォンデビューだけれども、ここへきてまた目移りさせるようなそそる機種が登場。こうして新しいモデルが出る度に、それまで輝いて見えた直前のモデルが突然野暮ったく思えてくるというのはどういうことなんだろう。何度も仕様やデザインを確認したために、目が慣れてしまうからだろうか。


 新しいモデルは単純に古いモデルを参考に出来るし、明らかになったであろう弱点を補強できる立場にある。少し手に余るという不評があれば、よりコンパクトにしようとするだろうし、さらに進歩したチップセットなども利用できる。よって、基本的には後発の方が俄然有利だ。畳と何とかは新しい方がいいというけれど、このようなエレクトロニクス製品もまた然り。


   ***


 「CSI:科学捜査班」を第十四シーズンの中盤まで観た。ラッセル、フィンの新顔コンビは、悪くはないものの、「新しい何か」を見せてくれてはいない。ラッセルはグリッソムとは違ってリベラルに徹するという感じではなく、政治的な配慮を優先したり、時には感情的になって怒号を揚げたりもする。思想的背景もいまいち明確ではない。両親は元旅芸人で、ヒッピーなどとも近しかったようだ。ロックなどのサブカルについては理解を示しはするものの、全体としてはいささか保守的であり、家族を重視し、「強い父」たらんとしていることが伺える。これではあまり視聴者も憧れを持たないのではないかと思う。フィンも比較的分かりやすい「じゃじゃ馬」キャラで新味はない。その点でやや失速感がある。


 第十三シーズン最終エピソードなどは、もろに『セブン』を意識した構成となっていたが、やたら大掛かりな見立て殺人をやってのけた犯人があんなチンピラ崩れというのはちょっとどうだろうと思った。全般的に言えることだが、最初の方にちらっと出てきて、事件とは無関係そうに思えたそこそこ名のある俳優が演じている人物が最終的に犯人になるというパターンがちょっと多すぎる気がする。さすがにここまで長くやっているとシナリオ的にも種切れなのかも。


 むしろ、驚きはずっとヒールな役回りで視聴者の嫌悪感を一手に引き受けてきたエクリーが、娘とのエピソードを通じてどんどん「いいヤツ」になっていったことだった。官僚主義の権化で、グリッソムとはことあるごとに対立してきたあの人物が、俄然「泣かせるキャラ」に変貌しようとは。いやはや、見せ方ひとつでこうも印象を変えられるもんだね。そう思うと、むしろ怖いくらいだ。つまり、印象は操作できるということだから。


 イタリア美人とホッジズの恋の顛末、ジャニスを熱唱するモーガン、サラとグリッソムの別れなど、小ネタも十分。やはり、「CSI」は面白いなあ。


2017/01/17
 「Youtube - Justin Kluivert - volgende exponent van de Toekomst」。クライファート二世は、父のようなポストプレイヤーではなく、スターリングみたいなウィンガータイプなんだね。いやあ、楽しみだ。


   ***


 「Youtube - Samenvatting sc Heerenveen - ADO Den Haag」。小林は先発のようだが、ハーフナーは見当たらず。似たようなタイプの「19」番の選手が出ているのは気掛かりだ。序列が下がったのか、それとも負傷中なのだろうか。


 背番号ではっきりと確認はできないのだけど、二点目の起点になったのは小林のインターセプトだと思う。中盤で一人交わして、前線へボールを供給。その選手がラストパスを出す格好になった。前半には良いコンビネーションからシュートに持ち込むシーンもあり、トラップや判断のスピードなどはこのレベルでも十分に通用しているように思う。


 ヴェルディで若くしてキャプテンを任されたものの、確かそのシーズンに降格を経験。結果として、詰め腹を切らされるような格好でジュビロへと移籍。完全なる都落ちかと思われたが、こうして見事に返り咲きを果たした不屈のチューリップ。ロシアで大輪の花を咲かせる可能性も少なくはないはずだぜ。


   ***


 久し振りに『BOOKOFF Online』を利用。二〇一四年に唐突に出版された新訳版の『マクダ』『ネコの心理学』、それから『自閉症児イアンの物語』。相変わらず読書は進んでいないし、気分もさほど乗っていないのだが、とりあえず。


2017/01/13
 「Youtube - 野良子猫ろくと飼い犬りゅうの朝ごはん ちょっとちょうだい」


 この投稿者の動画は演出も控えめで落ち着く。「ろく」くんは優しい飼い主に拾ってもらった己の幸運というものをさほど理解できてはいないようで、自由気ままな野生児ぶりを発揮している。応対する先輩「りゅう」もそのはっちゃけぶりに困惑気味の表情だが、それでもこちらは飼犬らしい大人の対応をしており、そのあたりの関係も面白い。


 都会に暮らしていないことでひどく損をしているような気になることも多いが、こんな風に海と山と猫があれば、そんなことを意に介さずに生きていけるのかもしれない。まあ、それは僕の一方的な思い込みなので、投稿者にはまた別の思いがあるかもしれないけれど。


2017/01/07
『キメラ』
 当図書館がいつ建てられたのか、詳しいことはわかっていません。あまりに長い年月が経過したためでしょう、殆どの書物は重力によって活字が下方に滑落してしまい、そのほとんどが白紙の束になっております。必然的にと申しましょうか、最下段の書物には数千冊分の活字が堆積する結果となり、それが我々に時折思いも寄らない光景を垣間見せてくれるのです。


 ある書物では、カフカとシェイクスピアが奇跡の会合を果たし、躍動感と不条理を併せ持った素晴らしい演劇が生まれていました。また、別の一冊では、プルーストが芭蕉と出会い、「失われた時を求めて」がたった二百字にまとめられているのを見ました。この様な現象がこの図書館のあちらこちらで起きていると思われます。私たちが発見したのはまだまだほんの一部に過ぎないのです。


 当館の職員は皆、空き時間になると遠くの書架まで出掛けていって、そんな新種を探していますよ。あなたも仕事に慣れてきたら是非参加してみてください。


2017/01/06
 枕元にカルペンティエールと久作と賢治の文庫本が平積みにされ、その上に空調のリモコンと携帯ラジオがちょこんと乗っている。当たり前のことだが、この状態では一番上に乗っているものしか利用できない。いかにも、「芸術」は埋もれ、「生活」にただ流されている今の俺そのものだ。


2017/01/05
 「Youtube - Ravenscourt Male Leopard With A Stolen Impala Kill」


 子猫が仰向けになって飼い主の手に絡んでくる様は非常に可愛らしいと言えば可愛らしいのだが、動作としては虎やライオンがシマウマを仕留める時のそれにそっくりだ。順番としては、猫がアフリカで進化して大型化したのではなく、大型のものが他の地域に適応して小型化し、やがてリビア山猫から家猫に至ったのだろう。つい最近、我々の身近にいる猫たちの雄にもライオンのような子殺しの習性があることを知った。何かが脈々と受け継がれ、その環境に応じた表現を取る。


 南アフリカの動物保護施設には人に良くなついたチーターがたくさんいる。そのキュートさは家猫と変わらない。むしろ、そのサイズ分インパクトはでかい。幼年期の経験がその後の行動に大きな影響を与えるのは人間も動物も変わらないのだろう。「共生」、「本能」、「攻撃」、「利他性」、矛盾を孕む諸原則の新たなバランス。変わるものと変わらないもの、変えていいものと、変えてはいけないもの。


 人類がやがて宇宙に出ていくことになったとしよう。初期の段階ではそれほどリソースに余裕がある状態ではないかもしれない。この時、個人の私利私欲に駆られるような個体が成員に混ざっていたら、それは即刻全体の存亡に関わる。今の時代、押し出しの強い人たちに気圧されて肩身の狭い思いをしているあなた。君はそんな未来の人類のために、その優しさを受け継いでいく使命があるのかもしれないよ。


2017/01/03
 年をとると新しい音楽を受け入れにくくなるとはよく聞く話で、僕の『iPod touch』も主に二十代で聴いたジャズやロックで大体が埋まっている。ビートルズ、ジェフ・ベック、ツェッペリン、ブライアン・イーノ。マイルス、エヴァンス、モンクにコルトレーン。誠に代わり映えしない面々だ。


 ある時期からロックを棄ててジャズに開眼したように、いつかはクラシックに目覚める日が来るのではないかともう大分長いこと待ちわびているのだが、その日はなかなか来ない。現在の最大のトレンドはマヌーシュ・ジャズだが、これもオフィシャルアルバムなどよりスマホで撮影された「YouTube」動画の方がホットな演奏が聴けることが多いので、それで結構満足してしまっている。


 これまではリッチーやジミヘン、ペイジといった連中を範とし、ペンタスケールしか手持ちの武器がなかった僕のギター演奏も、ここへ来てようやくアルペジオのスケールが少しだけ弾けるようになってきた。ビレリ・ラグレーンみたいにフレットをフルに上下動するような感じで弾けたらいいんだけど、これはちょっと叶わぬ夢で終わりそうである。彼の演奏する「Isn't She Lovely」は最高なので、検索してみてください。


   ***


 今まで当ページを更新すると、もうどこでどう登録したかも覚えていない巡回ボットが検知してくれて、『Twitter』にポストしてくれていたんだけど、どうも十二月からこちら、それがまったく動いていない。まあ、自力でやってもいいんだけどさ。


2017/01/02
 「Youtube - 年末年始の犬と猫とおじさんとおばさん Happy New Year 2017」


 子猫というのは遺伝子によって「狩りの練習を一年で三万回すること」みたいなことが組み込まれてるんじゃないかなって思う。猫じゃらしに興じるのも、箱や狭い空間に飛び込むのも、野生であれば獲物を狩る訓練の一環となる。この時期にそれを習得できなければ、それは即ち「死」を意味するのだから。


 それにしても、読書をサボって昨年はいったい何ギガバイトの猫動画を観たことだろう。実際に飼うのはいろいろな障壁があって難しそうだ。だから、せめてもの慰めをそこから得ている。


   ***


 いわゆる探偵を主人公に据えたようなドラマというのは、本質的にはファンタジーに近しいのではないかと最近は考えている。探偵は神の如く必ず事件を解決するのだし、基本的に「不死身」である(死んだら、シリーズが続かない!)。探偵の開祖ホームズの生みの親であるコナン・ドイルが晩年交霊術にはまっていたというのはよく知られた話だけれども、「探偵」とは「妖精」の亜種だと考えれば、これもそう突飛なことではないのかもしれない。


 そんなシーンがあるかどうかまでは知らないけれども、ホームズ自身は交霊術を奇術の類として否定するに違いない。とは言え、ホームズの作品世界にはどこかオカルティックな雰囲気も漂っており、決してロジックだけで作られているわけではない。その妖しさもまた魅力の一つである。


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 寝床用のサブノートで突然「Ariadne」が起動しなくなってしまったので、ウィンドウズ側で互換設定やセキュリティを弄りまくったのだけれど、まったく効果がない。共有ネットワーク上で繋がった別のパソコン上の『Ariadne』のパスを叩くと起動するのに、ローカルにある実行ファイルからだと起ち上がらない。何故だ。


 恐らくの結論。共有ネットワークが何らかのトラブルで一旦切断され、見つけられないネットワークパスが設定ファイルに残ったままになっていたのが原因臭い。その部分を『GreenPad』で削除すると起動するようになったので、ウィンドウズ側の設定はすべて元に戻した。ひとまず安心。


 そんなお騒がせな「Ariadne」殿だが、何とまあ、二〇〇三年のタイムスタンプを持つ実行ファイルを今でも使い続けているので、少なくとも十四年程はお世話になっている格好になる。あれこれと試したものの、これ以上にしっくりくるファイラーにはついぞ出会えずじまいだった。機能的には中程度なのでところどころで面倒くさい点はあるのだけれど、どうにも離れられない。少なくとも、僕の環境ではファイル一覧の表示速度は一番早い。『DF』だと一瞬もたるようなフォルダでもこの子は大概スムーズだ。


2016/12/31
 『CSI:科学捜査班 シーズン 12 (字幕版)をAmazonビデオ-プライム・ビデオで』


 第十一シーズンは「Hulu」で観てたんだよね。果たして、この作品そのものでもあったグリッソムという存在無しでこの世界が成立するのだろうかと危惧してたんだけど、ラングストンのややペシミスティックで重厚な存在感が新たな雰囲気を生み出していて、それに酔わされる恰好で一気に視聴してしまったもんだ。


 前シーズンの最後で天才サイコパスとの壮絶な戦いに決着をつけたラングストンだったが、この第十二シーズンにその姿はなく、その騒動の引責という形でヴェガスを去ることになったようだ。そして、本シリーズより愛妻家でプラグマティックな仕事人間ラッセルが主任として赴任。さほどインパクトのあるキャラクターではないけれども、全体のトーンは明るくなり、これはこれで仕切り直しという空気を醸すにはふさわしい。


 そして、中盤の十二話では遂にキャサリンも FBI からのヘッドハンティングという形でチームを去る。こうして、初期から作品を支えてきた二本柱がともにいなくなった。チームとのお別れシーンでの述懐は役柄としてのそれと、撮影現場を去らなければならない俳優本人のそれとが重ね合わせになって見えるような演出が憎かったね。ああ、それでも人生は続く。


 これほど長寿で、スピンオフですら大当たりさせてきた怪物番組なんだけど、どうも「海外ドラマ」の定番というと『24』や『ウォーキング・デッド』なんかがまず先に挙げられ、「CSI」はあまり言及されることがない気がする。キャッチーな飛び道具を持たない作品ではあるので、そこがこの点に関してはネックになっているのかもしれない。多分、それは制作側のポリシーでもあって、この作品にはモンクやパトリック・ジェーンのような、ほとんど妖精の如く振舞える名探偵の類は出てこない。もちろん、ゾンビとかそっち系のヤツもいない。まあ、現実を忘れさせてくれるようなドラマもあれば、現実との戦い方を思い出させてくれるドラマもあるってことかね。


 僕個人はそんなにヘビーな海外ドラマ視聴者とは言えないけれども、とりあえず自分の観た中では『CSI』がベストだ。海外ドラマの初体験がこれだったことを幸運に思うよ。『名探偵モンク』や『クリミナル・マインド』も好きだけど、やっぱり『CSI』は特別なんだ。フーのザラザラしたロックサウンドも、作品の世界観ととてもマッチしていた。現実は何かとヘビーだけど、それでも小さな光を探して生きていかねばならぬ、そんな感じがね。映像、シナリオ、キャラクター造型など、各要素で総合的に高い水準を保ち、現在ではいささか旗色の悪いリベラリズム的な啓蒙の姿勢を貫いているところも好感が持てる。「CSI:マイアミ」なんかだと時にちょっと露骨すぎて鼻につくときもあったりするけどさ。


2016/12/30
 夜通し吹きつけた寒風がアスファルトから容赦なく体温を奪っていった。冷えた体はひび割れ、隠そうとしていた何かが剥き出しにされてしまいそうだ。ソンナニダイジナコトナラバ、ホオズキノフサノナカニカクシテシマエ! 朝の雀がそう呟きながら飛び去る。また一日が始まるのだ。


2016/12/20
 彼女たちは何故モラルを踏み越えていったのか。初期の作品を読むと、元々そんな指向が強い作家ではなかったことが分かる。むしろ、その逆に手塚以来の伝統であるモラル型の書き手であったと思われる。それとも、それはデビューするために必要な仮面だったのだろうか? いや、そうではないだろう。次のステップを模索する中で、半ばやむなく、半ば己を乗り越えていくために、彼女たちはそうしたのだと思う。


 『夢みる頃をすぎても』を描いた吉田秋生が漫画版『限りなく透明に近いブルー』のような『河よりも長くゆるやかに』へと至り、『好き好き大嫌い』で心優しき宇宙人をを描いた岡崎京子が『リバーズ・エッジ』(実は未見)を描いたことを僕は考えている。現実の中の暴力の前には無力であることが分かった時、人はそれに同調した振りをするか、冷笑的な快楽を楽しんでいる振りをして己の心を守る。そして、そのような仕組みで始まったことを忘れてしまう。そして、そこに「リアル」という強力なラベルを貼って蓋をするのだ。


 現在、多くの表現はこの水準をぐるぐると回っており、その濃度を競い合うような形になっている。以上は論考としては脆弱なものだが、備忘録として書き留めておくことにする。


2016/12/19
 遂に「お急ぎ便」の利便性の前に白旗を挙げ、『Amazon.co.jp』のプライム会員になってしまった。配送面での優遇だけでなく、音楽や映画のストリーミングも(全てではないが)自由に利用できるようになる。正直、そんなにコンテンツは豊富ではないが、月割にすると四百円もしないのだから、千円程度の他社との比較からすると、こんなものかなと思う。


   ***


 『パーソン・オブ・インタレスト<サード・シーズン>(字幕版)をAmazonビデオ-プライム・ビデオで』


 この作品は恐ろしい。それは「超監視社会の到来を予見しているから」ではなく、その荒唐無稽さが幼い頃の全能感に満ちた空想に裏打ちされていると思うからである。果たして、「自己肯定感」とは経験によって削り取られた「全能感」の残滓なのだろうか。それとも、もっと健康的に獲得される何かなのか。


2016/12/18
 たまには行ったことのない街で降りてみるのもいいだろう。そこで、いつもと違う路線に乗り、見知らぬ駅で降り、ひとしきり古本屋を探して回るも見つからず、仕方なくレンタルビデオ屋に入った。何を借りたかは覚えていない。何故かテニスラケット用のバッグを持っていたので、それにビデオを入れて再び電車に乗る。ところが、ホームに降りて階段を上りきったところでバッグを車内に置き忘れてきたことに気付く。まったく、俺の鳥頭と来たら、荷物が二つあるだけで必ず一方のことが疎かになるんだ。ビデオ紛失時の補償金って馬鹿にならないんだぞ。そんなことを思いながら、改札脇の窓口に向かう。


 あちこちたらい回しにされたが、バッグは紛失物の預り所で見つかった。ビデオとラケットと猫が二匹。名前はマタドールとレモネードだ。確かに自分の物であることを証明するために、駅員に品物の特徴を告げる。駅員は少し疑り深くなっているようだ。細かいところまでチェックされ、少しだけ不安になる。この時点でもまだこれが夢だとは気付いていない。結局、気付くことなくいつしか眠りから覚めた。


2016/12/13
 厳しい寒さはひとまず過ぎ去り、柔らかな日差しが少しだけ体を温めると、食欲も戻り、僕を侵した憂愁の一部はその力を弱めた。しかし、先はまだ長い。今年は肌が酷く乾燥する。こうして毎年少しずつダメージを回復する術を失っていくのだろう。何しろ、僕はもうカフカや賢治よりも長く生きているのだ。


 ずっと読みたかったローレンツの『ソロモンの指環』を読んだ。犬のルーツにはジャッカル系とオオカミ系の二派があり、それぞれ愛情や忠誠の表現の仕方が異なっているという話が面白かったが、全般的には思ったほど入り込めないまま読み終えてしまった。紹介されている動物や鳥たちは、ローレンツの住んでいるところでは馴染み深いのかもしれないが、僕にはちょっとイメージが湧きにくいものも多かった。もう少し動物行動学について概論的なところを押さえてから読んだ方が面白く読めるのかもしれない。


 引き続き、『テスラ』に取り掛かる。稀代の天才技術者にしてオカルト界のアイコン的存在でもあるテスラ。この煮詰まってしまった世界をまったく別の論理で一から組み替えることができたら、さぞかし爽快なことだろう。テスラの伝説を生き永らえさせているのは、人々のそのような密かな願望ではないかと思う。


2016/12/11
 アメリカのとある作家はこう述べていた。作家や詩人というものは、社会に対する炭鉱のカナリアなのだと。


 では、そのカナリアは昏倒した後どうなるのか。誰も助け起こしてくれる人がいなかった場合、そのまま息絶える他はないのか。


2016/12/10
 寒気は執拗に僕の体を苛み、一晩中生きる意味を問いかけ続けた。それはセピア色に染まったリビング、飼っていた犬がある朝突然いなくなること、飢えた子供たちの鼻先を飛び回る蠅、そんなもので出来ていた。答ならとっくに出ているよ。それは幼い子供でも分かるように平仮名で書いてあるんだから。


 たかが北関東の冬でこんなにも痛めつけられるのだから、津軽の、そしてロシアの冬は如何に。北国にはとても住めそうにない。トカトントン。


2016/11/27
 ねえ、君、この汚れちまった悲しみを吹き飛ばすに檸檬一個の爆弾だけで済むと思うかい? 世界はまるで収容所群島じゃないか! 憎しみはペストのように人々を侵し尽し、僕はまるで異邦人のようさ。存在は耐えられないほど軽い。この沈黙の春を超える夏への扉はどこにあるというのだろう。孤独はあまりにも騒がしく、予告された殺人の記録を読まされているみたいだ。ああ、僕の可愛い女よ、この手紙はロシアに届くだろうか? 日はまた昇ると獣のように世界の中心で叫びたいんだ。


2016/11/23
 読書子の方なら、そろそろ今年読んだ本の中から十傑を選んで、話のタネに提供してみようと思ったりもする時候である。そんなわけで既読本のリストをチェックしてみたところ、衝撃的な事実が判明した。何と、今年の僕はまだ九冊しか読み終えていなかったのである。いやはや、離島の野球部ではあるまいし、参戦の条件もクリアできていないとは恐れ入った。


 のんびり、ストレスなく読書と関わろうとした結果がこれなので、元々この程度のキャパシティーしか持っていないのだともいえる。子供の頃は、文学なんて全く関係なく、ドラえもんのひみつ道具や巨人の篠塚が今日打率ベストテンの何位かということの方が重要なトピックだった。最初にどっぷりとはまった作家は赤川次郎なのだし、星新一や筒井康隆で十代は過ぎた。そう思えば、よくぞここまで辿りついたと言えなくもないのだが、その初期値がもっと高ければ今頃見える景色が随分違っていただろうにとも思う。


 しかし、概ねなるようにしかならなかったことが堆積していった結果が人生というものではある。今日食べたものが未来のあなたを作る。魔法などではないのだ。今日の俺は果たして恥ずかしくないものを口にしたのか、しばし反省の時としたい。


2016/11/10
 『失われた足跡 (集英社文庫―ラテンアメリカの文学) : カルペンティエル, Alejo Carpentier, 牛島 信明 : 本 : Amazon』


「やあやあ、また読み始めてくれたようで嬉しいよ。きっといつかは気に入ってくれるだろうと思っていたんだ。で、どうかね、感想は」
「そうですね、苦労した子ほど可愛いという意味では、愛着が沸いたと言えなくもないです」
「ふむ、どうもすっきりしない物言いだね。何がそんなに気に入らないのかね」
「気に入らないというわけではありません。あなたが非常に知的で、文学や芸術に対する深い素養をお持ちだということが分かりました」
「そう、それらは私の血と肉なのだよ。そこに女性の腰の曲線が加わればもう他に何が必要であろう? 人生はキャバレーの如し。分かるかね、お若いの」
「この小説は、すべての文章が宝石のようでもあり、そしてまた、その裏返しとしてすべての文章が醜悪なようでもあります」
「どういう意味かね、それは」
「つまり、ひけらかしと自慢だけしかないと言えなくもない」
「おお、また君の悪い癖が始まったようじゃな。何一つ建設的なところがない。そんなひねくれた読み方しかできないようじゃ、ずっと傘を差して歩いているようなものじゃないかね。外はすっかり晴れて、ひばりが鳴き、蝸牛も這っているというに」
「すみません、育ちが悪いもので」
「変えられないものを受け入れる勇気を持ちたまえ。それだけで君は空高く飛べる」
「そしてあの哀しいイカロスの歌のように堕ちていくんですね」
「ふふふ、私は君ほどには皮肉屋ではないよ。勘ぐらないでくれたまえ」


2016/11/07
 『西洋中世奇譚集成 皇帝の閑暇 (講談社学術文庫) : ティルベリのゲルウァシウス, 池上 俊一 : 本 : ヨーロッパ史一般 : Amazon.co.jp』


 時代的に仕方がないとは言え、過剰なおべっか調にはちょっと閉口するが、一つ一つの挿話が短く、寝物語に読むにはちょうどいい。


 この古い文書の翻訳を読みながら、「もし、これがそういった体という形で書かれた創作だったら、読み手には何が起こるのだろう」ということを考えていた。どこぞの古い蔵の中から謎の文書・手記が発見された、誠に驚くべき内容を含んでいるのでここに公開する──といったスタイルで書かれた小説を随分と読んできた気がする。例えば、エーコの『薔薇の名前』、パヴィッチの『ハザール辞典』、マドセンの『グノーシスの薔薇』などなど。古文書ではないが、カサレスの『モレルの発明』も手記物だったし、久作の『瓶詰の地獄』も印象深い作品だったし、忘れてならじ、ナボコフの『ロリータ』もそうだ。これは作家にとっては一度はやってみたくなる定石の一つなのかもしれない。


 書き手にとってこの形式の何が魅力なのだろう。例えば、偽の歴史を書き切る構築の喜び。ディテールにこだわらなければ、偽書は偽書として成立しない。これは嘘のつきがいがあるというものだ。一つ垣根を飛び越えれば、偽の星の偽の歴史を書くというSF作品もここに含まれてくるかもしれない。ブラドベリの『火星年代記』、ステープルドンの『最後にして最初の人類』。設定をきっちり詰めなければ、話に整合性を持たせることができない。そこに腕の見せ所があるというわけだ。


 また、自分以外の第三者になりきることで普段の自分から解放されるという面もあるかもしれない。もちろん、普通の一人称で書かれた作品にもそういう側面はあるのだろうが、手記の場合はその人物が自分の体験を昇華して文章に残すという過程の感覚が必要になる。これはただベタに書くことからひとつ創意のレベルを上げなくてはならない。この一回ひねりを差し挟む感覚が、書くということに手慣れた身には、挑戦してみたくなる段差に映るのだろう。それに、手記とは本質的に「既に書かれた」ものである。つまり、作者の頭の中にはその結末が見えているのだ。だったら、これを書かずにいられようか?


2016/11/01
 『ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡 : シルヴィア ナサー, 塩川 優 : 本 : Amazon』


 過剰な脳の活動が、目に入るもの全てに関連性を見出す数秘術や陰謀論を招き寄せるのだろうか。それとも、そのようなことに耽溺したが故に脳が暴走するのだろうか。この時、脳は自分で自分を食いながら走るエンジンのようになっているに違いない。僕にも(ずっと軽めなものだが)そんなような時期があった。「そのようなことを考えるのをやめた時、病が自然と寛解した」とナッシュが述べているのは示唆的であるような気がする。


2016/10/27
 『日本ナボコフ協会秋の研究会のお知らせ - 訳すのは「私」ブログ』


 名古屋に行きたしと思えども、名古屋は微妙に遠し。どなたかきしめんに様子を認めて、味噌カツ丼の馬車に乗せてそっと送ってはくださらぬか。


2016/10/21
 『『ロリータ』ナボコフの描いた蝶のデッサン画集 蝶の研究家としての側面 - KAI-YOU.net』


 ナボコフという男は、印字されたものを読めば絢爛たるイメージを生み出すものの、実際には悪筆家であった。ここで見られるデッサンもリアルなものではないが、強い情熱が技術不足を補っており、見ようによっては味わい深いものになっている(贔屓の引き倒し説)。意志を持って見つめなければ、個々の柄に微細な差異を見出したり、それを分類することは出来まい。これは、ナボコフが自分の作品について読者に繰り返し求めていたものと同じ態度ではなかろうか。


 この画集はアマゾンでも購入できるようだが(『Fine Lines: Vladimir Nabokov?s Scientific Art : Stephen H Blackwell, Kurt Johnson : 洋書 : Amazon.co.jp』)、果たしてこれは俺のナボコフ愛が試されているのだろうか。それとも、どこかの意欲ある出版社が版権を取るのを待つべきなのか。おお、狂おしきハムレットの心。買うべきか、買わざるべきか、それが問題だ。


2016/10/19
 『ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡 : シルヴィア ナサー, 塩川 優 : 本 : Amazon』


 ページもちょうど真ん中を過ぎたあたり、病の魔の手が一歩ずつナッシュに忍び寄ってくるくだりは、結末の分かっているホラー小説を読むようで悲痛ですらある。


 思うに、そいつはある日突然彼の寝首を掻いたのではなく、幼少の頃からずっとどこか遠くの物陰でナッシュのことを見ていたのだと思う。彼が見たものを見、彼が感じたものを感じ、そして機を見ては少しずつその距離を縮め、いよいよという時になって彼の肩を叩いたのだ。


 驚いたナッシュが振り向くと、そこには自分と同じ顔をしているのに、微妙にたわんだ鏡に映ったようにどこか調子の狂った自分の姿がある。そいつは訳知り顔で彼に告げる。「やあ、やっと会えたね。僕は君が隠そうとしてきたものすべてだ、もう逃がしはしないよ」と。


2016/10/16
 『ウラジミール・ナボコフ「ロリータ」(新潮文庫)-1 - odd_hatchの読書ノート』


 はて、世間ではこの稀代の悪漢小説を再読することが流行りなのだろうか? 生憎、冥い井戸の底で暮らすこの痩せ蛙にはそのあたりの事情はよく分からない。何にせよ、小説の最大の欲望は読まれることにある。そして、僕の見る限り、この作品はまだまだ飢餓状態にあり、あなたの目を釘付けにしようと妖しい燐光を放ち続けている。


2016/10/15
 『ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡 : シルヴィア ナサー, 塩川 優 : 本 : Amazon』


 書物にはそれ特有の匂いがある。猫が見知らぬものに対して鼻を近づけくんかくんかとやるように、本読みは行間から立ち昇るそれを嗅ぎ分けながら生きているものだ。この本には、エルデシュやラマヌジャンの伝記からは全くしなかった匂いがする。それはセピアに染まった死蝋の匂いだ。九〇年代にプロファイリングブームの煽りを受けてあれこれ刊行された連続殺人犯の伝記本(ジェフリー・ダーマー、エド・ゲイン、エトセトラ、エトセトラ…)、あれと同じ匂いがするのである。


 実際、天才を愛する僕でさえ、ナッシュの行状には眉を顰める。特に女性の扱いはひどい。ユーモアのセンスもあったアインシュタイン、悲劇に彩られたラマヌジャン、紙一重の危うさを生きたゲーデルやディラック、彼らの伝記本ではそんな体験をしたことはなかった。数学的な業績の記述がなければ、この男が将来何で新聞紙上を賑わせることになるのか、読者は判断しかねるほどだ。


2016/10/13
 『『ロリータ』ウラジミール・ナボコフ - キリキリソテーにうってつけの日』


 一体、どれだけの本を読めば彼の背中が見えるのだろう。まったく見当も付かない。彼のブログがなければ全く知ることもなかった作家がたくさんいる。そんな人も少なくないに違いない。


 ナボコフはプルーストやプーシキンといった豊かな大河を水源に従えた巨大な隠喩のダムである。一度その放流を浴びれば、その水の色に染まらずにはいられない。そのことが氏の筆からもよく分かるだろう。読む喜びとは、書物を通じて魂の震えに共振することだ。


 私? 私といえば、最近自分が五本足であることすらすっかり忘れているよ。


2016/10/03
 『Amazon.co.jp: 偉業: ナボコフ, 貝澤哉: 本』


 「はて、こんなタイトルのナボコフ作品があっただろうかとしばらく首を捻った」などと書き出せたら、つかみとしては洒落ているのだろうけど、生憎そんな素直な事態ではなかった。もはや、未訳の作品はかつて「青春」というタイトルで新潮社から出版され、現在も古書市場で高値をつけているあれくらいしかないことはすぐに分かることだ。その邦題はちょっと変だよねという話を、『Twitter』だかどこかで見掛けたことがあった。原題が何だったかは思い出せなかったが、多分それをストレートに訳した結果が「偉業」なのだろうと必然的に推測された。然る後にウェブで検索した結果、英訳の原題は「Glory」であった。なるほどね。まあ、大体そんな話である。


 いつも盛大に的を外すことで有名な僕のファーストインプレッションを述べてみよう。このタイトルからナボコフの像が浮かんでくるかというと、あまりそんな強い結びつきは感じられない。いささか即物的というか、そもそも小説のタイトルとして表にどんと出るタイプの語ではないという気がする。短編集の中にそんなのが一つあったなくらいがちょうどいい。いや、確かにロシアの古い小説ならありそうな雰囲気もあるだろうか。「青春」という題はいささかストレート過ぎて気恥ずかしいが、いかにも「小説的」ではある。


 辞書を引くと、「glory,繁栄,栄光,誇り,壮観,荘厳」とある。なるほど、この中からならば、「栄光」が最も「小説的」で、ナボコフの尊大な感じを伝えるに相応しいかと思う。ナボコフには印象的な「光」の描写がたくさんあるし、彼の作品のポジティブな雰囲気を伝えてもくれる。「偉業」だと少し物々しいというか、ブリリアントで豊潤な感じが出ない。


 「偉業」から「異形」、そして「ギニョール」…。そんな風にややダークな方向に連想が引っ張られていく。字面も詰まっていて、マルクスやフッサールのような立派な髭を湛えたお歴々が得意気にふんぞり返って自分の業績をとくとくと語り続ける(学生たちは若干俯き加減で黙って聞き入るしかない。いつこの退屈なお説教は終わるのだろう…)──そんなイメージが浮かんでくる。


 そんなこととは関係なく、実際に読んでみればこれに「偉業」というタイトルを宛がうしかないということが納得されるのかもしれない。それはその時のお楽しみにしておくことにして、今日はお終い。


2016/09/30
 『ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡 : シルヴィア ナサー, 塩川 優 : 本 : Amazon』


 こんな一節を見掛けた。気になったので、記しておく。「彼が丹念に築き上げてきた人生を、もろくも洗い流してしまったのである」(十六ページ)。確かに脆ければ洗い流されやすいかもしれないが、やはり「脆くも」には「崩れ去る」が相応しかろう。


 そもそも他動詞である「洗い流す」に「もろくも」は何だかしっくり来ない。脆いのは、そこで壊れてしまう何かの方である。この文の主語はこの文の前にある「混沌」であるが、脆いのは「人生」の方だ。訳者の方は、人生の脆さや事故のような突発感もこの文の中に織り込みたかったので、こんな風に入り混じった表現になったのだろうか。まあ、重箱の隅には違いない。


 このような違和感は、あまり推敲されていない類の文章においてよく見出される。具体的には、ネットでのスポーツニュース(とりわけ海外のソースを翻訳したもの)や『Wikipedia』である。整った文章を書かなければならないという思いが空回りして、身の丈に合わない文体を用いた結果、妙な連合を生み出しているのだろう。僕自身もこれまで相当にやらかしてきているはずである。


2016/09/24
 『ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡 : シルヴィア ナサー, 塩川 優 : 本 : Amazon』


 数奇な人生を辿った天才数学者ジョン・ナッシュの伝記。既に文庫化されており、単行本なら時にかなりの安値が付く。エルデシュのものとも、ラマヌジャンのものともまた違った風合いで、伝記というものは、何を書くかということと、誰によって書かれるかということの複雑に絡み合った乗算の積なのだなと改めて思う。


 心の問題を扱っているということもあるのか、幼少期や家族歴についてはかなり突っ込んだ記述をしている。中には当人にとって伏せておいてもらいたいような話も出てくる。月並みな言い方になるが、子供の無垢と残酷は、一枚のコインの表と裏だ。


 僕が小さい頃、町内の子供の中にも「小ナッシュ」とでもいうべき子がいた。大きな丸渕の眼鏡をして、空の青さにも雲の白さに何故そうなのかと周囲に質問ばかりしてくる男の子だった。そして、他所から見れば、僕もまたそちら側のメンバーの一人に数えられていても不思議ではなかったかもしれない。小さな団地内のミドルアッパークラス出身で、文弱かつ内向的な少年たちが辿る運命。ナッシュの少年時代についての話を読んでいると、いろいろなことが思い起こされて、心がざわついてくる。


2016/09/23
 『My Brain is Open―20世紀数学界の異才ポール・エルデシュ放浪記 | ブルース シェクター, Bruce Schechter, グラベルロード | 本 | Amazon.co.jp』


 エルデシュがカフェインでは飽き足らず、アンフェタミンに手を出していたというのは、いささかショッキングな話である。依存症の気がある人間というのは対象を梯子していくものだが、そもそも数学への耽溺もその先の一つだと言えなくもない。


2016/09/19
 『My Brain is Open―20世紀数学界の異才ポール・エルデシュ放浪記 | ブルース シェクター, Bruce Schechter, グラベルロード | 本 | Amazon.co.jp』


 エルデシュの生涯から、数学的トピックまで、重すぎず、軽すぎず、いいバランスで上手く纏めらており、履き心地の良いスニーカーで行う軽めのジョギングのように、気分よく読み終えることが出来た。もちろん、この程度のトレーニングでは数学という怪物そのものに立ち向かうことは出来ないが、それはそもそもの目的ではない。


 トランク一つで世界中を旅し、あちこちの研究所や大学に顔を出しては共同論文を次々に生み出す、そんないささか漫画じみた人物が実在したということがそもそも驚きである。世事には疎く、その無邪気さが政治的な誤解を生むこともあった。生涯独身で、母親には甘え通しだった。自身の研究だけでなく、後進の発掘に精を出し、相手がどんな若造でも数学の才があれば積極的に支援した。そんな「雨ニモ負ケズ」を地で行ったようなエルデシュは、たまたま数学が得意だっただけで、本当の職業は天使だったのかもしれない。


2016/09/09
 『My Brain is Open―20世紀数学界の異才ポール・エルデシュ放浪記 | ブルース シェクター, Bruce Schechter, グラベルロード | 本 | Amazon.co.jp』


 僕が数学のことを楽しいと思うのは、例えばこんな問題を見た時だ。A君とB君が百メートル競走をしたところ、A君が十メートルの差をつけて勝ちました。そこで、今度はA君がハンデで十メートル後ろから走り始めることにしました。果たして、結果はどうなったでしょう? これが不思議なことに同着とはならず、またA君が勝つのである。有名な問題なので、どこかで見たことがおありかと思う。


 本書で取り上げられているのは当然こんなレベルの話ではないが、数学を愛するということがどういうことだったか、作者の快活な筆は思い出させてくれる。僕は裾野で少しばかり遊んだだけだったが、見上げた先の峰々にはエルデシュやゲーデルといった数多くの冒険者がいたのだ。


 先の問題の理屈はこうである。B君はA君が十メートル走る間に九メートルしか走れない。つまり、A君が百の十一倍である百十メートルを走る間にB君が走れる距離は九メートルの十一倍の九十九メートルでしかなく、やはり負けるということになる。しかし、現実には人間は一定のスピードで頭からお尻まで走れるわけではないし、B君は体が温まるのに時間が掛かるタイプなのかもしれない(やはり、僕は数学向きの人間ではないようだ)。


2016/09/06
 『失われた足跡 (集英社文庫―ラテンアメリカの文学) : カルペンティエル, Alejo Carpentier, 牛島 信明 : 本 : Amazon』


 拝啓、TOKKY 殿。君のサイトを読ませてもらったよ。私、及びラテンアメリカの文学に関心を持ってくれてありがとう。しかし、どうやら、私の作品がお気に召さないようだね。最も燃えていた頃のパリで、名だたるシュールレアリストたちの薫陶を受けた私の芸術が理解してもらえなくて、非常に残念だ。


 しかし、よく考えてもらいたい。私はこれまで両手に余るほどの作品をこの世に送り出してきたが、君には一体どれほどの実績があるというのかね? 君が先日書いていた小説もどき、あれではどこの出版社も拾ってはくださるまい。文学の女神は、残念ながら博愛主義者とは言い難い。君のように世に出ることなく散っていった者も星の数ほど目にしてきた。そんな君が私の小説を論じようなど、百年どころか千年早いと言わざるを得まい。


 私のように水の代わりにシャンパンを飲んできた人間を羨むのは分かる。しかし、やっかみと批評を一つのグラスに入れても新入りのバーテンダーが作る不味いカクテルにしかならないものだ。もっと修業を積んで出直し給え、我がシジフォス君。私の見たところでは、君もそれほど筋が悪いわけではないようだしね(当てこすりなどではないから、心配御無用)。君の未来がこの世で最も美しいハバナのビーチの如く光り輝かんことを、微力ながら祈っているよ。天国も良いところだが、あの砂浜に比べたら一段落ちるね。


2016/09/03
『心変わり』
 近頃の俺は少しおかしい。以前ならば、女と見れば飛んで行って匂いを嗅いで回ったものだし、男と見れば喧嘩三昧の毎日だった。それが今ではどうだ。あの内側から付き上がってくるような衝動がない。誰を見ても、ご自由にどうぞとしか思えない。穏やかではあるが、一面退屈でもある。だから、暇を持て余す分、つい飯を食ってしまう。


 こうなったのは、あの日からだ。あの日もいつもと同じように起きて、身支度を整え、いつものコースで散歩に出かけようとしたのだが、ボスが籠に入れという。あのでかくて固い奴に乗ってどこかへ行くためだ。これまでも何度か乗せられたことがあるのだが、今回は随分薬臭いところだった。そして、そこから先の記憶がはっきりとしない。気が付けば、俺はいつもの寝床にいた。腹のあたりがムズムズするのだが、首の周りに何かてらてらしたものをはめられていて舐めることができない。しばらくは気になって仕方なかったが、直にそれにも慣れた。


 「みいちゃんは最近、すっかり大人しくなってねえ」、ボスがしきりにそんなことを言う。意味はよく分からないが、ボスの機嫌が良さそうなので、俺も嬉しい。飯もねだればねだるだけくれるようになった。「みいちゃん、駄目だよ、メタボになっちゃうよ」、ボスが嬉しそうにそういうのを聞きながら、俺は好物の鮭を分けてもらい、再び寝床へと戻る。俺と同じ顔をしたおチビちゃんたちが恨めしげな顔で俺を見ている、そんな夢を最近頻りに見る。


2016/08/28
 『失われた足跡 (集英社文庫―ラテンアメリカの文学) : カルペンティエル, Alejo Carpentier, 牛島 信明 : 本 : Amazon』


 これだけ放置してやれば少しは反省して簡素な文体に鞍替えしているかと思ったが、当たり前のことだが何も変わっていなかった。人間でさえ、自分を変えることは困難なことである。況や、書物をや。


 ところどころ意味すらつかみ損ねるような晦渋な文章の連続であるが、藪を掻き分け掻き分けどうにか真意を汲み取ってみると、学術調査に連れて行った愛人に愛想が尽きてきたとか、現地で出会った女の方に気を惹かれ始めたとか、他愛も無いことを勿体つけて書いてあるだけだったりもする。私見では、小説というものは、どれだけ文章を飾り付けられるかを競うゲームではない。崇高や美と出会うために、己と向き合いながら技芸を凝らすことである。そのための定石などはない。


   ***


 『My Brain is Open―20世紀数学界の異才ポール・エルデシュ放浪記 | ブルース シェクター, Bruce Schechter, グラベルロード | 本 | Amazon.co.jp』


 もしかしたら数学専攻者向けの内容になっているのではと危惧したが、その点は杞憂であった。文章も締まっていて小気味良い。書き手の思い入れが伝わってくる。先日読み終えたラマヌジャンの伝記は、網羅的で時系列を順序良く追った労作ではあったが、作者とラマヌジャンの間にはやや溝がある気がしたものだった(ラマヌジャンの数学があまりにも難解すぎるが故であろう)。


 しかし、最近の僕と来たら、「科学書」と書いて「読んだ先から忘れる」と読むといった体たらくであり、その時は楽しめている(つもりだ)が、なかなか血肉とはならないのが歯痒いところだ。


 ところで、写真で見るエルデシュは、日本の科学教育を長年支えてきた竹内均氏に似ていると思う。


2016/08/26
 『au one netホームページ公開代理サービスの終了について』


 圧縮ファイルの奥の奥にしまいこまれ、饐えた匂いを放つ過去ログのデータによれば、当サイトの前進となるサイトは西暦二〇〇〇年にこの世に生まれた。いろいろ手を変え品を変えここまで生き延びてきたが、遂に家主がアパートを畳むことになり、店子である我々は選択を強いられている。出会った頃はこんな日が来るとは思わずにいた。さすがにちょっと予想外のことである。


 この御時勢だ、ブログにせよ、SNS にせよ、発信のための代替手段はいくらでもあるが、結局のところ、ローカルで文章を書いて、手動でアップロードするやり方以上に馴染むものはなかった。出来れば、このスタイルで続けたいものだが、広告無しで FTP に対応した「ホームページ公開サービス」が今時それほどあるとは思えない。


 カウンターの周り具合からすると、現在、当サイトを日常的に訪れてくれている人は多くて三人、もしかしたら一人、いや、それすらも検索サイトやアンテナの自動巡回が気まぐれに掠めていっただけという可能性もある。それでも、俺の心に錆びたナイフが隠されている限りは、多分書くことをやめることは出来ない。


2016/08/20
 『無限の天才―夭逝の数学者・ラマヌジャン : ロバート カニーゲル, Robert Kanigel, 田中 靖夫 : 本 : Amazon.co.jp』


 牛の舌のように濡れた夜。読み終えた本といかにして別れるか、これがいつも問題だ。


「あら、もう本棚送りだなんて、随分な仕打ちじゃないかしら。途中からもうあなたが冷めてるのは分かってたけど、ひと時とは言え、あれほど燃え上がったのだから、そこまですげなくしなくてもよくなくて?」
「悪いけど、君一冊にばかり構っているわけにはいかないんだ。狂おしいほどに美しい本が世界にはたくさんあって、僕を待っているんだよ」
「そうやって、都合よくつまみ食いばかりしていると、いずれ罰が当たるわよ、私のアントニオ。思えば、あなたも可哀想な人ね、本当の愛を知らないからそうやってすぐに目移りするのよ。いいこと、一生に一冊、心の底から愛することができれば、それでもう十分なのよ」


 やがて、すべての本が僕を気にも留めなくなる瞬間──即ち死が訪れる。


2016/08/14
 『無限の天才―夭逝の数学者・ラマヌジャン : ロバート カニーゲル, Robert Kanigel, 田中 靖夫 : 本 : Amazon.co.jp』


 今日の目から見ると、いかにもアジア的とでもいったような強固な母子関係が、彼の健康的な心身の成長を妨げたようにも見える。これを地域的な文化と見做して良いのか、それとも、人類にとって普遍的な健康な母子関係というものを考えるべきなのか。どこに生れ落ちようが、我々は人である。その生理が大きく変わることはない。


 彼をインドから引っ張り出したハーディは、徹底した理知主義のようなものに凝り固まっている。こちらは英国的な早期の母子分離養育法のなせる業なのか。数学では多大なる成果をともに挙げた二人も、心理的には寄り添っているようには思えず、それが悲劇の歯車の回転速度を速めたように見えなくもない。


 このハーディとラマヌジャンの物語において、果たして勝利者はいったい誰だったのか。「幸福とは魂の善である」。遥か昔にギリシャのある賢人様がそう仰ったそうだ。一日の終わりに、そんなことを呟いてみる。


2016/07/27
 『My Brain is Open―20世紀数学界の異才ポール・エルデシュ放浪記 | ブルース シェクター, Bruce Schechter, グラベルロード | 本 | Amazon.co.jp』


 先日、思いがけず中古で安く出品されていたので衝動買い。エルデシュの伝記にはもう一つ草思社から出ているものがあって、そちらの方がより一般読者向けのような気がする。こちらの版元は共立出版というところで、巻末の刊行目録にはゴリゴリの数学専門書のタイトルがずらりと並んでいる。ひええ。


 なあ、お前、いい加減に数学のことは諦めたらどうなんだ。もとより、お前には無理めな存在だったんだって。遠巻きに眺めてるだけで我慢しておけば、傷付くこともなかろうに。悪いことは言わない、文学にしておけって。文学はいいぞお、そりゃ、ちょっと曖昧でふわふわしたところはあるが、何と言っても情が深くて、ここだけの話、床上手って専らの評判だ。数学みたいに冷たく突っぱねたりはしないし、大体、あの数学ってやつは俺に言わせりゃ痩せ過ぎだよ。なあ、知り合いの文学ならいつでも紹介してやるから、気が向いたら言ってくれ。お前にピッタリの…。


2016/07/24
 『見てごらん道化師(ハーレクイン)を! | ウラジーミル・ナボコフ, メドロック 皆尾 麻弥 | 本 | Amazon.co.jp』


 本日、到着。こうして現物を前にしてみると、先日の重箱の隅を突くような邦題への違和感もどこかへ消し飛び、帯の惹句を目にしただけで、大好物のビーフジャーキーを前にして千切れんばかりに尻尾を振っている犬のようにワクワクする気持ちでいっぱいになっている。やはり、物体としての書物には、その質量分の魔力が備わっているのだ。


 この鋭い問い掛けのようなタイトルには、「当ててごらん、この仕掛けを!」という、訳者がこの作品から汲み取った重要な作品のメッセージがユニゾンとなって二重に響いているのだろう。それだけ思いが溢れているのだ。僕も鹿撃ち帽とパイプを用意して、じっくりと事に当たらねばならぬようだぞ、ワトソン(ナボコフ作品にはありがちなことだが、結局読解力不足でもやもやした気持ちになる可能性も随分とあるわけだが)。


2016/07/22
 十年ほど前の不義理に報いるための親睦会を企画し、それがことのほか好評だったため、第二回の開催を約束して解散する、そんな夢を見ていた。それが夢だと分かってがっかりするという経験は何ヶ月かに一回の割合で起こるが、今回もそれに該当する。会いたい人に図らずも背を向ける恰好となった十年の重さは、僕の心の内に深く沈み込んで、大きな鯨が呼吸をするために時折海面に上がってくるように、夢という形で顔を覗かせる。


   ***


 『見てごらん道化師(ハーレクイン)を! | ウラジーミル・ナボコフ, メドロック 皆尾 麻弥 | 本 | Amazon.co.jp』


 とりあえず、購入。旧訳版は久しく絶版となっていたので、こうして新たな装いで入手しやすくなるのはありがたいことだ。しかし、先代を意識しすぎたのか、この邦題は少しばかりゴチャゴチャしていてすっきりしない。「見てごらん」と「道化師」の間に読点を打たない理由がまず分からない。「道化師」と書いて「ハーレクイン」と読ませようというやり方も、何だか料理の味を邪魔する不必要な香辛料のようで、あまり好ましくない。そして、この括弧は正式には半角なのか、全角なのか。分類好きには気になるところだろう。


 旧版の邦題である『道化師をごらん』があまりにもはまりすぎていて、代替案を見つけることは非常に困難だ。原題の「Look At The Harlequines!」も恐らく一息で一気に読まれるように企図されているはずで、そのリズムも見事に転写している。今回の邦題には二つの山があり、一旦谷に下りなくてはならない。


 地口好きだった御大に倣うとすれば、「道化師に瞠目せよ」などと頭韻を踏んだりするのもありかもしれない。とは言え、作品の雰囲気にはきっとそぐわないだろう。いずれにせよ、それほどの部数は望めそうもない本作の出版に踏み切った志高き(?)方々にはひとまず敬意を表したい。ついでに、『青春』や『絶望』もよろしくお願いいたします(舌の根も乾かぬ内とはこのことだ)。


2016/07/20
 『失われた足跡 (集英社文庫―ラテンアメリカの文学) : カルペンティエル, Alejo Carpentier, 牛島 信明 : 本 : Amazon』


 自分が誰だかも忘れてしまいそうな蒸し暑い夜の中、我が読書計画は相変わらず頓挫したままである。鴎外もボルヘスも読まずに、どう考えても生涯の友とはなりそうもないカルペンティエールを読んでしまう。もちろん、寄り道がすべて無駄というわけではないが、出来ればそういうことは若い身空でやっておきたいところだ。


 この数年、余計なものを身に纏ってきたが、段々それを維持することが難しくなってきた。素粒子だの、ゲーデル数だの、結局のところはよく分からない。自分が本当に好きなものって何だったか、それを少しずつ思い出そうとしている。毎日、公園で何時間も壁当ての軟式ボールを追いかけていた少年だった頃の感覚がじわじわと体の奥から浮かび上がりつつあるのを感じる。お前は結局そこから一歩も動いていないんだよ、夕暮れが久遠の時を経ても同じく悲しげなようにね。心と体がそう囁いている。


2016/07/13
 『失われた足跡 (集英社文庫―ラテンアメリカの文学) : カルペンティエル, Alejo Carpentier, 牛島 信明 : 本 : Amazon』


 何時間も掛けて煮詰めたジャムのような濃口の文体にいささか辟易気味ではあったが、それでも朱に交われば何とやら、次第にその調子に感化され始めてもいる自分を見出す。そして、この過剰な修飾でびしょ濡れになったような語り口には、いくばくかの懐かしさもある


 十代のある時期、自らの一挙手一投足が即座に頭の中で小説的文章に変換されてしまうという意識状態になっていたことがある。例えば、「僕は信号が赤から青に変わるのを待って、右足を踏み出した。靴の裏でアスファルトのざらついた皮膚を撫でながら、白と灰の縞模様の波の上を漕いで渡った」といった具合だ。これが、目覚めている間ずっと続く。


 そのような意識の変成状態はどれほど続いただろうか。これが具体的に何かを生み出したかというと、そんなことはさらさらなく、頭の火照りもしばらくすると冷めていった。思うに、これは自意識の麻疹のようなものではなかったか。何も特別なことのない日常をどうにかして特別なものだと錯覚したいがための(もしくは、その直前に読んだ古井由吉のせいだったかもしれない)。


 このような病状にその後も長きに渡って耐えうる心身の持ち主だけが、職業として作家というものを選びうるのではないかと思う。


2016/07/07
 『失われた足跡 (集英社文庫―ラテンアメリカの文学) : カルペンティエル, Alejo Carpentier, 牛島 信明 : 本 : Amazon』


 ナイフを刺す暇もなく片付けられては次の皿が運ばれてくるせわしないコース料理のように、矢継ぎ早に送り込まれる過剰な隠喩。それに面食らって、所々意味さえ掴めないまま何とか読み進めていると、ようやくその過剰さにも慣れてくる。所詮は人間が人間に向けて書いたものだ。恐れるには足りない(いや、これは冷や汗なんかじゃない)。


 スポーツ選手が記録を伸ばそうとするように、作者は大変に張り切って文章を飾り立てようとして書いているのが伝わってくる。それは大変に見事な腕前だと言わざるを得ない。しかし、それが何だというのだろう? ロココ調の豪勢な椅子も、錆び付いたパイプ椅子も椅子には違いない。我々は「文学」の中に何を求めるべきなのか?


 以前に読んだ『春の祭典』も、その華美さに最初は心奪われたものの、次第にエスタブリッシュ自慢や安手のメロドラマ風恋愛劇が露骨になってきて、随分とげっぷが出たものだ。見た目の派手さほどには、内容は超俗的とは思えなかった。エスタブリッシュとは、畢竟そういうものなのかもしれないが(いや、これは負け惜しみではない)。


2016/07/01
 『失われた足跡 (集英社文庫―ラテンアメリカの文学) : カルペンティエル, Alejo Carpentier, 牛島 信明 : 本 : Amazon』


 この小説は、こんな風な書き出しで始まる。「地味な蛇腹飾りの破風が裁判所のようないかめしさを感じさせる、白い柱のこの家を、こうして四年七か月ぶりにながめ、以前と同じ場所におかれたままになっている家具や装飾品を前にして、わたしは時間がもとにもどってしまったのではという、ほとんど悲痛な気持ちになっていた」。どうだろう、読み手はまずなかなか着地しない長い一文に出会っている。「わたし」が「悲痛な気持ちになった」という中心的主題にいくつもの脇道が接木されており、読者は長い放浪の末にようやく文意を見出し、一息つくことができる。この緊張からの解放に要する遅延の長尺こそが、文章における技芸なのである。語彙の豊富さからくる字面の複雑さとも相俟って、この作家は読みでがありそうだぞという気構えが生まれている。


 では、『短篇集 死神とのインタヴュー (岩波文庫) | ノサック, Hans Erich Nossack, 神品 芳夫 | 本 | Amazon.co.jp』から、表題作の「死神とのインタヴュー」を見てみることにしよう。その書き出しはこうである。「わざわざ早起きして出かけていったのは、その男の在宅のときをねらって訪問しようと思ったからだ」。個人的には翻訳の粗さもあるとは思うのだけれど、カルペンティエールのそれに比べるとインパクトも薄く、いささか頼りなさげではある。文章は始まってすぐに着地する。特に寄り道もなければ、新奇なところもない。語り手は退屈な人物なのかもしれない、そして、必然的に作品の跳躍力もそれ相応なものなのかもしれないと邪推してしまう。


 もちろん、文章が複雑ならいいというものではないが、この書き出しの時点で読み手の内に広がる何かに違いが生じている。無論、最初の印象が後になって大きく裏切られるという可能性はゼロではない。しかし、書き出しに込めることができた時空の構造は、人の指紋や歯列のように、変わることなくその作品をその作品足らしめる特徴となるのではないかと思う。


 書き出しとは、小説の大事な玄関であろう。上手に我々を迎え入れてほしいものだ、


2016/06/29
 『短篇集 死神とのインタヴュー (岩波文庫) | ノサック, Hans Erich Nossack, 神品 芳夫 | 本 | Amazon.co.jp』


 詳しく知っているわけではないが、漢方の世界では食材を体を温める物と冷やす物に大別しているという。文章にもそんなようなところがあって、気持ちの温感を上げるタイプのものと下げるタイプのものがあると言えそうだ。我々は比較的造作なくそれを使い分けているように思うが、その仔細なメカニズムは一体どうなっているのだろう?


 正直、このノサックという作家は僕をホットにはしてくれない。所々に持って回った表現が見られるが、書き手がそうでありたいと望む抽象度が達成できていないことから来る空回りのように思える。思わせぶりとちょっとだけ過剰な自信。そもそも、小説を書くなんて愚かしさに手を染めるのは、そのようなものを持った人間だけかもしれないが。


 今でこそ、僕も偉そうに文学なんぞ読んじゃってございといった顔をしているが、十代の頃は娯楽小説以外のものは全く受け付けなかった。カフカもカミュも何を言っているのかさっぱり分からなかったものだ(今も分かっているのかどうか)。ノサックを読んでいると、その頃の中途半端で居場所のない感覚を思い出す。彼もまた娯楽と芸術の間の溝に落ち込み、向こう岸を目指してもがいた表現者の一人だったのではなかろうか。


2016/06/28
 『夢野久作全集〈2〉 (ちくま文庫) | 夢野 久作 | 本 | Amazon.co.jp』


 久作、青の時代。この連載記事から、書き手がいずれ、あのあやかしの大伽藍である『ドグラマグラ』を物すると想像できる人は少ないだろう。どちらかというと、全集の付録のような存在である。文章の調子にはらしさも見えるが、やはりルポルタージュ向きの才能ではないと見える。


 そもそも、「田舎物の東京論」ほど滑稽なものもまたとあるまい。まあ、僕自身そんなことをした覚えがないとは言わないが。


2016/06/25
 『ナボコフの値段C レア本編A - 訳すのは「私」ブログ』。ここのところ、早いピッチでナボコフ関連の投稿がポストされており、喜ばしい限り。絶版本の新訳、未訳のエッセイ集など、最近は大ネタも多々あるのだが、なかなか詳細を追うまでには至らない。世のナボコフ好きは垂涎と悶絶の日々に明け暮れていらっしゃることと存じます。


 何度か申し上げている通り、僕の読書ペースは長いこと月四冊平均を保ってきた。しかし、これも相当に無理をしての結果である。もう少しラフに書物と接するようにすると、当然だがペースは落ちる。三冊どころか、長いものに当たると一冊も読み終えられない場合もある。世間には水を飲むように読書ができる方々が沢山いるようなのだが、生憎と僕はそのような人間ではない。


 とは言え、読み終えた本の数が実りの豊かさを保障するわけではない。僕の立場から言えば、ナボコフの全作品を読破するよりも、暗記するほど『ロリータ』を読み返す方が得るものがある(もちろん、アカデミズムを目指すならば、その限りではない)。


2016/06/21
 『無限の天才―夭逝の数学者・ラマヌジャン : ロバート カニーゲル : 本 : Amazon.co.jp』


 ラマヌジャンは、菜食主義であるが故に英国式の社交場に行くことが出来ず孤立したのか、それとも元来の孤立癖が菜食主義という都合のいい鎧を得て強化されたのか。人の心は、時に二重にも三重にも屈折した詐術を己に対して行う。当サイトは、大まかに言ってそれらとの闘いの記録である。


2016/06/20
 『豚の戦記 (集英社文庫) | A. ビオイ・カサレス, Adolfo Bioy Casares, 荻内 勝之 | 本 | Amazon.co.jp』


 カサレスの作品を読むのはこれで三冊目になる。これまで熱狂的に読んできたかというと、そうでもない。かといって、記憶にも残らないような代物だったかというとそんなこともない。僕の気持ちとは関係なく、彼の小説は凛としてそこにある。


 どこに包丁を入れても真っ白な肌をこちらに見せる絹ごしの豆腐のように、どの作品のどのページも同じような速度の時間があり、同じような温度の空気がある。それぞれの小説はきっと見えない地下茎を通じて繋がっているに違いない。


 育ちの良かったカサレスにとって、この世界は憎むべきものでも、振り回されるようなものでもなかったのだろう。その感覚が作品の温度を穏やかなものにしている。彼は作品に飲まれて息を乱すようなことはしない。ミニチュアハウスの調度品を微妙に調整しながら理想の部屋を作るように、何度も推敲・改稿しながら彼は書いたに違いないと想像する。彼の作品は、仮に僕に愛されなくても、作者本人に非常に愛されている。そして、そのことに軽い嫉妬を覚えるのである。


2016/06/18
 『ASCII.jp:ファーウェイの強力SIMフリースマホ「HUAWEI P9/P9lite」をチェック!』


 これはなかなかそそる一台。性能や懐具合などを勘案すると、我がスマホデビューのパートナーとなる麗人は「楽天モバイル: ZenFone Go」でほぼ決まりかと思われたが、ここへきて強力なライバルの御登場と相成った。価格はやや高くなるが、それに見合う以上のスペックがあり、「楽天モバイル: ZenFone Go」で最も気に掛かっていたデザイン面の不満も、こちらの「P9lite」なら感じない。


 両親とも会って婚約までしたのに、ある日さらに理想的な女性とすれ違って心奪われる、きっと誰にでも起こり得る(ねえよ)、そんな人生の一齣にも似て(ないよ)。


2016/06/16
 日がな一日、己が胸に咲いた睡蓮の花を眺めていた。鍵のかかった眺めのいい部屋は天使も踏むのを恐れるという。百年の孤独でも足らず、千年の愉楽でも満たされない。百億の昼と千億の夜を貪り、たどり着いた先は存在と無に侵され、二十日鼠の這い回る荒地であった。どうして、僕はこんなところに? しかし、母よ、嘆くなかれ。影を失くした男でも、罪と罰は贖えるものだ。


2016/06/15
 『友達の数は何人?―ダンバー数とつながりの進化心理学 | ロビン ダンバー, Robin Dunbar, 藤井 留美 | 本 | Amazon.co.jp』


 先日は些か腐したままにしてしまったが、基本的には進化と心理の関係をめぐるトピックを軽快に紹介してくれる好著である。隙間時間に読むにはうってつけの一冊だろう。そして、読んだことを誰かにしたり顔で話したくなるはずだ。


2016/06/10
 空調を消せばたまらなく暑い。付けたら付けたで、機械的な冷風がまだ体にきつい。体感としては我が国の夏は年々凶暴さを増しているように思うが、実際のところどうなのか。


 僕が小学生の頃は、エアコンはまだ一般的なものではなかった。一体、どうしていたのだろう。何故だか、上手く思い出せない。いくら暑いからといって扇風機の風に夜通し直接当たり続けると皮膚呼吸が出来なくてなって危険とか言われていたと思うのだが。布団をはだけ、投げ出した足で首を振る扇風機を追いかけながら、どうにか寝ていたような気がする。


 ヘンリー・ジェイムスの『デイジー・ミラー』では、主人公の女性がローマでマラリアに罹って死んでしまう。ローマってそんなに暑いところなのかなとちょっと驚いたのだけど、これを対岸の火事とは言っていられない日がそこまで来ているのかもしれない。


2016/06/07
 『無限の天才―夭逝の数学者・ラマヌジャン : ロバート カニーゲル : 本 : Amazon.co.jp』


 数学的な才能は遺伝しないと、その昔、何かの本で読んだことがある。何分古い話なので今は否定されているかもしれないが、もし遺伝と無関係なのだとすれば数学の天才がどこに現れるのかを前もって予測することは出来ないことになる。今も世界のどこかに隠れた才能の持ち主がいるかもしれないというわけだ。ペンの代わりに銃を持たされた少年兵にそれは宿っているかもしれないし、女性であるという理由で初等教育すら受けていないかもしれない。


 そう思えば、人類にはまだまだやるべきことがある。長い目で見れば、我々の社会は機会の平等を実現する方向に進展しているはずだと信じたい。


2016/06/06
 『友達の数は何人?―ダンバー数とつながりの進化心理学 | ロビン ダンバー, Robin Dunbar, 藤井 留美 | 本 | Amazon.co.jp』


 もっと痛快な本かと思ったが、意外とそうでもなかった。俗説・通説の類を最新の研究でばったばったと切り倒してもらえると期待していたのだが。時折、それは些か勇み足ではないかと思える進化論的解釈もあり(著者の見解というわけではなく、書内で紹介された若手研究者の意見ではあるが)、これでは何でも性的抑圧に帰す精神分析や、初期の親子関係を重要視する母源病といったものと同じ轍を踏みかねない。


 そもそも、遺伝子の目的が己のコピーを増やすことならば、何故生命のような複雑でコントロールの難しい機構を採用するに至ったのか。もっとダイレクトに増やす方法はいくらでもありそうだが。また、人間に去勢されることで遺伝子的には跡を断たれる家猫や、生涯独身を通す人間の男性も無数にいるわけだが、どうも遺伝子の生き残り戦略だけでは漏れ落ちるものが多すぎる気がしてならない。


2016/06/05
 『無限の天才―夭逝の数学者・ラマヌジャン : ロバート カニーゲル : 本 : Amazon.co.jp』


 本書とは直接関係ない話をひとつ。「π」は無限に続く数列なので、その中には偶然にもシェイクスピアの作品や物理の大統一理論を著した論文と同じものが含まれている可能性がある──そんなことをどこかで読んだ気がする。なるほど、百万桁位あれば、その中に僕の生年月日くらいは時折記されていそうではある。では、例えばクレジットカードや携帯の番号レベルの桁数になればはどうか。


 「314」、この程度なら円周率内に無数に見つかりそうだ。では、「31415」はどうか。「314159265」なら? 何桁までいけば見つからなくなるだろう。些か子供じみた飛躍だが、そもそも、「π」の中に「π」は含まれているのだろうか。何だか、母親の胎内にいる赤ん坊の中に母親がいるような面妖な話ではある。聞きかじり程度で申し訳ないが、無限にも濃度があるという。だとすれば、無限にもちゃんと節度や順番、等級というものがあるのかもしれない。


 無限のランダムな文字列があったとしても、すべての配列可能なパターンを網羅するわけではない。果たして、これは真か偽か。宇宙が膨大な量の星を含んでいたとしても、生命誕生に必要な要件を満たす可能性は宇宙のサイズの増加以上に薄まるが故に、生命は見つからない。果たして、これは真か偽か。靴下を履くように数学を扱える日を夢見て眠ることにする。


2016/05/28
 『豚の戦記 (集英社文庫) | A. ビオイ・カサレス, Adolfo Bioy Casares, 荻内 勝之 | 本 | Amazon.co.jp』


 小説の舞台は一応ブエノスアイレスであるが、『モレルの発明』『脱獄計画』と同様に、架空の閉ざされた空間で主人公が謎や困難を解決していくという意味では、構造的に似た物があるのかもしれない。初めに世界を作り、そこに駒を配置する。その世界の在り方が、駒の動きに強く関与している。


 次第に過激化する若者の実力行使のエピソードも、日常的に現れる「老人」と「若者」の問題のカリカチュアであると同時に、ユダヤ人の家の戸にダビデの星を描いてまわったヒトラーユーゲントたちをも想起させる。また、アビダルは若者の襲来を逃れるために屋根裏に隠れることを家主に勧められる。これも、オランダの屋根裏部屋に潜んで暮らした少女とその一家のことを思い出させる。


2016/05/26
 『豚の戦記 (集英社文庫) | A. ビオイ・カサレス, Adolfo Bioy Casares, 荻内 勝之 | 本 | Amazon.co.jp』


 「だってわたしたちの空腹には特別な理由があるんだもの」(一九〇ページ)。不意に結ばれることになった初老の主人公とうら若き(多分。随分放っておいたので誰が誰だかよく分からない)隣人。ボルヘスはほぼ童貞のような一生を送ったと推察されるが、後輩カサレスはオクタビオ・パスの奥方と懇ろになるなど、隅に置けない男だったようで、こんなセリフも実際に閨房の語らいで誰かに言われたことがあるのかもしれない。


 この作品の何が僕を惹きつけているのかというと、ひとえに主人公ビダルの内省の質である。特段自分に似ているということもないし、凡庸といえば凡庸なのかもしれないが、その分近くにこられても嫌じゃない。これも作者の人となりが転写されていると見るべきか。


2016/05/24
 『豚の戦記 (集英社文庫) | A. ビオイ・カサレス, Adolfo Bioy Casares, 荻内 勝之 | 本 | Amazon.co.jp』


 僕が途中で読むのを止めた小説の主人公たちは、どんな顔をして再開を待っているのだろうか。ビデオテープを一時停止するようにぴたっと静止したままなのか(『モレルの発明』のように)、映画の撮影が中断した時のように思い思いにくつろぎながら愚痴を言い合ったりしているのだろうか。


 もちろん、そんな考えはただの感傷である。怠惰の言い訳にしてもお粗末なものだ。


2016/05/21
 『NHKドキュメンタリー - チンパンジー アイたちが教えてくれた ヒトは想像の翼を広げる』


 どうだろう。「チンパンジーはピュアで、人間は文明に冒されたために穢れてしまった」、そんな一昔前の進歩的人類観(京都大学的?)が若干のバイアスとして作用しているように思えてならなかった。ヒトと彼らを比べるにしても、条件を厳密に絞るための余地がまだ随分とあるのではないだろうか。大型の動物を用いた実験では、細かい条件違いのデータを集めるのは難しいところがあるのだろうけど。


 例えば、チンパンジーが覚えたのは本当に概念としての数字なのか。「順番」と「数字」の違いは何か。また、他の記号であっても同様の結果が得られるのではないか。加算などの計算は可能なのか。漢数字やギリシャ数字も同時に覚えられるのか。人間も同じ時間の訓練を受ければ直感像記憶を強化できるのではないか、などなど。目のないサルの絵の実験についても、ヒトは既に絵や写真に関する膨大な経験を持っているが故に欠損にすぐ気付くのであり、チンパンジーにはそれがないのだから、そう簡単にヒトの子供と比較しても良いのか。


 当たり前のことだが、我々人類は人類以外のものであった経験がない。だから、どうしても我々の理屈から動物の世界を解釈しようとする。しかし、文化人類学が未開とされた文化に対して反省的に見出したように、彼らにも自律的な「野生の思考」があるはずだ。チンパンジーはチンパンジーの生を全うするために高度にチューンナップされた充足体であるに違いない。


2016/05/17
 サブで利用してきた先代の XP 搭載 FMV を、中古の安価な DELL 製 14 インチノートに入れ替えた。 DVD ドライブ非搭載ということもあるが、ボディーは薄型でしゅっとしており、自分もようやく少しばかり未来に来たなという清々しい気持ちになる。


 プリンターとの接続にいろいろ手間取ったものの、何とか印刷できるまでには漕ぎ付けた。 Windows10 へのアップグレードを促すウィンドウが時折出現するものの、ドライバー周りが心配なので保留している。また、「Pasocompass - YouTube」氏が仰られていた通り、ボタン一体型タッチパッドは大変に使いにくい物であった。単純にクリックしたつもりがミスタッチでマウスの移動も発生してしまって、なかなか目的の箇所をジャストミート出来ない。タップでクリックの動作がデフォルトになっているのも半ば嫌がらせとしか思えない。


 困ったことに、ずっと狙っている DELL の 11 インチも一体型なのだ。膝上などで利用する機会もありそうなので、ことさら不安定な状態でのクリックは誤動作頻発の恐れがある。物理ボタン型で同等の形状のモデルはなかなか見当たらない。また、改めて分かったが、常用するマシンにはメモリ 4GB は必須だ。 2GB ではウェブページ一枚開いただけでもうあっぷあっぷな状態になる。


 液晶はデフォルトでは若干眩しかったが、輝度を落とせば問題ない。発色もメインのマウス製 WIN7 ノートに比べたら格段に良い(こいつが大外れだっただけか)。映像の視聴も主な目的なので、これは助かった。


   ***


 『ASCII.jp:楽天モバイル「ZenFone Go」約2万円で取り扱い開始』。この日を待っていた。低価格で、ミドルスペック、バッテリー容量もそれなりに期待できるというなかなかいいバランスを持ったモデルではないかと思う。


 惜しむらくは、カラーヴァリエーションに好みのものが見当たらない。無難に白か、無骨に黒か。ブルーはちょっと。


2016/05/13
 『無限の天才―夭逝の数学者・ラマヌジャン : ロバート カニーゲル : 本 : Amazon.co.jp』


 ラマヌジャン、遂に英国数学会と出会う。高い精神性で多くの文人の心を捉えてきたと同時に、我々からすると度を超えて過酷にも見える厳しい階層社会を合わせ持つ不思議の国インド。イギリスとの関係は、僕如きが三日三晩考えたくらいではビクともしない厚い歴史がある。貧しさとは何か、そして、豊かさとは何か。胃袋付きの宇宙人である人類が向き合う、頭を抱えるしかない問い掛けの一つである。


2016/05/10
 『無限の天才―夭逝の数学者・ラマヌジャン : ロバート カニーゲル : 本 : Amazon.co.jp』


 貧相な人生を送りながらも美しい思想にたどり着くケースもあれば、人生程には思想が美しくはないというケースもあろう。俺の座標はその間のどこにあるのだろう。どこに生まれ、どのように生きるか。そして、人は己に訪れる魂の種類を自らは選ぶことが出来ない。


2016/05/08
 「Litmanen_ 'Dit is echt mijn laatste boek'」。フィンランドの英雄にして、九〇年代のアヤックスを象徴するプレイヤーであるヤリ・リトマネンの自伝が出版されたようだ。翻訳される可能性はかなり低いが、彼が未だに深く愛されていることが分かるのは喜ばしい。


 いろんな選手を買い集めているマンチェスター・ユナイテッドだが、ファン・ハールが本当に欲しいのは輝きに溢れていた頃のクライファートやオーフェルマルス、そしてリトマネンといった面々に違いない。赤地に白く抜かれた美しき背番号「10」。あれから随分と時が過ぎ、何人もの選手が彼以降にそれを背負ったけれども、リトマネンよりもそれが似合う選手を我々は未だ目にしていない。


2016/05/06
 『紀伊國屋書店Kinoppy&光文社古典新訳文庫読書会#17「"言葉の魔術師"ナボコフの魅力を語る」貝澤哉さんを迎えて 紀伊國屋書店新宿本店で5月26日(木)開催 - 光文社古典新訳文庫』。 DVD で出してくれませんかね。


 相変わらずサボりの虫は続いている。「あたかも黄泉の国より蘇りし鴎外がナボコフを嬉々として訳したかのような」と評されるようなものが書ければ本望だが、残念ながらそんな日は来るまい。じっと手を見る。


2016/05/02
 町は白い光に溢れ、「風薫る」というより「アスファルト灼ける」といった風情だ。鏡の中の痩せ蛙にも似た自分に少しだけ驚く。この調子じゃ、帝劇でもう一人の自分を見たなどと言い出しかねない。


 お若いの、古典でも喰らいながら、旨い酒でも如何かな。誰かがそう誘いかける。そこはこの世ではないではありませんか。まだそちらに参るわけにはいきません。俺は答える。まだ怯えておるのか。お前は昔から諦めの悪い子じゃった。いいかね、お前の腰に巻いてあるその荒縄はただの見せ掛けじゃ。引っ張ったところで何にも繋がれてなどおらぬし、誰の手に握られてもおるわけでもない。お主より不幸なものと言ったら、今まで一人として渡った者のいない吊橋くらいなものじゃろう。そんなこととっくに気付いておろうに何をぼやぼやしておる。


 さて、白昼夢はこれくらいでいいだろう。いつまでも油を売ってないで、臍で茶を沸かしたら出発だ。


2016/04/27
 そこがどこだかは分からない。四方を山に囲まれた湖の真ん中を俺は歩いていた。もちろん、そんなことが不可能なことはよく分かっている。そして、それを認めた瞬間から、自分が沈み始めるだろうということも。


 小さく波打っている水面が足の裏に吸い付いては離れ、涼やかな水音が耳をくすぐる。そんな時、山の向こうから木霊のように響く声があった。お前は神を気取っているのか? 俺は答える。いや、違う、与えられた条件の中で最善を尽くしているだけだ。


 返事を待ったが、声はそれきり止んでしまった。声の主は俺を許したのだろうか。とりあえず、今は歩き続けなくてはならない。足を止めたが最後、湖は俺を飲み込んで、その深く冥い腹の底に閉じ込めてしまうだろう。


   ***


 『無限の天才―夭逝の数学者・ラマヌジャン : ロバート カニーゲル : 本 : Amazon.co.jp』


 ラマヌジャン。もうこの響きだけで既に魔法が少し入っている気がしてしまうのは、安っぽいエスニック趣味だろうか。インドの小村から彗星のように現れ、二十世紀の数学界を震撼させた一人の天才数学者の伝記である。残念ながら、部数が希少なためか、簡単に買えるお値段になかなかならない。大判で二段組。片手で持って読むのはちと難しい。


 子供の頃、電卓をお供に美しい法則を持った計算は何かないものかとぱちぱちキーを叩いていたものだった。例えば、数字の「1」から順番に「9」で割っていくと、その答は「0.111…」「0.222…」「0.333…」と規則的なものになる。これは綺麗だと思って進めていくと、「9」で「9」を割った時に期待した「0.999…」ではなく「1」が素っ気無く表示され、肩透かしを食らったような気分になった。この時の我に返る感じを未だに引きずっているような気がする。


2016/04/24
 昨晩、一匹の気ぜわな蝉が窓のすぐそばでジージーと鳴いているのを聞いた。それに応えるかのように、どこかの軒下で風鈴が揺れているようだった。多分それは一年中出しっぱなしになっていて、普段も何彼となく耳にはしているのだろう。


 丸々と太った蚊がふらふらと床の近くを彷徨うのも見た。血を吸うのは、出産を控えた雌だけだという。果たしてこの部屋を抜け出してどこかの水辺に辿り着けるのだろうか。そもそも、あの小さな体のどこに命のサイクルを繋ぐためのコードが仕込んであるのだろう。不思議でならない。


 やがて、夜も更け、雨も落ちてくると、涼やかさに耐え兼ねた僕は暖房のスイッチを入れた。そして、蚊に喰われた頭皮を掻き毟りながら、四月を四月足らしめているものは何だったかということについてしばらく考えていた。


   ***


 『対称性―レーダーマンが語る量子から宇宙まで | レオン・M. レーダーマン, クリストファー・T. ヒル, Leon M. Lederman, Christopher T. Hill, 小林 茂樹 | 本 | Amazon.co.jp』


 ようやく読了した。ここで語られている「対称性」は僕らが日常目にしている「線対称」や「点対称」のみならず、より抽象的で理論的なものも含んでいる。素粒子がいろいろ揃いで表れて分類できたり、元素に周期があったりするようなことだ(多分)。


 少しずつながら知識が補強されてくるにつれ、段々科学にSF小説的な悦楽を求めなくなってきた。それはそれで寂しさもあるが、いつまでもはしゃいでいるばかりではみっともないという思いもある。果たして、僕はこの梯子をどこまで昇れるのだろう。


2016/04/23
 「遺跡に白骨に大絶叫!Steam版トゥームレイダーで遊ぼう【後編】」


 僕の印象では、この手の映像を観ても、導入部のムービーはやたらとリアルなのにもかかわらず、実際のゲーム場面になると人物も背景も急にポリゴンチックなものになってしまってやや興ざめするというようなことが多かったと思う。しかし、その垣根もいよいよ無くなってきたようだ。いずれはそれがゼロになるのだろう。その時、果たして表現がどのような領域へ拓けていくのか。


 それにしても、このクラスの作品を動かすには、どれだけのスペックが必要なのだろう。僕が普段血眼になって探しているような低価格品では門前払いが関の山か。


2016/04/20
 『【編集者のおすすめ】『ダークマターと恐竜絶滅 −新理論で宇宙の謎に迫る』リサ・ランドール著 鍵は新種のダークマター(1/2ページ) - 産経ニュース』


 果たして、ランドールを一躍時の人にした高次元の存在云々という話はどうなったのだろう。確か CERN の実験結果によって証拠が出るとか出ないとかいうことだったと思ったのだが。ヒッグズ粒子に沸くその陰で、もしかして夢破れていった理論の中の一つになってしまったのだろうか?


 前作の『宇宙の扉をノックする | リサ・ランドール, 向山 信治, 塩原 通緒 | 本 | Amazon.co.jp』でも既にリーマンショックに端を発する経済危機やご自身お気に入りの現代美術などの話に脱線しがちで、ちょっと本分が疎かになっている感じもあったのだが。理論物理界のアイドル、もしくは科学系出版界のドル箱でありつづけるためには、このような耳目を引くようなトピックが必要といったところだろうか。


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 『対称性―レーダーマンが語る量子から宇宙まで | レオン・M. レーダーマン, クリストファー・T. ヒル, Leon M. Lederman, Christopher T. Hill, 小林 茂樹 | 本 | Amazon.co.jp』


 前半も決して易しいとは言えなかったが、後半の素粒子の話になると、さしものレーダーマンも鼻息が荒くなるようで、なかなか手強い文章が続いた。素粒子とは即ちエネルギーの一定の塊のことなのだろうか? その量が違うと役割が様々に違ってくる? いや、僕の言うことなど鵜呑みにしないで欲しい。


 この界隈全体が今沸き立っている最中でもあり、この本だけで収まる話題でもない。明日にでも世紀の新発見の報せが世界中を駆け巡るかもしれないのだから。


2016/04/16
 未だに夜になると寒さに震えているというのはどうしたものか。そのせいで眠りが浅くなるのか、日中も何だか少し頭がフワフワしている。当然、読書は進んでいないし、何事も成し遂げてはいない。


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 『Amazonの「全品送料無料の廃止」が意味するもの プライム会員はもう逃げられない? - ITmedia PC USER』


 将来的な年会費の値上げまでは考えていなかった。今回の送料改定のように、それはある日突然やってくるかもしれないのだ。茂みから突然飛び出してくる大虎のように。


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 『Amazon.co.jp: ASUS ノートパソコン EeeBook X205TA-WHITE10 Windows10/11.6インチワイド/ホワイト: パソコン・周辺機器』


 タブレットスタイルを諦めるとすれば、軽量が売りのこのモデルでもいいのかなという気はする。何しろ、安い。ただ、メインメモリの 2GB という値だけはちょっと気に掛かる。


 「Miix」での経験からすると、このメモリでは IE で複数タブを開くのはかなり厳しい。「YouTube」などはスクロールもカクカクしてしまって目的の箇所をクリックすることも覚束ない。「Chrome」ならまだマシだが、タッチパネルとの親和性が今ひとつで、文字列を選択する方法が未だに分からない。


2016/04/11
 春の陽気というより、季節は自分が冬なのか夏なのか迷っていて、コロコロと態度を変えているといった風だ。


 元々春というものが実体としてあるわけではなく、気候があるピークからもう一方のピークへと移り変わっていく時に偶然我々にとって心地よい状態を通過する時期があるに過ぎない。その勾配が急になれば、コンフォートゾーンに留まる期間も短くなる。その意味では、そもそも儚いものなのかもしれない。


2016/04/06
 『Amazon.co.jp、「全商品送料無料」が終了 2000円未満は送料350円に (ITmedia ニュース) - Yahoo!ニュース』


 慣れというものは恐ろしいもので、もう随分長いこと「送料無料」を当たり前のように甘受してきた。よくよく思い起こせば、そうなる前には 1500 円縛りというものがあったわけで、消費税の分がアジャストされた状態でそこに戻ったともいえる。


 全品送料無料の快楽を忘れがたい向きには、「プライム会員」という誘惑が待っている。送料だけではなく、動画や音楽の配信も利用できるようになるので、それなりに割安感はある。さあ、どうする、俺。


2016/04/05
 負け犬の尻尾のように低く垂れ込めた雲。空気も犬の鼻のように湿っている。


 年初の計画によれば、僕は今頃賢治と鴎外の全集をあらかた読み終え、天の川が如き絢爛たる隠喩群と格調高き文体を自家薬籠中のものとすると、「芥川賞」から「三島賞」、「ノーベル賞」に「フューゴー賞」、はたまた「坊ちゃん文学賞」までを総ナメにしているはずだったのだが、そのための時間の多くをパズドラに費やしたがために、創造の神にそっぽを向かれている。


2016/04/03
 『対称性―レーダーマンが語る量子から宇宙まで | レオン・M. レーダーマン, クリストファー・T. ヒル, Leon M. Lederman, Christopher T. Hill, 小林 茂樹 | 本 | Amazon.co.jp』


 またぞろ、雰囲気だけの理解で読み進める状態に陥っているのが情けない。読書には勢いの快楽というものがあり、興が乗ってきた時にはどんどんとページをめくりたくなるものだ。気持ちは高揚してハイになるが、現前の文章に対する理解度は低下する。スティーブン・キング相手ならいざ知らず、科学解説書にはそのように読み方は相応しくない。


2016/03/27
 『豚の戦記 (集英社文庫) | A. ビオイ・カサレス, Adolfo Bioy Casares, 荻内 勝之 | 本 | Amazon.co.jp』


I
 どんな家族の元に生まれてくるかを子供が決められないように、どんな小説に最初に出会うかを読者はコントロールできない。そして、自分がどれだけ不幸な、もしくは幸福な出会いをしているかをしばしば見誤る。悪い目が出た場合、どうでもいいようなことを後生大事に扱い、平凡なものを特別だと思い込む。不幸であればあるほど、その体験から逃れられない。悲しき逆説である。


II
 社会に対する風刺は、時間と共に急速に安っぽくなってしまうものだ。社会が変化するためだと言えば、確かにそうなのだろうが、それだけではないような気がする。つまり、その背景に対象への依存心を隠し持っているため、そこからどんどんと空洞化するのだ。つまるところ、社会を変えたいのなら、手の込んだ皮肉を考えるより、直接行動した方が早いし、尊い。


2016/03/24
 『アップルが小型iPhone「SE」発表、399ドルから | ロイター』


 僕が今使っている『iPod touch』と丁度同サイズになる。購入から一年ちょっと経つが、音楽再生、簡易カメラ、暇潰しのゲームやウェブ閲覧など、それなりに使っている気もするし、端末の都合にこちらが合わせられているという感覚もあり、若干微妙な付き合い方ではある。ボディは美しく、コンパクトで持ち運びには適しているが、この画面サイズにはいささかストレスを感じることもしばし。ただ、こいつに通話機能があれば、この子だけを持ち歩いていれば済むので楽だろうなと思うことは度々あった。


 しかし、そのようなフル活用を始めた場合、今でさえ四苦八苦しているバッテリー問題にさらに振り回されそうで、それなら用途に合わせてデバイスを分けておく方が賢いのではないかと思ったりもする。このあたりは、まだ僕の希望を十分に叶えるものがない。あと何世代かバッテリーの進化を待つ必要がありそうだ。歩行による振動、太陽光、体熱、そこら中を飛び回っている野良電波に気圧変化、これらからエネルギーをかき集めて動くような端末はないものか。


   ***


 ふと思ったこと。ロシアの作家に「プラトーノフ」という人がいるが、この人はギリシャ系なのだろうか。それとも、あの「プラトン」にあやかって一族の誰かがそう名乗り始めたのだろうか。


 そもそも、今でもギリシャには「プラトン」氏や「アリストテレス」一家がいるのだろうか? 僕がギリシャ人の名前に接するのは主にサッカー選手を通してだが、今のところ古代の賢人と同じ名前の代表選手にはお目にかかっていないと思う。ブラジルにソクラテスがいるというのは、また別の話になるだろう。


2016/03/19
 『楽天モバイル:楽天スーパーSALE情報を先行公開!!お得なタイムセール&期間中ずっと半額♪』。随分と豪胆なセールだが、既に発表されている次のモデルがなかなかインパクトがありそうなので、そちらとも迷う。


 その一つが『ZenFone Max (ZC550KL) | スマートフォン | ASUS 日本』。規格外バッテリーを搭載しており、大きく話題になりそうだ。もう八年越しの PHS ユーザーだが、待ち受けだけなら二週間は充電しなくて済む。それに体が慣れ切っているので、バッテリーを始終気にしていなければならないような従来モデルにどうも手が出なかったのだ。


2016/03/17
 昨日の件は、『GoogleChrome起動オプション「--disable-directwrite-for-ui」ができない - hogashi.*』にて解決。感謝、感謝。


2016/03/16
 『Chrome』で標準フォントの指定を行うと、メニューなどの UI のフォントもそれに従ってしまって文字が滲んだりするのだが、起動オプションに「--disable-directwrite-for-ui」を指定すればそれを回避できる…という話だったのだが、昨日からこのオプション込みで起動させると、エラーページばかりが返ってきたり、拡張機能がクラッシュしまくって起動しなかったりとどうにもならない。


 仕方なくオプション無しで起動させているが、当然のこと文字が滲む。いろいろ探っているが、詳しい情報にはまだ当たらない。オプションそのものが無効になったのか、それともまた別の文字列を指定すればいいのか?


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 『対称性―レーダーマンが語る量子から宇宙まで | レオン・M. レーダーマン, クリストファー・T. ヒル, Leon M. Lederman, Christopher T. Hill, 小林 茂樹 | 本 | Amazon.co.jp』


 世間的には「物言う物理学者」というとファインマンということになるのだろうが、いささか彼の語るエピソードは大袈裟で、話を盛ってるような気がしないでもない。個人的にはレーダーマンの諧謔的な文章が好みだ。


 本書でもそれは快調であり、宇宙創世からエネルギー問題までを縦横無尽に語り倒し、知られざる天才女性数学者エミー・ネーターの業績へと読者を誘う。あなたもきっと、彼女を当時の慣例に抗して教授に強く推薦したヒルベルトのことが好きになるに違いない。


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 「Dell ノートパソコン Inspiron 11 2in1 Core i3モデル 17Q11/Windows10/11.6インチ タッチ/4GB/500GB」


 もうずっと長いこと、こいつを買おうかどうかで迷っている。タブレットの弱点であるキーボードを補強しつつ、取り回しの効くモデルが欲しいのだ。


2016/03/12
 相変わらず、読書はサボり気味だ。意欲はまあまあある。面白そうな本も手元にたんまり揃っている。手に入れたいものならそれこそ無数にある。それでも、読まない。寒さだけではない、ちょっとばかり入り組んだ心理機制が働いている。分析するには比較的容易い部類の屈折ではないかと思うが、それもあえてしない。


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 「Youtube - ジュネーブの全景を精密に再現する建築模型」。この企みにボルヘス的情熱が関与しているかどうかは定かではない。担当官が「本当は同寸大のものを作るつもりだったんです。それこそ、模型というものが夢見る究極の対象への愛ではないでしょうか。その模型町には、あなたとそっくりな人も住んでいて、立ち居振る舞いまで瓜二つです。その内、どちらが本物で、どちらが複製だか分からなくなってしまうかもしれませんね。お互いに、相手を作ったのは自分だなんて主張し始めて、それがエスカレートして戦争を始めたり…」などと言い始めやしないかと期待したが。


2016/03/06
 『ようこそ量子 量子コンピュータはなぜ注目されているのか (丸善ライブラリー) | 根本 香絵, 池谷 瑠絵 | 本 | Amazon.co.jp』


 以前に一度さらっと読んで、ちょっと軽すぎるかなと思って蔵書整理の対象になっていたのだけど、著者がとあるラジオ番組にゲスト出演していたのをきっかけに再び読み始めた。実際のところ、僕程度のレベルでは軽いだの重いだのいう資格はない。今まで傲岸不遜に科学を生齧りしてきた反省も含め、雰囲気だけの理解に終わらないように注意しながら読んでいる。冬眠前のリスのように闇雲に頬張ってきた知識を、棚の上で背の高い順に並べていくように。


 また赤っ恥を掻くだけかもしれないが、現時点でも僕の考えを少しばかりまとめてみる。世に「粒子と波の二重性」というけれども、このモデル自体が古典的物質感を前提にしたものであって、多分ミクロの世界をより底の方から規定しているのは「波動」的なあり方で、「粒子」の方が便宜的なものなのではないか。我々の脳は物質をそのようにしか捉えることが出来ないという意味で。


 そんなことを言い出すと、何物にも条件付けられていない真の現実とは何か、そもそもそのようなものはあるのか、我々のいない宇宙は、この宇宙から我々を差し引いたものと等しいのか、そんな昔懐かしい袋小路にはまる。分からない。宇宙の果ての一メートル先には何があるのか。無限とは何なのか。そもそもすべてが無限でなければ、今の我々もありようがない。今があるとすれば、過去があり、それは無限に遡れなければおかしいではないか。始まりがあったとすれば、その始まりを促す別の物がなければ(寝ます)。


2016/03/05
 枕元に置いた読み掛けの本が、いつしか携帯や眼鏡のちょうどいい置き場所になってしまうのを防ぐ方法はないものか。


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 『【映画】ガブリエレ・ムッチーノ、ナボコフの「マグダ」を映画化へ : 見てから読む?映画の原作』


 ナボコフの映画化作品は、これまでにもそれなりに存在する。『ロリータ』は少なくとも二作あるわけだし、『マーシェンカ』『ディフェンス』『キング、クィーンそしてジャック』も映像化されている。しかし、僕はまだ一つも観たことがない。何故と問われると答に窮するが、キューブリック版のドロレス・ヘイズ役の女優がどうも今ひとつピンと来ないので、二の足を長いこと踏み続けているという感じだ。


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 『V.ナボコフの作品における円環構造とシンメトリーにまつわる 形象のパターンについて 殺意』。何やら小難しそうなので、後で読む。リンク先は PDF なので、非力マシンの人は注意(もう、そんな時代でもないか)。


2016/03/04
 「windowsボタンでタッチキーボード表示: イヂリーメモ」。時々スクリーンキーボードを出しっぱなしにしていると困る時があったのだけれど、これで『AutoHotkey』から制御できるようになった。出したい時には「TabTip.exe」を直接叩けば出てくる。


 最初は、スクリーンキーボードの「閉じるボタン」の部分をキャプチャーしておき、「ImageSearch」で探してクリックさせようと思ったのだが、これは上手くいかなかった。何かケアレスミスを犯しているのか、仕様上の問題に関わっているのかは不明。


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 あとがきを読むまで(毎度のこと、本編の箸休めとして先に読んでしまったわけだが)、『昆虫大全―人と虫との奇妙な関係 | メイ・R. ベーレンバウム, May R. Berenbaum, 小西 正泰, 杉田 左斗子, 杉田 勝義, 河崎 洋子 | 本 | Amazon.co.jp』の著者が女性であることに全く気がつかなかった。まさに「虫愛づる姫君」だったわけである(この「虫」は insect のことではないが)。


 著者本人の謝辞には、周囲の愛情に支えられた幸福な感情が溢れており、この楽しい一冊に更なる彩を添えている。僕も少しだけそれをお裾分けしてもらった気がして、気分よく読み終えることが出来た。その意味で、これは幸福な本である。内容がどれだけ高度で高尚でも、不幸な本はいくらでもある。「知性」が「不幸」の補償として、個人の内で育まれるケースは少なくない。


2016/03/03
 先月は一冊も読了した本がなかった。寒さとの戦いに明け暮れたせいもあるが、単純に怠惰に負けたというところもある。無限の図書館に有限の時間と才覚で立ち向かわなければならない、その酷薄な滑稽さよ。


2016/02/23
 『Miix 2 8』では、この『Amazon.co.jp: [F.G.S]ipad air 専用Bluetooth3.0搭載 ワイアレスキーボードケース「日本語取扱説明書つき」: パソコン・周辺機器』とほぼ同型なものを使っているのだが、 US キー配列のため、素のままでは入力しにくい文字が多い。各種鍵括弧や円記号、アンダーバーにバーティカルバーなどだ。これらがささっと打ち込めないと、個人的には作業効率ががたんと落ちることになる。


 そこでこんな AHK を書いてみた。仮に「under.ahk」とする。


      Loop, READ, %A_ScriptDir%\under.txt
      {
         Menu, Under, Add, %A_LoopReadLine%, Under
      }
      
      Menu, Under, Show
      
      ExitApp
      
      Under:
      {
         Clipboard = %A_ThisMenuItem%
      
         Send, ^v
      
         ExitApp
      }


 スクリプトと同じフォルダーに「under.txt」というファイルを作り、そこに一発では入力しづらい文字列をリストアップしておく。適当な方法でこのスクリプトを呼び出すと、ポップアップメニューでそれらが列挙されるので、選択すれば貼り付けられる。『esPst』でも出来ることだけど、あちらはあちらで相当な量のデータを既に放り込んでので、必要な文字列に辿り着くまで少々時間が掛かってしまう。そこでよりベーシックに使うものをこのように分離してみた。


 ストレートにキーの置き換えやショートカット割り当てを利用してもいいのだけど、キーの数がそもそも少ないので、使いやすいキー押下のコンビネーションは重要な操作のために取っておきたい。このスクリプトなら一つの操作でいろいろと入力できるので、ショートカットに空きを残したままでいられる。


2016/02/21
 再び、『昆虫大全―人と虫との奇妙な関係 | メイ・R. ベーレンバウム, May R. Berenbaum, 小西 正泰, 杉田 左斗子, 杉田 勝義, 河崎 洋子 | 本 | Amazon.co.jp』より。


 「もしも昆虫に肩があるといえるならば、肩越しに振り返ることができるのはカマキリだけである。」


 「今日、商業上もっとも重要なクモの糸の用途は、測量機器、測距機、顕微鏡、爆撃照準器などの光学機器の十字線をつくる材料にすることだ。照準器の十字線には米国産クロゴケグモの未成熟期の糸が望ましい。このクモを扱うのは危険がともない、成虫に噛まれると致命傷になりかねないのだが、なかば飼い馴らして糸を収穫している勇敢な人もいる。」


 「昆虫はビタミンとミネラルも豊富に含んでいる(たぶん、医者いらずとは、一日一個のリンゴではなく一日一匹の蛆だろう)」


 「たとえば、ゴキブリがたまたま耳などの孔に住みついては、思いがけない障害を引き起こすのだ。この種の感染は鼓膜に一生残る損傷を与えることもあるし、かなりの精神的外傷を与えるのはいうまでもない。」


 文字に起こすのが手間なのでこれくらいにしているが(『iPod touch』で見開いたページを画像に撮り、パソコンに送って全画面表示させながら、それを見て書き起こしている)、本当は一字一句残らず紹介したいくらいだ。嗚呼、それはあのピエール・メナールの情熱にも似て。


2016/02/15
 『iPod touch』の iOS を最新版にしてからだと思うのだが、ヘッドフォン端子に外部スピーカーを接続すると、「音声コントロール」や「Siri」が起動するようになってしまった。


 多分、スピーカーのケーブルが少しばかり帯電していて、その電気が逆流して何かを刺激し、早合点の touch 氏にホームボタンが押されたと錯覚させているのだろう。音量コントロールつきのイヤホンで同様の症状が出ているという話が検索するといくつか引っ掛かってくるが、同じような機構によるものだと思う。結構煩わしいので、早く修正されてくれないかな。


2016/02/12
 『昆虫大全―人と虫との奇妙な関係 | メイ・R. ベーレンバウム, May R. Berenbaum, 小西 正泰, 杉田 左斗子, 杉田 勝義, 河崎 洋子 | 本 | Amazon.co.jp』から、いくつか引用させていただこう。


 「バッタがヒトと同じくらいの大きさだったら、おそらくヒトと同じくらいしか跳べないというのが真相だろう。その筋肉はバッタがいつも動かしているのよりもはるかに大きな質量や体積を動かさなければならないからである。」


 「アシカの鼻の中に住み、宿主と一緒に水中深く潜ってもわりと乾いたままでいるシラミがいる。」

 「社会性昆虫の利他行動は非常に劇的な形をとることもある──爆発的排便(autothysis)を行うシロアリの兵隊がその例だ。危険に直面すると、これらの兵隊アリは防衛用の分泌物を肛門から噴きだすのだが、その力は非常に大きく、自分の腹部も吹き飛んでしまう。」

 「女王バチは七年間も精子を保存することが知られている。」


 ああ、(形而上的に)愛しき虫たちよ。


2016/02/07
 『昆虫大全―人と虫との奇妙な関係 | メイ・R. ベーレンバウム, May R. Berenbaum, 小西 正泰, 杉田 左斗子, 杉田 勝義, 河崎 洋子 | 本 | Amazon.co.jp』


 ほとんど一行に一つという驚異的なペースで昆虫に関する薀蓄が表れる、驚きと発見の書。著者にとってみれば、僕のような人間の目を丸くすることなど日頃から手馴れたものなのだろう。教養とユーモアに溢れた快活な文章が実に小気味良い。


 ただし、本書で得た虫たちの華麗なる生態話を人前で披露するような機会は滅多になさそうだが。僕にしたって、実際の虫は苦手である。


2016/01/30
 日暮れともに冷たい雨が降り始め、心と体の活性を奪い去っていく。せっかく新しい本に手をつけたばかりだというのに、活字を追うことさえ覚束ない。


 書物はいつまでも待ってくれる。待ってくれないのは、人生の残り時間の方だ。冷たい風、上手く進まなかった会話、海の向こうで起きた戦争の報せなどが、始終僕の手を止めさせる。


 雪とは、魂を宙空に吸い上げるための触媒に他ならない。夜がひと時の鎮魂のような静けさに包まれるのはその為だ。


2016/01/25
 『Amazon.co.jp: 日本語はどういう言語か (講談社学術文庫): 三浦 つとむ: 本』


 ぼやぼやと時間を掛けて読んでしまったので、あまり大きな収穫は得ることができず、少々勿体無いことをした。そもそも、この一冊で言語の何たるかがすべて分かるわけでもないだろうし、その後の研究によって乗り越えられた部分もあるのではないかと思う。恐らく、言語に関する基礎的な研究は脳の機能解明と漸次接近し、いずれは一つにまとまるのではないだろうか。無論、そういったハードなものと「文法」のようなソフトなものの間には何らかのブラックボックスが今後とも存するだろうけれど。


 その論旨とは別のところで、著者の各種の文章表現や時代風俗の解釈に首肯しかねるところが所々にあった。そのあたり、少し自信過剰気味な文章だなという気がした。著者は既存の言語論にいろいろと突っかかっているが、何か大きな価値に対してカウンターを仕掛ける際には、その小気味よさに自らが酔ってしまうということもあるに違いない。


2016/01/17
 『死と分身 : ヴラジーミル・ナボコフの『断頭台への招待』』。こんなページを見つけたが、全編英語でどうやって利用したらよいのかよく分からない。


2016/01/16
 『Amazon.co.jp: 眠れない一族―食人の痕跡と殺人タンパクの謎: ダニエル T.マックス, 柴田 裕之: 本』


 前回はいささか興奮気味の紹介文を書いてしまったけれど、この病と図らずも向かい合うことになってしまった当事者の人達の心痛を思うと、ただ単に知的好奇心だけで済ませていい話でもない。彼らの戦いはまだ続いているのだ。


 もう一つのトピック「狂牛病」に関しては、他にも詳しい書物がいろいろとあるだろう。産官の癒着云々という話はどこかで聞いたような話ではある。それにしても、鳥インフルエンザ、スクラビー、狂牛病、蜂群崩壊症候群などの昨今起きている現象を見ると、過度に産業化した畜産業の歪みが自然の持つ循環力の限界を超えてしまったのではないかと考えてしまう。


 タンパク質の分子構造の畳まれ方の亜種が深刻な症状を引き起こす「プリオン」なる物質の破壊的な振る舞いに、寒さに打ち震える体がなおのこと縮み上がり、春を恋い焦がれる気持ちがますます募る。命、それは熱を運ぶ柔らかな歯車の群れだ。


2016/01/12
 先日、語るまでもないような僕のスターウォーズ体験について書いたのだけれど、その後でまた少し思い出したことがある。家の畳の上に寝転んで劇場公開一作目のパンフレットを眺めながら、作品の世界を一人で反芻していたという記憶だ。当時は、学校から帰っても家には誰もいない日が多かった。だから、そんなことをする時間はいくらでもあったのである。


 パンフには、レイヤ姫がホログラフィックで浮かび上がるシーンが大写しになった写真や、砂漠にロボット二体が佇むスチールなどが掲載されていたと思う。それほど心を持っていかれなかったと思っていたけれど、そんな写真を眺めながら夢想にも似た時間をしばらく過ごした。乱雑な部屋の中(家の中はたいていいつも散らかっていた)、窓から差し込む午後の日差しが、畳の緑やカラーボックスの黄色の上に何に似せるでもないような影絵をいくつも作り出していた。そんな、誰かの帰りを待つ時間の静けさの中で僕は育った。


2016/01/09
 冬将軍の前に連戦連敗で、いささかグロッキーではある。ひとまず、粉末タイプの生姜湯を箱買いして、ささやかながら一太刀を返したつもりになる。


 未だ土に埋もれている土筆の穂先を引っ張れば春が付いてくるんじゃないかと思って探してみるが、見つかるのは象皮のようなアスファルトばかりで。


2016/01/04
 『夢野久作全集〈2〉 (ちくま文庫) | 夢野 久作 | 本 | Amazon.co.jp』


 新聞記者時代の久作の手による東京(江戸)逍遥記と文化論という、全集中でも変り種の一冊。何だか勝手に惚れておいて、勝手に幻滅しているという感じもするのだが、この独り相撲的な構図というのは、もしかしたら何かを過度に愛するということにおける幻想の雛形のようなものかもしれない。


 地方の名士の家に生まれ、高い文化的素養を身につけていた久作。お道化たような文体で誤魔化そうとはしているものの、それでも”魔都”東京への思慕やコンプレックスは隠しきれていない。『ドグラマグラ』の作中に「脳髄のみが考えるに非ず、手や足も自前で思考しているのである」という理論を振りかざす医学博士が登場するが、これを「都市部への一極集中批判だ」と書いている論評があって、初めてそれを目にした時は「さすがに穿ちすぎではなかろうか」と思ったものの、その論者の念頭に本テキストがあったのだとすれば、それも故なしとはしない。


 勝負に強く拘るのは、常に敗者の方である。勝者には忘却する自由さえあるのだ。この不均衡故に、都市は愈々妖しく輝く。


2015/12/31
 『短篇集 死神とのインタヴュー (岩波文庫) | ノサック, Hans Erich Nossack, 神品 芳夫 | 本 | Amazon.co.jp』


 最初の一篇を読んだだけで、しばらくほったらかしにしていた。あまり筆の立つタイプの作家ではなく、どちらかというとジャンル小説(あまり意味が分からずに使っていることは予め白状しておく)的な部類に入るかと思う。つまり、ある「アイデア」があって、それはどう表現されても良いのだが、この場合は偶々小説という形になったというような。


 二番目に収められている中篇「ドロテーア」は、冒頭部がいささかまどろっこしくて投げ出したくなったものの、そこを乗り越えればなかなか得がたいタイプの作品になった。僕らはまず巨大なカテゴリーとして「戦争」というものを捉え、そこから細部に目を凝らしていくことに慣れている。地上に住まう人々一人ひとりに、それぞれの「戦争」があった。空襲の火の手の中で出会った男と女。安手のロマンスを回避するような、微妙な関係の綾。そのエピソードが実際にあったことに材を取っているのかどうかは分からないが、歴史のうねりの中ではそのようなこともありえたには違いないと思わせる。


 作品全体にはもう少し哲学的・神学的ななコーティングがしてあり、それを上手く汲み取れた自信はあまりない。作者のペシミズムや神学観、そういったものが最終的には表現の核になっているかと思われる。果たして小説とは一体何で出来ているのだろう? きっと、男の子よりは複雑な何かだ。それでは、よいお年を。


2015/12/26
 『豚の戦記 (集英社文庫) | A. ビオイ・カサレス, Adolfo Bioy Casares, 荻内 勝之 | 本 | Amazon.co.jp』、経過報告。


 どうにも上手く言えないことなのだが、読み進めるにつれて段々散文を小説として束ねる力が弱まってきた感じがしている。テーマに文体が負けるとでも言おうか。自分でもちゃんと分析できているわけではないのだが。


 多分、この作品の中核にあるのは、作者が常日頃感じている世代間ギャップについての思念である。アルゼンチンではマチズモが重要視されるという。そんな中で、老いた人間、血気の盛んでない柔和で文弱なタイプの人間がどのような圧力に曝されているかということを寓意的に表現しているのだ。それが、この作品の翼の限界にもなっている。


2015/12/23
 『Amazon.co.jp: 賜物〈下〉 (福武文庫): ウラジーミル ナボコフ, Vladimir Nabokov, 大津 栄一郎: 本』


 最後は急ぎ足で通りすぎるように読んでしまった。途中までは割りと入り込むように読めていたのだが、ある折から唐突に賢治や鴎外といった国産ブランドの魅力を”発見”してしまい、そちらに夢中になってしまったことで気持ちが離れた。なるほど、これらは両立しない何事かであるらしい。


 ナボコフ的トピックを追いかけることもあまりなくなっているが、この作品の続編が出版されたという話を某所で読んだ。それは確かに気にはなる(『『賜物』続編騒動 - 訳すのは「私」ブログ』)。


2015/12/19
 『スター・ウォーズ』の劇場公開第一作を映画館でリアルタイムで観たのだから、僕もある程度は自分をスター・ウォーズ世代という資格があるだろうか。しかし、正直に言うと、小学一年かそこいらの僕には少し早すぎた。当時の僕は、流行りの映画や催し物などに母方の伯父によく連れて行ってもらったものだ。冬に吹く乾いた突風で知られた北関東の某市にある映画館。館を出てきたばかりの僕は、独特の色身で描かれた看板を見上げている。いまいち似ていないルークや、クリーム色がかったX型の戦闘機を。商店街の半透明なアーケイドの屋根を透過して降り注ぐ光の綾。期待したほどにははまれなかった肩透かし感や物寂しさのようなもの。いや、それはその町が持っている寂しさが、不意に現れたものだったのかもしれない。


 そんな感じの出会いだったものだから、その後の劇場公開にはさほど律儀にお付き合うすることなく今まで生きてきた。テレビのロードショー番組に降りてきても、熱心には追い掛けなかった。一作目で感じた疎隔の思いにまた出会うのを恐れていたのだろうか。多分、その頃にはストーリーもきちんと追えるようになっていただろうから、そんなに置いてけぼりを食らうことはなかっただろうけど。


 どこかの女郎部屋に売られたレイヤ姫が出てくるのは何作目なのだろう? それをどこかのデパートか何かのキッズルームにあった大きな画面のテレビで観た記憶がある。一人だったような気もするし、友達と一緒だったような気もする。それは途中から見始めたので、終わった後もう一度頭から始まるのを待って、前回観た所までをちゃんと観終えてからそこを離れたような気がする。それは確かに心を持っていかれる体験だったと思うのだが、何故か非常に単発的で、その後の行動に影響を与えていない。あれはどこでの出来事だったのだろう。


 と、ここまで書いてきて不意に思い出した。ハン・ソロが、金属板の中に埋められて宇宙に放り出されるシーン。あれは確かに劇場で観ている。ただし、それ以外を覚えていない。なかなか衝撃的な終わり方だったので、子供心にかなり引きずった覚えがある。暗渠に対して感じるような、圧迫と窒息の恐怖。あれで心を乱されたので、自分を守るためにスター・ウォーズを離れたのだろうか。不思議と、これは誰とどこで観たのかもわからない。


2015/12/14
 『宮沢賢治全集〈1〉 (ちくま文庫) | 宮沢 賢治 | 本 | Amazon.co.jp』


 原典の異稿などにも目配せをした非常に網羅的な全集ではあるが、とりあえず賢治の世界に触れたいという人にはいささか細かすぎる仕様という気もする。美味しいところだけを味わいたい場合は、岩波や新潮の版を利用する方がよいかもしれない。


 巨大な仏心のような詩の世界を残した彼が何故それを必要としたのか、その人間的な苦闘の軌跡を読んでいる、そんな風に感じている。天才賢治もまた人の子であった。峻厳たる自然と、科学的な語彙がそこはかとなく醸すユートピア的空気。それらが何の温度差もなく並べられている。


   ***


 『Amazon.co.jp: 眠れない一族―食人の痕跡と殺人タンパクの謎: ダニエル T.マックス, 柴田 裕之: 本』


 僕も長いことネット古書店を漁ってきたが、本書の「値崩れのなさ」は一級品である。その理由は読めば分かる。ダントツに面白いのだ。


 イタリアのとある一族に受け継がれてきた特異な不眠症や、パプアニューギニアの「未開」部族を襲った震顫を伴う奇病。これらが「タンパク質」の異常から起きていたことが判明するまでを追ったミステリー顔負けのノンフィクション。著者はこの題材と出会えて手応えや使命感を感じたに違いない。その天命の力強さが文章から溢れている。


2015/11/25
 「読む」ことの純粋性について考えていた。例えば、素粒子の構造や宇宙の起原をめぐる諸説などは、書籍でも得ることができるし、科学ドキュメンタリー番組でも知ることができる。知りたいことに対してのアプローチ方法は何であっても構わないし、より効率的なものがあればそれに越したことはない。


 では、鴎外や賢治を読むことは他の何かで代替出来るかというと、僕の私見ではそれは無理である。もちろん、小説が映像化されるということは往々にしてある。もし、それでも伝えるべきことが伝えられるならば、それはそもそもその内容に対して小説という形式がかりそめのものに他ならなかったということではないか。


 つまり、それが小説として自律しているのならば、それは言葉そのものに確かな意匠が施されていなければならない。それを実際に「読む」ことでしか引き出されない何かを持っていなければ。僕がどんどん古い作品に心を惹かれつつあるのも、現在書かれている言葉にそれを満たすものがなかなか見当たらないからなのである。


2015/11/21
 『豚の戦記 (集英社文庫) | A. ビオイ・カサレス, Adolfo Bioy Casares, 荻内 勝之 | 本 | Amazon.co.jp』、着手。


 ボルヘスを木星とすれば、カサレスは衛星エウロパといったところだろうか。大きさでは適うべくもないが、見る人によっては非常に興味深い対象だ。これまで彼の長編を二作読んだが、どちらかというと理知的な雰囲気で、作品そのものがひとつの暗号のようだった。本書は後期の作品ということもあるのか、隠喩なども手が込んだものになっている。それは、あたかも長い歳月が岸壁を削って入り組んだ海岸線を作るように、年季を重ねて辿り着いた文体であるように思えた。


2015/11/16
 『山椒大夫・高瀬舟 他四編 (岩波文庫 緑 5-7) | 森 鴎外 | 本 | Amazon.co.jp』


 誰しも、古いものは素朴で単純であると、基本的には思いがちなところがあろうかと思う。携帯電話やパソコンのように、だ。しかし、こと言葉の世界に関していうと、必ずしもそうとは言えないところがある。むしろ、最初にゴツゴツした塊があって、現代化とはそれらを扱いうるサイズまで解きほぐす作業である、そんな風に感じる場面も多い。。


 「山椒大夫」。もちろん、タイトルは知っていたが、特に何の前知識もなかった。古い説話のような、教訓話のようなものだろうとぼんやりと思っていたが、全く違っていた。内容としては、なかなか非情で怖い話でもある。冒頭からして、主人公たちの境遇の危うさにハラハラし通しであった。直接そのようなことが書かれているわけではないが、セクシャルな危なさを存分に匂わせている。


 しばらく前、連城三紀彦氏の文章にメロメロになった旨を報告させていただいたけれども、それとてある意味では「フェイク」である。本当に練達な文章は、古の文豪がとっくに書き終えており、我々は彼らの敷いた砂利道の上を歩いているに過ぎない。古いものほど複雑になる、小説にはそんな不思議な側面がある。今の僕はその複雑さを求めてやまない。


2015/11/12
 『Amazon.co.jp: 最初の刑事: ウィッチャー警部とロード・ヒル・ハウス殺人事件: ケイト・サマースケイル, Kate Summerscale, 日暮 雅通: 本』


 十九世紀の英国で起きた幼児殺害事件。当然、大衆紙で大きく取り上げられる格好になり、それによって多くの「素人探偵たち」が得意満面で自説を投書してくるようになった。多分、箸にも棒にも掛からないものがほとんどであったとは思うが、本書で引用されているものはそれなりにミステリーの定石程度は押えているなという水準にある。そのような「大衆」の存在が、ジャーナリズムやセンセーショナリズム、引いては「ミステリー」などの娯楽小説市場を生み出す礎となったのだろう。


 ディケンズやコリンズの『月長石』の引用が多く、意外とドイルのものはなかった(時代的にこれより少し遅れて登場するということもあるだろう)。ディケンズは未読だが、それなりに知っている感じがしてしまうのは、何かと引用される機会が多く、それが長文になるケースが多いからかもしれない。当時のロンドンの清濁併せ呑む坩堝都市的な雰囲気を余すところなく転写したような、栄養過多な大衆性のようなものをいつも感じる。プラグマティックで、力強い。


 自分自身もそうだが、大衆社会というものの中で様々な消費財と戯れながら、何とか自分は少し特別であると思ったり、幻想の消滅を先延ばしにしたりて何とか生きながらえている。だとすれば、「死」に抗える唯一の方法は「夢中」であり続けることではないのか。例えば、本書を読んでいる時の僕がそうであったように。


2015/10/30
 『Amazon.co.jp: 僕らは星のかけら 原子をつくった魔法の炉を探して (ソフトバンク文庫): マーカス・チャウン, 糸川 洋: 本』


 本書を読むまで、ホイルによる「重い元素は恒星が起源」説をちょっと眉唾っぽいと思っていたことを告白せねばならない。星の爆発だけではいささか悠長すぎるのではないかと感じていたのだ。


 しかし、今ではすっかりホイル信者となった。この理論は実に美しい。同心円状に様々な元素の殻が出来るところなど、見事という他はない。


   ***


 『量子革命―アインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の激突 | マンジット クマール, Manjit Kumar, 青木 薫 | 本 | Amazon.co.jp』


 この手の本は巷にいくらでも溢れており、記述も実際被っていることが多いのだが、あれこれ手を出してきた経験からすると、本書は啓蒙書としても科学史的読み物としても水準の高い仕上がりになっていると思うので、ちょっと値は張るがその分の満足感も得られるものと思う。


2015/10/27
 『Amazon.co.jp: 猫たちの隠された生活: エリザベス・マーシャル トーマス, Elizabeth Marshall Thomas, 木村 博江: 本』


 「人間」と「自然」とを考える時、どうしても上手く解きほぐせない糸玉のような絡まった部分に出会うことになる。この星に生きるものとして他の生き物を尊ぶということと、その命を奪って食いつなぐということの間に、なるべくなら直視せずに済ませたいような隙間がある(深淵を覗き込んだものはまた、深淵に覗き込まれる)。


 本書はそのような問い掛けに答える類の本ではないが、我々が今過剰に愛してやまない偶像となっている猫という動物について、彼らのより本質的な特性からその行動様式を明らかにしてくれる。著者の筆には慈愛が溢れており、それは慎み深く、かつ敬意をもって動物たちを捉え、対して我々人間には自省を促す。大型種の猫たちについてもっともっと知りたくなる。


2015/10/16
 『Amazon.co.jp: 僕らは星のかけら 原子をつくった魔法の炉を探して (ソフトバンク文庫): マーカス・チャウン, 糸川 洋: 本』


 科学者たちが如何に原子を発見し、それが宇宙でどのように生まれてきたかを解明するまでをロマンチックにたどる傑作科学啓蒙書。


 いいかげん科学にロマンチックなものを求めるのはやめにして、少しはハードな側面も理解しなければいけないとは常々思ってはいるのだが、そこは素人の悲しさで、歯が立たないものには歯が立たない。本書のような噛んで含めるタイプのものを読み、その高揚感を伝えることくらいが関の山だ。それもまた、巡りめぐって科学への間接的なフィードバックになってくれたなら、それこそ望外の幸せというものだが。


   ***


 『Amazon.co.jp: マヨラナ―消えた天才物理学者を追う: ジョアオ・マゲイジョ, 塩原 通緒: 本』


 マヨナラの問題の一つに、チューリングをも悩ませたセクシャルな志向の問題があったのではないかと彼の甥が証言している。


 なるほど、チューリングとマヨナラ、時代はずれているが、何となく共通する空気というものは感じられなくもない。破天荒な天才振りとそれと裏腹の社会性の欠如。人生の最後(マヨナラの最後がどこにあるのかは未だ不明だが)が灰色に染められてしまったことなど。


2015/10/15
 『Amazon.co.jp: 超人類へ! バイオとサイボーグ技術がひらく衝撃の近未来社会: ラメズ・ナム, 西尾 香苗: 本』


 こんなことを考える。つまり、人類の次なる一手は「更なるテクノロジーの探求」によって成し遂げられるべきなのか、「自制による消費コントロール」によって延命を図るタイプのものになるのか。あまりに進歩したテクノロジーは、破壊的な側面を露わにしつつある。これをどちらのやり方で乗り越えるべきなのか?


 楽観的に考えれば、人類は常にイノヴェーションによってこれまでも数々の問題を解決してきたのだから、それに賭けるべきであるとも言えるし、もうそのレベルを超えたところまできてしまったのだから、知性によってスマートなコントロールを見つけ出し、限りある資源を有効に使うべきだともいえる。


 僕としては、人間の本質として「我慢は長続きしない」と思っているので、後者はいずれ立ち行かなくなる気がする。ストレスは命を磨り減らす。これは、生命の論理に真っ向から反している。欲望をコントロールするにしても、抑えつけるのではなく、そのどこかに楽しさやポジティブな要素がないと結局気持ちが暗くなってしまい、世界はどんどん息苦しくなるだけなのではないか。


 光あるところにまた陰も生まれる。そのことは既に分かっているのだから、なるべく広い面積が明るくなるような光の当て方を探さなくてはならない。いざ立て、人類よ。


2015/10/12
 『Amazon.co.jp: 賜物〈下〉 (福武文庫): ウラジーミル ナボコフ, Vladimir Nabokov, 大津 栄一郎: 本』


 ふとしたきっかけで、五年ほど前に自分がとあるところにポストした文章を目にした。それがあまりにも糞だったので(ご勘弁を)驚いた。当人は自信満々で書いていたというのに。当時、結構いいこと書いてるのにカウンターがちっとも回らないなどと思っていたが、とんでもない。正直、何を言っているのかがさっぱり分からない。あんなものを書いていたのでは、客足が遠のいて当然だ。


 その時その時は、懸命に持てるものすべてで戦っているつもりである。だから、達成感もあるし、自分が何物かであると思いたい気持ちもある。しかし、それが罠なのだ。己による己への判断。つまるところ、根拠がない。自分だけを鏡で見ていれば、何とも比較されない。甘い判断が麻薬のように体中を巡るばかりで。


 今ここでこうして書いていることも、ある程度の水準には達しているものと勝手に判断しているが、それさえも数年後にはどうなることやら。まるで、成虫になって威勢よく木の幹で鳴いているつもりでいるが、実はただそれを夢で見ているだけの蝉の幼虫。その身はまだ冷たい土の中にあって、メス蝉の甘いフェロモンも知らぬまま。


 いやはや、浜の真砂が尽きるとも、折られる鼻には事欠かぬ。精進、精進、また精進。


2015/10/07
 『Amazon.co.jp: マヨラナ―消えた天才物理学者を追う: ジョアオ・マゲイジョ, 塩原 通緒: 本』


 一九三八年、死を決意したとも思われる一人の男が船に乗り込んだ。一時は思いとどまったようにも思われた。しかし、彼は家にも研究所にも戻ることはなく、そのまま消息を絶つ。ノーベル賞も確実だといわれるほどの稀代の天才物理学者だった。そして、後にはただニュートリノに関する重要な予測が残されたのである。


 淡々と事実を追っていくタイプの伝記もあるし(ディラックのそれはそちらに近かった)、本書のように書き手の思い入れを軸に展開していくタイプの伝記もある。そもそも、きっかけが無ければ何かを「書く」ということはない。評伝の世界においては、月は観測されるまでは存在しないというわけだ。作者は若々しい筆でキャンバスいっぱいの大きな満月を描こうとしている。


 これはたまたまの偶然に過ぎないが、この本を本棚から引っ張り出した直後に、ニュートリノに関しての重要な研究に対してある日本人にノーベル物理学賞が与えられた。こうしてキーボードを叩いている間にも、太陽から届いた無数のニュートリノが僕の中を音もなく通過しているという。実に不思議な話だが、マヨナラの人生もそれに呼応するかのように不可思議なものだ。スリリングな書き出しに期待は高まる。


2015/10/05
 『Amazon.co.jp: 超人類へ! バイオとサイボーグ技術がひらく衝撃の近未来社会: ラメズ・ナム, 西尾 香苗: 本』


 遺伝子治療などの高度なテクノロジーがこの先さらに発展していった場合、どのようなことが可能になるかを比較的肯定的な立場から概観した一冊。


 この手の未来予測物は今までにもいくつか読んできたが、どちらかというとSFやファンタジーの世界にちょっと入り込んでいるようなところもあって、その途方もないスケール感にロマンチックな未来像を重ね合わせる悦楽感で読ませるようなところがあった。それに比べると、本書は二〇〇五年に出版ということもあってか、大分地に足の付いた筆致になっていて、実現可能なところからそれほど遠く離れてはいない。


 著者はインターネット・エクスプローラーの開発に携わった一人だそうで、その点に関しては飲み屋で酒でも酌み交わしながらいろいろいちゃもんをつけたいことが山のようにあるのだが、そのことはさておき、遺伝子やナノのレベルにまで降りていけるようになった我々にはどのような未来が待ち受けているのか。携帯電話の爆発的普及やグーグルの存在をかつてのSF黄金期の作家たちは予測できなかった。恐らく、それと同じくらいのスケールで事態は我々の想像を裏切っていくに違いない。


 果たして、僕の目の黒いうちに本書で取り上げられたようなトピックがどれくらい進歩して実現するのだろうか。是非とも長生きして事の行く末を見届けたいのだが、ハンバーガーとカウチポテトに明け暮れた我と我が身を思うと、その点は些か心許ないと言わざるを得ないのである。


2015/10/01
 『レオン・ブロウ ― 薄気味わるい話 (バベルの図書館 13) | レオン・マリー・ブロア, ホルヘ・ルイス・ボルヘス, 田辺 保 | 本-通販 | Amazon.co.jp』


 カフカ、ジェイムス、ウェルズにチェスタトンといった錚々たるメンバーが名を連ねるこのシリーズにあって、やや格の落ちる感がしないでもなかった。確かに「タイトルに偽りなし」で、下品さや露悪、価値観の転倒といった要素には満ちている。しかし、いまいち作り込みが緩いというか、十九世紀的な粗雑さというか、プロダクツとして精錬されていないように僕の目には映った。その荒削りなところがまたこの作家を特徴付けているといえば、そうなのだろうけど。


 ある社会的な通念なり常識なりが先行してあり、それに逆らうことで表現を立たせるというやり方がある。ブロワはそのような位置にいる。ただ、それが前面に出すぎているので、頭から逆立ちした状態で始まり、そのまま最後まで逆立ちを続けているといった書き方になる。読者にとっては、どんでん返しであるとか、異化作用といったものに乏しくなる。


 そのような技巧に走ったところで作品の質が高まるという保証もないし、これはこれでいいのかもしれない。こうしてその不恰好さがまだ心の内に引っ掛かっているということ自体が、僕とブロワの戦いでブロワが勝利したことを証明しているのかもしれないのだから。


2015/09/24
 『利己的なサル、他人を思いやるサル―モラルはなぜ生まれたのか | フランス ドゥ・ヴァール, Frans De Waal, 西田 利貞, 藤井 留美 | 本 | Amazon.co.jp』


 こうしていつしかサル、および動物や自然全般に興味を抱くようになるというのが、好奇心が辿る遍歴の必然なのだろうか。読み物としても、気楽な薀蓄の宝庫であり、いくらでも探検していられる。これもまた、ビギナーの気楽さの段階といえばそうなのかもしれない。より正確に知ろうとすれば、物理的な困難を伴うに違いない。現実のサルに会えば、引っ掛かれたり、石を投げられたりもすることだろう。書物なら安全というわけである。


 一読して思うのは、著者の「人間好き」の深度である。人好きで、よってその集団である社会のことも信頼していて、その肯定力がサルの世界を眺める視点にも滲み出している。目に映るものを「無慈悲な自然」というのか、「母なる自然」というのかは、現象をどう受け止めるかという心根の問題になってくる。ドーキンスには我々は遺伝子を運ぶための道具に見えるし、グールドにはもう少し温かみのあるものに見えているのだろう。端的にいえば、それはほぼ育ちの問題ではないかと思う。


 ドゥ・ヴァールは恐らく幸福な幼年期を過ごした人間で、本書はそのお裾分けのような温もりに満ちている。個人的にはややその人間主義的な味が濃すぎる気はする。サルたちの行動について、もっと別のより即物的な解釈も成り立つのではないかという思いがちらちらとちらつくのだ。それは、僕があまり人間というやつを信頼できていないという悲しい証拠なのかもしれない。


2015/09/23
 『自己組織化と進化の論理―宇宙を貫く複雑系の法則 | スチュアート カウフマン, Stuart Kauffman, 米沢 富美子 | 本 | Amazon.co.jp』


 持てる知識を総動員し、生命の誕生から人類の経済活動までを一枚の大きな絵の中に描き込まんとする野心的な一冊。いささか消極的な理論である進化論の対極に、ポジティブな「自己組織化」を据えることで、生命史の巨大な馬車を動かそうとしている。


 確かに、進化論は「首が伸びる」とか、「くちばしが変化する」といった枝葉末節的な形態の変遷を説明できる。しかし、そもそもそこにある「生命」という幹の部分については何も語っていない。「鳥のくちばし」どころか、御本尊であるところの「鳥」自体が途方もない謎の存在なのだ。そのあまりにも精緻にできた創造物は一体何を基礎にして生じてきたのか。


 本書はもちろん科学がベースになっているが、その口ぶりの熱っぽさはまさに新たな時代の神話を生み出そうとするが如きである。似たような表現が繰り返し用いられ、それを太古の太鼓のリズム代わりにして、読者は忘我の境地へと導かれるなどと言ったらいささか大袈裟か。読み手にも広範な知識の総動員が求められ、めくるめく知の曼荼羅の中へと放り込まれる。その幻惑の向こうに、複雑系が描く広大な風景が見えることだろう。


2015/09/16
 『Amazon.co.jp: 精神疾患は脳の病気か?―向精神薬の科学と虚構: エリオット S.ヴァレンスタイン, 功刀 浩, 中塚 公子: 本』


 本書が出版されてからそれなりの時間が経っているので、もしかしたらいろいろ解明が進んだことがあるのかもしれないが、本書によればセロトニンやドーパミンといった脳内物質のバランスの崩れが精神障害の原因であるという確たる証拠はないということだそうだ。


 そのような脳内物質説は非常に通りのいい理屈なので、僕もつい口にしてしまいがちなのだが、検証的な対照実験では裏付けが取れていないそうである。欠乏している人もいるが、そうでもない人もいるということらしい。よくよく考えれば、脳というやつの半端じゃない複雑さを思えば、そんな単純な話で片がつくはずもないではないか。


 科学的なリタラシーを持つことはもちろん大切だと思うが、それ自体が非常に複雑で知的な負荷が高く、正直ストレスに感じることもある。それなら、何か一つのものを悪玉に仕立ててどーんとぶち上げてくれた方が楽じゃないかという誘惑が、むくりと頭をもたげもするのだ。いやはや、情けない話。


 巻末の監訳者(「功刀」と書いて「くぬぎ」と読むのだそうだ)によるあとがきには、余興話として、今まさにこの問題と戦っている現場の人間と薬師如来様との架空対話が収められている。そんなちょっとしたユーモアに、本書の専門性の高さにコチコチになってしまった心をほぐされ、気分よく読み終えることが出来た(それで済ませていいような内容でもないが)。


2015/09/12
 『戻り川心中 (光文社文庫) | 連城 三紀彦 | 本-通販 | Amazon.co.jp』


 先日はいささか舞い上がりすぎたので、少し意地悪なことも書いておくことにしよう。この文庫には五編が収められているが、最初の二篇でおおよそのテイストを読者はつかむことになる。ここまでくれば、既に連城節にメロメロになっているはずだ。そこからさらにグレードの高い作品を期待すると、後ろの三篇はやや技巧とミステリー的構成の融合感に乏しいと思えてしまう。これは贅沢な読み方である。


 表題作である「戻り川心中」は最後の一篇だが、本物より本物らしい文芸批評・伝記のパロディにもなっている。作品の中で架空の「天才作家」や「伝説の作品」を扱うことは書き手にとってリスクのあることだろう。それらがそれっぽく見えなければ成立しない。書き手のセンスや練達度が問われる案件だ。上手く遠巻きにすることでそのものズバリを描かないというやり方もあるが、本作ではきっちりそこまで書き込んである。これは素晴らしい挑戦であり、十分に成功している。


 「白蓮の寺」は幻惑的なイメージが多数ひしめきあっているが、それ故に風呂敷を畳みきれていない感が残されなくもない。似たような事件が二つ描かれており、書き手は当然自分が書いているのだから整理できるけれども、読者は初めてそれに触れるのだから上手く処理出来ないという、ミステリー(もしくは書くこと一般)にありがちな陥穽か。


 巻末の解説がまた奮っている。作者に中てられたのか、元々そういう文体の持ち主なのかは分からないが、作品に負けじと化粧を施した文体で迫る。どんな文章にも感染力があるというのが僕の持論だが、ポジティブな化学反応を起こすものはそれほど多くない。連城三紀彦には読み手を自分色に染め上げる迫力がある。今僕が書いているこの文章が、そもそもそのような結果として生れているのだ。


 さて、重箱の隅もいろいろと突いたが、その世界に囚われたが故に起こる不満であることは言うまでもない。こんなに夢中になって何かを読むこと自体が久しくなかったのだから、これは幸福なことである。


2015/09/09
 『戻り川心中 (光文社文庫) | 連城 三紀彦 | 本-通販 | Amazon.co.jp』


 名作の誉れの高いことは、昔から知ってはいた。しかし、何となく手に取りそびれてきたのにはそれなりの理由がある。要するに、ミステリーを読み始めた頃の晩生な僕にはいささか艶かしい気がし、ある程度年を食ってからはミステリーの範疇にあるものとして遠ざけてしまっていたのである。こうして、長いこと目の端に留めつつも、具体的な出会いの場面を持つことなくここまで過ごしてきた。


 今回こうして手に取ってみたのは、『Amazon.co.jp』で電子書籍版のサンプルを読むことが出来たからだ。今までも読みそびれてきた有名作をいくつか電子版で試し読みしてきたものの、これといって興を引かれる物がなかった。やはり、文章の水準で躓いてしまうことが多かった。そんなことが何度か続くと、もうミステリーとは縁がないのかもしれないなと思って、ますますその界隈へのアンテナを低くしてしまう。


 美しい文章とは何か。より短い文章で複雑な情報や情緒を伝達するということ。アルゴリズム、隠喩、レトリック。しばらく科学の世界に素人の気楽さで遊んだあと、もう一度そんなことを考え始めるようになった。連城三紀彦の名前を再び捕らえたのはちょうどそんな時で、その擬古調の鮮やかさに瞬く間に虜になってしまった。長いこと探していたものがそこにあった、そんな気がしたのだ。


 ページを閉じた時、濃密な花の薫りがぱっと立ち昇り、思わずむせ返ってしまったのは本書が見せた幻だったのだろうか。そのくらいの素晴らしい出来栄えである。表紙絵で少し損をしている気がするが、その特異で妖しい、仄暗き作中世界を知ってしまえばそんなことはどうでもよくなる。


2015/09/08
 世間はきっと、『CLCL』の突然のヴァージョンアップ情報に上へ下への大騒ぎかと思われます。クリボ履歴界のデファクトスタンダードでもあり、波及効果は甚大となることが想定されますので、しばらくは日経平均や為替の動向に注意が必要でしょう。


2015/08/31
 書を読むことの楽しみはどこにあるのか。カップに落とした角砂糖がコーヒーに溶けていくように、追った文字が己の中に溶けていき、微細な浸透圧の変化が小波となって全身に行き渡る時の微かな恍惚。僕は常に僕を追い越しているのだ。例え、そうは見えない時でも。


2015/08/29
 『Amazon.co.jp: はかない人生 (集英社文庫): オネッティ, Juan Carlos Onetti, 鼓 直: 本』


 本作の基層は、主人公の濃密な内面的韜晦である。彼は、何かと上手くいっていない現実の生活や人間関係にいささか表面的に対処しながら、その背後で膨大な独白を生産している。そのような「断層」が、この小説にはいろんなレベルで走っている気がする。


 不幸がその断層を生み出しているのか、それとも断層があるが故に不幸を呼び寄せているのか。主人公は何故、病後の回復に励む妻から心理的圧迫を受けているのか。幸福だった日々もあったようなのだが、世の常として愛が磨り減ったのか、いつしかそれも幻と気がついたのか、仔細には触れられていない。ただ、話の冒頭から濃度の高すぎる酸素のように息苦しい心理が、稠密な文体と共に読み手に間断なく送り込まれてくる。


 文章の中にいくつかのヒントを探すとすれば、主人公は何らかの理由で己の出自に辟易し、自らがどうしようもない方向へ流されていくのはその血の故であると述懐する箇所がある。その感覚は、個人的には分からないでもない。本当は幸せになりたかったのだが、何かが足りない。そのような人間が、膿みのように溜まっていく内面の地獄を吐き出す作業に、近代は「小説」というラベルを貼ったのではなかったか。


2015/08/26
 『Amazon.co.jp: 精神疾患は脳の病気か?―向精神薬の科学と虚構: エリオット S.ヴァレンスタイン, 功刀 浩, 中塚 公子: 本』


 未だ解明が進んでいないにもかかわらず、脳内物質のバランスと精神疾患の関係が喧伝されてしまうのは何故か。


 「Aの原因はBである可能性がある」という情報の方が、「Aの原因はBである」という情報よりも、留保的である分いくらか複雑である。人間の思考の生理として、単純化や最適化の圧力が働くとしたら、前者が後者に自然と丸められてしまう。その結果、未だ不確定であるはずの情報が、何回かの伝達過程を経ると、いつしか確定済みのように扱われるようになるということがあるかもしれない。

 「留保」は軽微な緊張を精神に強いるが、「確定」ならばそれを解決済みとして解放できる。それがある種の「快感原則」として働けば、付随的な情報がじわじわとふるい落とされ、骨子だけが残されるということもあるだろう(要するに、未定の情報は扱いが面倒臭いのだ)。


 雑多な情報をまとめてコンパクトにしていくという能力は人間にとって大変に大事なものだったはずである。無数の計算式を一行の定理にし、様々な人生から得られた教訓を的確な警句にまとめ上げてきた。これは強力な性向であると思う。そうであるが故に、時に注意深くならなければならない。


2015/08/18
 『Amazon.co.jp: はかない人生 (集英社文庫): オネッティ, Juan Carlos Onetti, 鼓 直: 本』


 オネッティの特徴的な文体について。例えば、隠喩を一文の中に二回用いる。「それは、***のような、もしくは***のような、***であった」といったように。読み手としては、一回目の隠喩で習慣的に一旦息を付こうとするのだが、まだ文章が続いていて慌ててそれに付いていくという恰好になり、呼吸が乱され、軽微な違和感を薄っすらと覚えたまま読み進めることになる。


 この落ち着かなさは主人公の独白における当てのない彷徨を下支えしている。そして、それが作者自身の世界の感受の仕方の複写にもなっているのだろう。過剰な隠喩は文章が脂っこくなりそうなものだが、基本的にはドライなものである。イメージを豊かにするためというより、何かを焚きつけるためにそれは二度繰り返されているという気がする。


2015/08/14
 『Amazon.co.jp: はかない人生 (集英社文庫): オネッティ, Juan Carlos Onetti, 鼓 直: 本』


 車は長いトンネルの中をもう大分長いこと走っている。何秒か置きに窓の外をナトリウムランプの灯りが素早く通り過ぎる。二人は黙っているが、何も言いたくないわけではない。路面に刻まれた規則的な凹凸が、時折軽く車体を突き上げる。二人は黙っているが、何も言いたくないわけではない。


 この小説は、そんな重苦しい雰囲気を丁寧に持続させており、奇を衒ったところがあるわけではないが、特徴的で稠密な文体を持っている。それがおそらくこの作家が長い時間をかけて手に入れた宝玉なのであり、多分作家というものはそれを手に入れるために否応なく書き続ける他はない生き物なのであって、テーマとか内容とかに頭を使っている内は、きっとまだ何者でもないのだ。


 正直、科学系の読み物をいくら消費しても血肉となる部分があまりに少ないので、そんな自分が嫌になってきた。「小説」は、出戻った僕をもう一度温かく迎え入れてくれるだろうか? そんなことを思いながら読んでいる。


2015/07/31
 『Amazon.co.jp: 日本の歴史をよみなおす (全) (ちくま学芸文庫): 網野 善彦: 本』


 「歴史」とは何だろう? 最近、イスラムとヨーロッパの間のいざこざに関する歴史の本を何冊か読んだ。もちろん、何年にどこで誰が何をしたかということは、タイムラインの把握に重要ではある。しかし、そのことだけで「現実」が丸められてしまうのも、いささか物を見る目としては粗すぎるという気もする。つまり、「現実」が「物語」になってしまうというような。それが行き過ぎれば、「現実」から遊離してしまうこともあるに違いない。


 本書はそのような年表型の歴史把握とは随分と趣が異なる。そこで生きた人たちが世界をどのように感受していたか、それを内側から把握しようとしている。もちろん、それにしたって想像の域を出ないのではという考え方もあるだろう。それでも、僕はこのような「歴史」なら、事実の羅列しただけのものよりもずっと深く愛せるという気がする。残念なことは、話がどうしてもややこしくなり、なかなか確定的な答を出すのが難しそうだというところか。しかし、過去とは本来そのようにしか掴み得ないものである。


 ある合戦の日の朝、夜明けとともに漂った朝靄の香りを、目覚めと共に歩兵たちは嗅いだことだろう。鳥たちはこれから何が起こるかも知らずにいつも通り囀っただろう。誰かが朝餉を準備を始め、宿営地のそちこちで湯気が立ったかもしれない。そういったことは「歴史書」には載らないことだ。しかし、現実はそのようなことを果汁のようにたんまりと含んでいるはずなのだ。


 「過去」を理解しようとすると、今の我々が持っている感覚をそのまま延長してしまいがちだ。「携帯電話がなくて不便だったろうに」などと言ってしまいたくなる。しかし、その時にはその時の最新のテクノロジーが使われていたに違いない。必要なことは、「過去」というものを我々とは違う自律の方法を持った「他者」として見るということなのかもしれない。


2015/07/28
 『Amazon.co.jp: 精神疾患は脳の病気か?―向精神薬の科学と虚構: エリオット S.ヴァレンスタイン, 功刀 浩, 中塚 公子: 本』。心とケミカルの歴史について、専門性も維持しながら手際よくまとめられており、読んでいて気持ちのいい本だ。


 冒頭からなかなか刺激的な物言いが続く。我々が現在軽い気持ちで口にしているような「脳内物質と情動」の関係は実のところまだ大して証明されていないという。日光に当たってセロトニンを増やそうなんてのもまだ俗説のレベルか。


2015/07/23
 『Amazon.co.jp: 神は老獪にして…-アインシュタインの人と学問: アブラハム パイス, 金子 務, 太田 忠之, 西島 和彦, 岡村 浩, 中沢 宣也: 本』


 この本を読んで良かったことはと言えば、今後「科学」に対して軽はずみな発言をしなくて済むようになるだろうということである。よく分かりもしないのに、適当なアナロジーを長らく振りかざしてきたものだ。一般向けの解説本などには、我々に分かりやすいイメージを届けるために捨象された部分が大量にある。本書にはそれが生々しく記録されている。その高みにはとても辿り着けそうもない。


 もちろん、そのような過ちを犯したのはこの件だけではない。この手の「思い上がり」は、いわば僕の体に染み付いた汚水のようなものだ。気が付いたら、僕はその中に浮かんでいた。そして、その水の濁りが僕の視界を歪めているということが分かるまで、愚かなダンスを踊り続けるしかなかった。


2015/07/20
 『Amazon.co.jp: アラブが見た十字軍 (ちくま学芸文庫): アミン マアルーフ, Amin Maalouf, 牟田口 義郎, 新川 雅子: 本』


 概ね、日本の戦国時代とやっていることは同じだ。陣取り合戦に跡目争い、権謀術数のあれやこれや。もちろん、言い伝えられていることがすべてではない。むしろ、言い伝えられていることと現実にあったことは別の次元の問題であると言ってもよい。我々は何も見ていない。ただ、書き残された言葉があるだけだ。


 「神話」、「叙事詩」、「聖典」、「物語」、そして「意識の流れ」。言葉は次第に精細になり、我々の周辺に近づいてきたように見える。何故、我々は『古事記』や『オデュッセイア』をもう一度書くことが出来ず、『変身』や『嘔吐』の亜種を生み出すことしか出来ないのか。「書く」とは一体どんな作業であり、何に条件付けられているのか。


 最後に、「何故、我々は争うのか」と虚空に向かって問い掛けてみたが、じっと耳をそばだてても、こだまは返って来ない。


2015/07/17
 『Amazon.co.jp: グレイ解剖学の誕生―二人のヘンリーの1858年: ルース リチャードソン, Ruth Richardson, 矢野 真千子: 本』。近代解剖学の発展に大きく寄与した歴史的書物が如何にして生れたかを丹念に追う、歴史ドキュメント。著者の書物へのフェティッシュな愛情も微笑ましい。


 この医学書は非常に対称的な性格を持った二人の共著だった。しかし、そのバランスは決して公平なものとは言えなかったようだ。ページをめくるにつれ、多くの人は控え目で職人気質なカーターの方にシンパシーを感じていくに違いない。そして、この二人の関係に似たものを、自分の人生においてもきっとどこかで目にしている。


 『グレイの解剖学』は一八五八年に出版されたが、そこからちょうど三十年後の一八八八年、人体の内部に執着を抱いたと思われる人物による「切り裂きジャック事件」が起きている。十九世紀のロンドンは、人体を切り刻むという暗黒のファンタジーを醸成するに足る都市だったと言えなくもない。娼婦が内蔵を持ち去られる前に、無数の死体が冷たい検視台の上で切り刻まれてきた。未だ誰とも知れぬ犯人が、幼い頃にこの解剖図を目にしていた可能性は決して低くはあるまい。


 ところで、学術書のタイトルにある「element」を「要素」と訳しているけれど、これは「初歩」とか「基礎」とすべきところではなかろうか(『elementの意味 - 英和辞典 Weblio辞書』)。


2015/07/15
 『Amazon.co.jp: 冗談 (岩波文庫): ミラン・クンデラ, 西永 良成: 本』。文庫化していたので、一言。


 チェコという国について知っていることはさほど多くないが、共産圏の中では元々西洋寄りで、比較的速く自由主義に門戸を開いた国だと認識している。クンデラのこの処女作にも資本主義的的な享楽傾向と共産主義的な教条主義が、寄木細工のように組み合わされているといった印象を持ったものだ。


 古き良き「作家」のイメージをひらりと纏いながら、現代的な足取りで歩む作家。クンデラのことはそんな風に思っている。あの有名になった映画からこちら、「文学」のアイコンとなった自分自身を楽しんでいるようだ。しかし、二十一世紀という幹の中には、そもそもカフカもサルトルも埋まってはいないのではないか。そんな懐疑が頭を過ぎる。


2015/07/14
 それでも、日々僕に襲い掛かるリッチなコンテンツどもをどうにかして丸裸にしてやろうという思いが消え去ったわけではない。「YouTube」は日に日に重たくなるし、どこもかしこも広告だらけで嫌になる。しかし、そこで用いられている技術の水準がそもそも僕の手の届かないところにあるので、反撃のしようがないのだ。


 十年前はそうではなかった。 HTML をフィルタリングすればどうにかなることが随分とあったものだ。しかし、敵の成長はムーアの法則をエンジンにしているので恐ろしく早かった。今の僕に出来ることと言ったら、ウェブサイトが提供する素材をありのまま受け取り、己が手を使ってマウスカーソルを西から東へ動かし、クリックを千と一夜の間繰り返すことくらいだ。


 「iPod touch」『Miix 2 8』といった新しいお仲間も手元に増えたが、いまいち使いこなしている感じはしない(むしろ、弄ばれている)。もちろん、便利になったこともたくさんある。その輝かしさと引き換えにしているものについて、どうしても考えてしまう。


2015/07/13
  XP がいい加減だったのか、 Windows7 が厳密すぎるのかはよく分からないが、ポップアップメニュー型のソフトウェアと既存ウィンドウの間のアクティベートのやり取りがどうも XP 時代とは勝手が違っていて、時々イラッとすることがある。ポップアップメニューが終了した時に、どうも僕が思っている通りにはフォーカスが戻らない。具体的には、「Ninja」『Shorter Launcher』を利用した時にそういった現象が起こる。


 話自体が「重箱の隅」的なものでもあり、そもそもフリーウェア界隈自体がひとつの時代を終えて久しいので、これを解消すべく何か努力するということはないのだけど、とりあえず。


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